大手拓次訳 「信天翁」 シャルル・ボードレール / (別稿)
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の最終パートである『訳詩』に載るもので、原氏の「解説」によれば、明治四三(一九一〇)年から昭和二(一九二七)年に至る約百『篇近い訳詩から選んだ』とあり、これは拓次数えで二十三歳から四十歳の折りの訳になる詩篇である。
ここでは、今までとは異なり、一部で、チョイスの条件が、かなり、複雑にして微妙な条件を持ち、具体には、既に電子化注した死後の刊行の『大手拓次譯詩集「異國の香」』に載っていても、別原稿を元にしたと考えられる別稿であるもの、同一原稿の可能性が高いものの表記方法の一部に有意な異同があるものに就いては、参考再掲として示す予定であるからである。それについての詳細は、初回の私の冒頭注の太字部分を見られたい。]
異國のにほひ シャルル・ボードレール
秋のあつたかいゆふぐれに、
ふたつの眼をとぢて、おまへの熱い胸のにほひをすひこむとき、
わたしは、單調なる太陽の火のきらきらする
幸福の濱べのあらはれるのをみる。
めづらしい樹と美味なる果物とを
自然があたへるところの懶惰の島。
へいぼんな、つよい肉體をもつた男たち、
またはれやかな眼でびつくりとさせる女たち。
みいられるやうなこの季節にあたり、お前のにほひにみちびかれて、
わたしは、ぼうつとした海の景色につかれはてながら、
帆と帆桂とにみちた港をみる。
そのときに、空氣のなかをとびめぐり、鼻のあないつぱいになる
みどり色の羅望女(タマリニエ)のにほひが、
わたしの靈魂のなかで水夫のうたともつれあふ。
[やぶちゃん注:『大手拓次譯詩集「異國の香」電子化注始動 / 序詩・「異國のにほひ」(ボードレール)』(ブログ単発版。一括PDF縦書版はこちら)を見られたいが、そちらの注では、原子朗氏の「定本 大手拓次研究」(一九七八年牧神社刊)に、初出『感情』のものに原氏が原詩の三、四連の行空けがないのは、雑誌編集者の恣意とされ(すこぶる同感である)、行空けを施したものを掲げておられる(196~197頁)のを参考に、初出形を再現しておいた。しかし、それと、この底本のそれとは、やはり、異様に異同があり過ぎることから、本底本は別稿を元にしたものと考えるしか、ない。面倒なので、その原氏によって再現されたものを転写し、そこの異同部に【 】で注を附すこととする。「らんだ」の読みがないのは数えない。読み間違えはあり得ない熟語であり、詩集で編者が外しても、おかしくはないからである。
*
異國のにほひ ボードレール
秋のあつたかいゆふぐれに【←読点なし。①】
ふたつの眼をとぢて、おまへの熱い胸のにほひをすひこむとき【←読点なし。②】
わたしは單調なる太陽の火のきらきらする
幸福の濱べのあらはれるのをみる。
めづらしい樹と美味なる果物とを
自然があたへるところの懶惰(らんだ)【ルビなし。】の島
へいぼんな、つよい肉體をもつた男たち【←読点なし。③】
またはれやかな眼でびつくりとさせる女たち【←句点なし。④】
みいられるやうなこの季節にあたり、お前のにほひにみちびかれて【←読点なし。⑤】
わたしは【←読点なし。⑥】ぼうつとした海の景色につかれはてながら【←読点なし。⑦】
帆と帆柱とにみちた港をみる。
そのときに【←読点なし。⑧】空氣のなかをとびめぐり【←読点なし。⑨】鼻のあないつぱいになる
みどりいろの羅望子(タマリニエ)のにほひが【←読点なし。⑩】
わたしの靈魂のなかで水夫のうたともつれあふ。
*]
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