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2023/05/18

下島勳著「芥川龍之介の回想」より「河童忌」 / 下島勳著「芥川龍之介の回想」よりの抜粋電子化注~了

 

[やぶちゃん注:本篇は末尾の記載に『昭和・一四・七』とクレジットのみがあり、初出は不明。後に、この下島勳氏の随筆集「芥川龍之介の回想」(昭和二二(一九四七)年靖文社刊)の本文末に収録された。

 著者下島勳氏については、先の「芥川龍之介終焉の前後」の冒頭の私の注を参照されたい。

 底本は「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で上記「芥川龍之介の回想」原本の当該部を視認して電子化した。幸いなことに、戦後の出版であるが、歴史的仮名遣で、漢字も概ね正字であるので、気持ちよく電子化出来た(但し、単行本刊行時期のため、正字と新字が混淆してはいるので、そこにはママ注記を入れた)。本篇はここから。一部のみ注をした。また、本篇にはルビが一切ないが、なくても概ね読めるが、一応、若い読者のために、ストイックに《 》で推定で歴史的仮名遣で読みを振った。

 本編は底本の最終本文で、この後に刊行当時、郷里伊那で病床にあった勳氏の代わりに、勳氏の甥で養子となった英文学者・翻訳家であった下島連(むらじ)氏(一九八六年没)が書かれた「あとがき」があるが、筆者は著作権存続中であり、また、特に電子化しなければならない芥川龍之介関連の記載もないので、リンクに留める。而して、本書の抜粋電子化注は、これを以って終わる。]

 

河 童 忌

 

 七月二十四日は芥川龍之介君の十三回忌だ。昨夜から曇つてゐるのだつたが、午前八時ごろからぼつりぽつりと降つて來た。芥川氏の靈前にと思つて自作トマトの風呂敷包みを提げて早めに新宿まで出ると中々の降りとなつた。會は田端の自笑軒ときまつてゐて午後六時からだから、まづ北原大輔君を訪ねて見ると、久し振りなので大歡迎、ご馳走になりながら陶談、畫談などに思はず時間も忘れ、たうとう四時半ごろになつてしまつた。

 雨は上つたが曇天のいやがうへに蒸し暑い。北原氏のところを辭して芥川家へ行き、佛敎前へトマトを供へ線香を上げて奥さんと話してゐると小島政二郞君夫婦が見え、次いで佐佐木茂索夫婦が來る。同時に香瀧さんが見える。少し後れて自笑粁へ出かけるともう二十人ばかり座に就いてゐた。

 芥川忌は初めのうちは大分盛んだつたが、年が立つに隨つて段々出席者の數も減じ、こゝ、五六年は三十人前後になつてしまつた。併し實をいへばこの三十人は切つても切れない因綠の人たちばかりで、ほんとに芥川忌らしいなりかしい聲や顏ばかりになつてしまつた(尤も芥川賞の人たちが殖えてくる)。

 出席者は大槪おなじみの筈だつたが、谷口喜作君の隣りに座を占めてゐる、日に燒けたやうな黑い顏をした瘦せてひねこびた爺さんがお辭儀をするから、返禮はしたものの誰であるか思ひ出せなかつた。久米正雄君の呼びかけで小澤碧童君といふことが訣《わか》り大笑ひしたのだつた。同君は初めのうちは出席したのだが、その後全く出たことがないので、逢ふ機會がなかつたので見違へたのだつた。

 座の右隣が永見德太郞君で、故人の長崎での話などした。私は震災當時彼の束京の第二號が、三味線を抱へて澄江堂へ避難して來て玄關で逢つた話をしたら、頭を叩いて笑つてた。

 左隣は宇野浩二君で、君と初めて澄江堂で逢つたときは若い美男だつたが、よく禿げてまたよく瘦せたものだといつて笑つた。そのとき芥川君の紹介に、これは宇野で中々「ヒステリー」の硏究家だ、といつたことを覺えてゐるかと、いふとよく知つてゐるといつてすましてゐた。

 字野君は、知人に「エンボリー」に罹つて長く寢てゐる男があるが、「エンボリー」とは何のことかというふから、その說明をした。

 

    芥川君の十三回忌

   紫陽花の雨むしあつき佛間かな

(昭和・一四・七) 

[やぶちゃん注:「自笑軒」田端の芥川龍之介の自宅近くにあった会席料理屋「天然自笑軒」。芥川龍之介は文との結婚披露宴をここで行っている。

「北原大輔」「古織部の角鉢」で既出既注

「香瀧さん」不詳だが、思うに、これは龍之介の江東小学校及び府立三中時代の同級生の上瀧嵬(こうたきたかし 明治二四(一八九一)年~?)のことではなかろうか。一高には龍之介と同じ明治四三(一九一〇)年に第三部(医学)に入り、東京帝国大学医学部卒、医師となって、後に厦門(アモイ)に赴いた。龍之介の「學校友だち」では巻頭に、『上瀧嵬 これは、小學以來の友だちなり。嵬はタカシと訓ず。細君の名は秋菜。秦豐吉、この夫婦を南畫的夫婦と言ふ。東京の醫科大學を出、今は厦門(アモイ)の何なんとか病院に在り。人生觀上のリアリストなれども、實生活に處する時には必ずしもさほどリアリストにあらず。西洋の小說にある醫者に似たり。子供の名を汸(ミノト)と言ふ。上瀧のお父さんの命名なりと言へば、一風變りたる名を好むは遺傳的趣味の一つなるべし。書は中々巧みなり。歌も句も素人並みに作る。「新内に下見おろせば燈籠かな」の作あり』とある人物である。

「エンボリー」embolism(英語)の略。塞栓症。血栓が血管に詰まった状態。特に下肢に生じた血栓が肺に移動して発症する肺塞栓症が知られ、外に脳梗塞や心筋梗塞なども同じ状態で起こる。私の昔の教え子の女性も、若くしてこれで亡くなった。]

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