「近代百物語」 巻五の一「巡るむくひの車の轍」
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注である。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。]
近代百物語巻五
巡るむくひの車(くるま)の轍(わだち)
不義・不忠・不孝・大慾のひまびま、嫁そしり・あくび・入湯(にうたう[やぶちゃん注:ママ。「にふたう」が正しい。])・せんそく[やぶちゃん注:「洗足」か。]のついでに、ねんぶつ・だいもくなどを、となふれば、極(ごく)重罪も、せうめつして、ごくらくといふ所へ、すぐどをりし、黃金の(わうごん)蓮(はちす)のうてなに、
「のらり」
と、座を、くみ、百味(《ひやく》み)のおんじき[やぶちゃん注:「飮食」。]とて、甘美(うまき)ものを、取りくらひ、暑きときは、凉風(りやうふう)きたり、さむきときは、暖氣(だんき)いたり、異香(いきやう)くんじて、花、ふりくだる、よい所へ、ゆかふとは、おもひもよらぬ事ぞかし。
十人が十人ながら、ねんぶつ・だいもくを楯にして、𢙣(あく)の上(うは)ぬりする事、多し。「我がため人をなきになしては」との古哥(こか)の心も、かへりみず、人を𢙣所に、いざなひ、ばくちを、すゝむ。とりわけて、色(しき)よくの罪ほど、おそろしきものは、なし。
[やぶちゃん注:私は和歌嫌いで、この古歌を知らない。識者の御教授を乞う。]
今はむかし、備中の國に、山城屋(やましろ《や》)善左衞門といふ人、あり。家、冨みさかへて、何《なに》うとからぬ身のうへなりしが、苦(く)は、色かへる、まつかぜの音(おと)にて、此家の内室(ないしつ)、よめ入りして、三年めに初產(うひざん)せしが、𢙣血(おけつ)の所爲(わざ)にやありけん、腰、いたみて、起居(たちい[やぶちゃん注:ママ。])もならねば、善左衞門、氣のどくがり、国中(こくちう)の医(い)は、いふにおよはず、近国までも、聞合《ききあは》せ、名ある医者は、ひとりも殘さず、金銀のあるにまかせて、くすりをもちひ、あるひ[やぶちゃん注:ママ。]は灸治、有馬の入湯、ねりやく・さんやく・くすり食(ぐひ)、あまさず、もらさず、六年ばかり、あるとあらゆる養生すれども、そのしるし、さらに、なし。
かくては、家内も、おさまらざれば、としかましき[やぶちゃん注:この頭の「と」は「か」の崩しの彫りを誤ったものではなかろうか。]女をかゝへ、妾(てかけ)はんぶんは、世帶(せたい)のまかなひ、「いま」と名づけて、万事の出しいれ、内義がはりを、つとめしに、生れつきたる利口(りこう)もの、ちから、ありたけ、氣をつけて、旦那のこしも、お内義どうぜん、打ちぬくほどの上手(じやうず)もの。
出人りの人々・ほうばいも、
「いま、ならでは。」
と、うやまふにぞ、いよいよ、募(つの)る强(がう)よくしん、病氣ながらに、お内義の、生きてゐらるが、ひとつ、氣がゝり。
『なき命(いのち)なら、とてもの事、片時(へんし)も、はやふ[やぶちゃん注:ママ。副詞「早(はや)う」。]、すぎゆかなば、あとは、我が手に入るものと、まどろむうちの、ゆめごとに、死(しん)だと見ては、おきての[やぶちゃん注:「起きての」。]、びつくり、むねのほむらは蛍火(ほたるび)の、おのれと焦(こが)す、ねつの、さしひき、病(やまひ)となれば、いまは、おどろき、我が命ありての望み、死しては、何のねがひのあらん。いざや、心をとりなをし[やぶちゃん注:ママ。]、仕(し)やうの手だてもあるべし。』
と、いろいろと、案じつゞけ、まくらによりて、ふしたりしが、
「むつく」
と。おきて、
『あら、うれしや。我が大ぐわんも成就せり。御息所(みやすどころ)の「うわなりうち」も、神のちからに、きどくを、あらはす。われ、また、神にふかくいのらば、いかでか、しるしの、なからんや。』
と、内義の姿を、繪にうつし、我がやすみ所に、かくしおき、朝朝(あさあさ)、けわひのたびごとに、まづ、さかさまに、壁に、つりさげ、何かは知らず、口にとなへ、釘、おつ取りて、喉に、うち、
「大ぐわん成就、なさしめ給へ。」
と、强氣不敵(がうき《ふ》てき)の、女のねんりき、百日ばかり、いのりしに、内義のうんめい、つきたるにや、しだひしだひ[やぶちゃん注:ママ。]に、おとろへて、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、むなしくなりける所に、ふしぎや、七日にあたれる夜より、「いま」がふしたる一ト間のうちに、内義のすがた、
[やぶちゃん注:富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」からトリミングした。キャプションは、
*
ゆうれいといふ物
世に有(ある)べき理(り)なし
皆(みな)我(わが)こゝろより
むかつて見る也
一ゑい眼(まなこ)にさへ[やぶちゃん注:「ゑい」不詳。「影」(えい)か。]
ぎれず空(くう)
花(げ)乱(みだれ)つい
すと
いふ
喩(たとへ)これ
しるべ
し
*
「空花」は、煩悩にとらわれた人が、本来、実在しないものを、あるかのように思ってそれにとらわれること。病み霞んだ目で、虚空を見ると、花があるように見えることに喩えたもの。「ついす」「墜す」か。
*
《窓から覗く「いま」の下壁の彼女の台詞。》
たしかに
そのお人
しや[やぶちゃん注:ママ。「じや」(ぢや)だろう。]
が
《本妻の怨霊の頭部の背後に、その霊の台詞。》
はら立[やぶちゃん注:「たつ」。]
や
はら立や[やぶちゃん注:ここは底本では踊り字「〱」。]
*
但し、本文での怨霊の登場は「いま」の寝る一間の内部であるから、齟齬はする。]
「すつく」
と、あらはれ、しうねき顏色(がんしよく)、そばに立ちより、
「おのれに覺えのある事なれば、くはしくいふには、およばねども、神にいのりつ、佛をたのみ、あた、どふよくな、むごたらしい。ころそふ[やぶちゃん注:ママ。]とまで、たくみしな。おもひしらせん、おもひしれ。」
と、手あしに、
「ふつ」
と、くひつけば、まぬがれんにも、にげんにも、五體、すくみて、うごかばこそ、上を下へと騷動し、
「ゆるしてたべ、たすけてたべ、いたや、いたや、」
と、泣きさけぶ。
家内の人々、おどろきて、
「夢ばし見つるか、正氣を、つけよ。」
と、ゆりおこせば、やうやうと、目をひらき、手あしをさすり、
「さては。夢にて、ありけるか。」
と、かたられもせぬ夢のさま、
「此ほどのつかれにて、かわつた[やぶちゃん注:ママ。]夢に、おそはれまし。皆樣までを。」
と、笑ひに、まぎらし、
「サア、行(い)て、おやすみあそばせ。」
と、また、引きかづく、ふとんのうち、何とやらん、心にかゝり、すこしも、卧(ふさ)でありけるが、また、翌(あけ)の夜も、おなじ夢、つゞくほどに、廿日《はつか》あまり、毎夜のせめに、手あしを見れば、痣(あざ)のごとく、「眞(ま)あを」になりて、歯がた、あらはれ、血ばしりける。
「かくては、いのちも、あやうし。」
と、いとまをねがひ、宿にかへり、難儀のあまり、せんかたなく、旦那寺(だんなてら)の和尚をまねき、はづかしながら、なみだをながし、始終のおもむき、さんげを、すれば、和尚は、くはしく聞《きき》とゞけ、
「よくも、あらはに、かたられたり。ともに惡趣に墮(だ)せん事、かゞみにかけて、見るごとし。いざ、とぶらひて、まよひをはらし、くげんをすくはゞ、成仏得脱(じやうぶつとくだつ)、うたがひ、なし。」
と、「普門品(ふもんぼん)」の千部を、しやきやうし、香花(かうげ)をそなへて、法事をなせば、障碍(しやうげ)、たちまち、しりぞきけるにや、病者のがんしよく、すゝしく[やぶちゃん注:ママ。]なりて、ゆめ見る事も、なかりしが、四、五日すぎて、初夜[やぶちゃん注:午後八時頃。]のころ、表に、
「わつ」
と、さけぶ聲、母は、あはてゝはしりゆき、くすりをあたへ、だきおこせば、しばらくありて、よみがへり、
[やぶちゃん注:同じく富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」からトリミングした。キャプションは、
*
生(いき)ながら火(ひの)
車(くるま)に
乘(のせ)られ
たると
いふ事
世に
噺(はな)しに
こそ
聞(きく)事
なれ
とかく
善(よき)を
なし
𢙣(あく)を
すべからず
《火の車に乗せられた「いま」の右足の先に彼女の台詞。》
あつや
あつや[やぶちゃん注:ここは底本では踊り字「〱」。]
《左下方の「いま」の母の右下の母の悲しい驚きの台詞。》
のふむすめ
是はなに
事
ぞ
*
「のふ」は「喃(のう)」で感動詞。人に呼びかける際に発するそれ。]
「たゞ今、しばらく、まどろむうち、うつゝともなく、ゆめともなく、車のおとの、聞ゆるにぞ、
『あら、ふしぎや。』
と見る所に、火の車を、とゞろかし、牛頭・馬頭の鬼、大おん、あげ、
『なんぢが罪(つみ)、廣大(くわうだい)なれば、迎ひの為(ため)の此車、はやく、來たれ。』
と、つかみ、のせ、虛空に追つたて、ゆきけるが、俄(にはか)に、はげしき風、ふきおこり、猛火(みやうくは)、さかんに、もへあがり、骨もくだくる其《その》くるしさ、
『わつ。』
と、さけぶ、と、おもひしが、お世話で、ふたゝび、よみがへれど、火の車にまで、のせられて、ぢごくに、おつる、我が身の上。かくまで、おもき罪科(つみとが)も、身よりいだせる事なれば、たれをうらみん、やうも、なし。さきだゝせます父母(ちゝはゝ)を、あとに殘して、なげきをかけ、これまた、一つの、とがぞかし。娘のせめを見るにつけ、かならず、惡事し給ふな。」
と、いふうちに、面色(めんしよく)かはり、はや、「だんまつま」の四苦八苦、虛空をつかみ、眼(まなこ)を、いからし、
「うん」
と、ばかりに、息、たへたり。
かゝるむくひを、ありありと、まさに見たりし其人の、ことばのごとく、かきしるす。