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2023/05/10

佐々木喜善「聽耳草紙」 七〇番 地藏譚(五話)

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

    七〇番 地藏譚

 

     石地藏の笠 (其の一)

 或所に爺と婆があつた。爺は每日山に行つて柴を刈つて、それを町へ持つて行つて賣つて、クラシて居た。

 ある日のこと、いつものやうに刈つた柴を町へ持つて行つた歸りに野中を通ると、大雨の中で石地藏樣が雨に濡れて居るので、爺樣は氣の毒に思つて、町へ引返して行つて、柴を賣つた金で笠を買つて來て被(カブ)せてやつた。

 其夜はそんな事をして米を買つて歸らなかつたので、婆樣に其譯を話すと、婆樣もそれはよい事をしたと言ふので、有り合せの殘り物で夕飯を食べて寢た。

 其翌日山へ行く途中で、昨日の地藏樣の前を通ると、地藏樣が、爺樣々々と呼び止めて、昨日の御禮を言ひ、そして何か爺樣サ御禮をしたいが俺には何にも無い。たゞ今夜夜半頃に來て俺の蔭に隱れて居れ。さうすると每夜のやうに來る博突打ちどアが來るから、其時お前は鷄の鳴き眞似をやれや、そうすると[やぶちゃん注:ママ。]博突打ちどアびつくりして金をみんな此所に置いて逃げて行くからそしたらイン攫《さら》つて行き申せと敎へた。

 其夜、爺樣が其石地藏の蔭に隱れて居ると、いかにも博突打ちどア來て、博突を始めた。爺樣は程よい刻限を見計つて、

   コキヤコノヨウ

 と鷄の鳴聲をすると、博突打ちどア、あれアハア一番鷄だツと言つた。爺樣がまた、鷄の鳴き眞似二度續けると、あれアはア三番鷄だツ夜が明けたら大變だツ、と言つて大あわてにあわてゝ金を其所ら一面に置いて行つてしまつた。

 爺樣は其金を拾つて、地藏樣にお禮を中して、家に持ち歸つて金持になつた。

 (秋田仙北郡角館小學校高等科、淸水キクヱ氏の筆記。
  此後段にその眞似して失敗をした爺樣の話もなく、又
  博突打ちを鬼とも言つてゐないのである。それでも鷄
  の聲を恐れる事は如斯《かくのごとく》であつた。昭
  和四年某月。武藤鐵城氏御報告の分の七。)

[やぶちゃん注:「イン攫《さら》つて」「イン」不詳。単なる方言の、動作を起こす際の接頭語か。或いは「引」で、「さっと引き受けて」と言った意味か。

「秋田仙北郡角館小學校」恐らくは正式には当時は「角館尋常高等小學校」で、現在の秋田県仙北市角館町(かくのだてまち)東勝楽丁(ひがしかつらくちょう)のここが跡地(グーグル・マップ・データ)。サイド・パネルの碑を見ると、「角館小学校跡」とあって、下方に明治七(一八七四)年六月二日創立と記されてある。]

 

        地藏の木曳 (其の二)

 貧乏な爺樣婆樣があつた。大晦日が來たけれども、魚も米も味噌もなんにもない。一年一杯稼(カセ)いで貯(タ)めた三百文ばかりの錢があるから、それを持つて行つて歲取仕度《としとりじたく》をして來るべえと言つて、爺樣は町へ行つた。そして恰度《ちやうど》地藏堂のある所まで行くと、御堂が甚(ヒド)く破壞(コワ[やぶちゃん注:ママ。])れて、この雪降りに小さな地藏樣も大きな地藏樣もみんな雪を吹ツかけられて眞白くなつて居た。

 爺樣はそれを見て、これは勿體のない事だ。俺ア爺婆は何も米の飯や魚を食はなくとも齡《とし》は取られる。これは第一にこの地藏樣達に頭巾コでも買つて上げなくてはならないと思つて、米味噌買ふ錢で赤い小巾(コギレ)を買つて戾つて、小さな地藏樣から先にかぶせて行くと、大きな地藏樣にかぶせる巾(キレ)が無くなつたから、其地藏樣には自分が着て居た笠と簑(ケラコ)とを脫いで着せかけて、あゝこれでいゝ、これでやつと安心したと言つて、婆樣の所には、ただの手振八貫《てぶらはつくわん》で歸つて來た。そして其譯を話すと、婆樣も神佛に上げる事だから、いゝいことをしたと言つて、燈(アカシ)コ㸃(ツ)けて少し殘つて居た米を炊いて歲取神樣《としとりがみさま》に上げたり食つたりして早く寢てしまつた。

 夜半になると、何處かでごろごろと大木を引くやうな音がするので、爺樣が、婆樣々々あれあの音を聽け、長者どんの若者達ははア起きて木を引いて居るやうだ。ほんとにサと話して居ると、其音が段々爺婆の家へ近くなつて來て、やがて玄關の所で、爺樣々々、爺樣々々と呼ぶ聲がした。誰だか其聲が分らぬので、誰だアでアと訊くと、昨日爺樣から笠を貰つたもんだから一寸(チヨツト)起きろと言ふ。起きても薪が無いから火が燃せねえがアと言うと、外で俺が大きな木を曳いて來たから起きろと云ふ。寒々ながら起きて見ると、外の吹雪の中に大きな地藏樣が三人で大きな一抱え[やぶちゃん注:ママ。]もありさうな木を持つて來て玄關先きに置いて、向ふの方へのこのこと行く所であつた。

 爺樣は地藏樣達が昨日の御禮だと言つて、こんな大きな木を曳いて來て吳れたと言つて、婆樣と二人で大きな斧でガキンガキンと割ると、木の中は空洞(ウド)で、中から金銀がざくざくとたくさん出て來た。爺婆は元朝《ぐわんてう》から俄か長者になつた。

 (秋田縣仙北郡角館小學校、高女一、鈴木てい子氏の
  筆記摘要。昭和四年頃。武藤鐵城氏御報告の八。)

 

        糠餅と地藏 (其の三)

 昔ハありましたとさ。ある所に貧乏ではあるけれども正直に暮して居る夫婦があつた。今年も御正月になつたが、餅を揚く米もないから粉糠餅(コヌカモチ)を搗いた。朝早く若水を汲みに行つて、川戶(カド)の御水神樣《ごすいじんさま》に餅を供へてから水を汲むべとして、懷を見ると、入れて來た筈の餅が見えないので、これは事やつた、と思つて其邊を探したが見當らない。それでは此の川戶に(カド)落したかも知れないから見付(メツケ)べいと思つて、段々と川端を探して往くと、川下(カハシモ)に一人の石の地藏樣が居て、にかにかと笑つて居た。地藏樣々々々、俺の餅が此方(コチア)流れて來(コ)なかつたべすかと訊いて見た。すると地藏樣は、あゝ來たケ來たケ、俺が今御馳走になつたとこだと言つて、頰に粉糠を着けて居た。男は、そだば良(エ)ます良(エ)ますと言つて地藏樣を拜んで歸つて、元の川戶から水を汲んで戾つて來ると、水桶が段々重たくなつて、一足々々せつなくなつて來た。これは不思議なこともあるものだと思つて、家へ歸つてから、中を覗いて見ると、桶の中には水では無くて米だの黃金《こがね》だのがズツパリ(多く)入つてをつた。これは地藏樣の御授けだと喜んで、今まで貧乏だつた家が俄か長者になつた。

[やぶちゃん注:「粉糠餅(コヌカモチ)」玄米を精白する際、その表皮が細かく砕けてできた粉で作った餅。

「川戶(カド)」集落を貫流する川、或いは、その畔(ほとり)。]

 隣家の欲張り爺が其話を聞いて、俺もと思つて餅を懷に入れて水汲みに出かけた。そして何とかして餅を川戶に落さうと試みたがなかなか落ちない。仕方がないから川に投げ入れて流して遣つた。すると案の定地藏樣は居つたが不機嫌な顏をして居た。其所で食い[やぶちゃん注:ママ。]たいとも言はない地藏樣の口に餅を無理矢理におつぺし込んで歸つて來た。そして元の川戶から水を汲んでさげて來ると、段々家の近くになるにつれて桶が重たくなつたので、これは俺も果報が來て長者になると思つて、大喜びで家に駈け込み、中を見ると、馬の骨骸(ホネガラ)や牛(ベコ)の糞だの、なんともかんとも云へない程汚い物許り入つて居た。

 (岩手郡の北部地方の東根とも云はれる川口地方に
  ある話、摘要。田中喜多美氏御報告の分八。)

 

        地藏の酒 (其の四)

 昔ありましたとさ。或所に一人暮しの爺樣があつて、今日は町さ用足しに行つて來るべいと思つたが、留守居がないので、隣家の婆樣にヤドヰを賴んだ。隣りの婆樣々々、俺あ今日町さ用足しに行つて來るだス、俺家さ來てヤドイして居て給れでアと賴むと、婆樣はすぐ來てくれた。

 爺樣は家を出る時、婆樣々々奧の座敷はゼツテエ開けてケてはならねぜと言つた。すると婆樣は、はいはい用の無いもの何しに開けるベアと言つて、猫に這入《はい》つて(猫のやうに爐中《ひぼとうち》[やぶちゃん注:ここのそれは説明するためから考えれば、後代の「炬燵(こたつ)の中」の意であろう。]に入つてと謂ふ形容)あたつて居るので、爺樣も安心して出かけて行つた。

 爺樣が遠く居なくなると、隣家の婆は、爺樣が見るなと言つた奧の座敷が見たくて耐《たま》らない。奧の座敷に何か隱してあるに違ひない、見てケませうと思つて、拔足差足で行つて戶を開けて見ると、地藏樣が居て、其鼻の穴から何だかタチリタチリと湧いて下に置かれた瓶(カメ)に溜まつてゐた。これは不思議だと思つて指を入れて搔き廻して見ると、プンと佳《よ》い酒の香りがする。舐めて見ると何とも云はれない佳い酒なので、少し飮んで見るべと思つて飮むと、とても耐《こた》えられないので[やぶちゃん注:ママ。]、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]瓶の酒をみんな飮んでしまつた。

 けれども其酒を飮んだことを隱すべえと思つて、地藏の鼻穴を大きくしてうんと酒を出さうとして、柴ツ木でボキボキと突(ツ)ツつき廻すと、地藏の鼻は缺けて落ちたが、酒がヅツタリ湧かなくなつた。仕方がないから水を汲んで來て瓶に入れて置いて、自分は知らんふりをして爐(ヒボト)へ來てネコに入つて[やぶちゃん注:不審。「ネコに入(まぢ)つて」とでも読むか?]眠つた眞似をして居た。

 其所へ、今歸つたと言つて爺樣が歸つて來た。お早かつたなす。それで俺ア歸つてもよかべだす、家さ行くアなすと言つて婆樣は歸つて行つた。

 其後で爺樣が奧座敷サ行つて見ると、地藏樣の鼻は缺け、酒は湧いてゐないので、これはジヨウヤ(屹度《きつと》)隣の婆樣の仕業《しわざ》に違ひないと思つて隣の家サ行つて、奧座敷をあれ位開けてケるなと言つたのに、お前だべ瓶の酒を飮んでから、地藏樣の鼻ア缺いたのはと言ふと、婆樣は何しに俺は奧座敷の地藏を知るべやと言つたとさ。

 (岩手郡川口地方の話。田中氏の御報告の分の九。
  藤本と云ふ人の奧さんから聽いたと謂ふものの
  
中。)

[やぶちゃん注:「岩手郡川口地方」岩手県岩手郡の北部にあった川口村。現在の岩手郡岩手町川口(グーグル・マップ・データ)。]

 

         黃金をひる地藏 (其の五)

 或所に爺と婆があつた。爺は用足《ようた》しに町サ行くので、婆ア婆ア今日俺は用足しに行つて來るだす、まつたく奧の座敷を開けて見てはならないぞと言つて出掛けた。

 婆は、あの人は何時(イツ)も一人で奧座敷さ行つて居るが、何か隱してあるに違ひないと思つて、奧の座敷を開けて見ると、地藏樣が棚の上に在《あ》つて、其尻穴から金粒《きんつぶ》をぽれぽれと出してゐた。

 これだなアよしよし金をうんと產(ナ)させて遣《や》れと言つて、婆樣が燒火箸《やけひばし》で其穴をヂリヂリと大きく燒きはだけると、其地藏樣は金をひるどころか、ブンと呻《うな》つて何處(ドツカ)へ飛んで行つてしまつた。

 其家は段々貧乏になつた。(前同斷の一〇。)

[やぶちゃん注:附記の位置はママ。底本では次で改ページとなるので、校正時に佐々木がそう変更したか、或いは、植字工が勝手に節約して成したものかとも思われる。]

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