室生犀星 随筆「天馬の脚」 正規表現版 自畫像・奥附 / 「天馬の脚」~完遂
[やぶちゃん注:本随筆集は昭和四(一九二九)年二月に改造社から刊行された。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。但し、所持する「ウェッジ文庫」(二〇一〇年刊)の同書をOCRで読み込み、加工用に用いた。同書は現代の刊行物としては画期的に歴史的仮名遣(但し、漢字は新字体)を使用したもので、私は高く評価している一冊である。
原本の読み(ルビ)は( )で示したが、本書は殆んどルビがなく、若い読者の中には読みや意味で途惑う向きもあろうとも思われることから、難読語には《 》で読みを歴史的仮名遣で推定して挿入した(かなり造語もあり、また、当て訓もある)。傍点「﹅」は太字とした。
これを以って二〇二二年四月一日に開始した、本随筆集「天馬の脚」の全電子化注を終了する。]
自畫像
室生犀星論
一 自己批評
自選歌や自選句の類は大抵の場合作者は惡句を集纂するものではない。又自己解剖も多少の感傷を交へた肖像畫たることは、凡ゆる自畫像の病癖と云つてよい程である。感傷以外自畫像の筆觸の中に脈打つものは、慘酷な表現意識でどれだけ遣《や》つけたかといふことであらう。我我素人の眼を以てすればどれだけ彼らは、醜く異體の分らぬ自畫像を描いてゐるかも知れぬといふ事である。
自己批評の前には、實に澎湃たる感傷主義が何時も橫はつてゐる。假りに一個の室生犀星は彼自身に取つては、世界の室生犀星であることに何の渝《かは》りはない。併乍ら世界の谷崎潤一郞は彼自身も亦さうであらうが、世界自身に取つての谷崎潤一郞であつた。これらの眞理は自己批評の前で猶且眞理の輝きを放つてゐながら、そのことで彼自身を絕望にすることは滅多にない。谷崎潤一郞が世界的であれば室生犀星も亦世界的でなければならぬ。
凡ゆる自己批評は莊嚴な道具立の中では必ず失敗してゐる。寧ろ醜い自畫像の如き畫面に於てのみ成功するものかも知れぬ。自選歌が作者に不相意な作品を剽竊《へうせつ》してまでも、その歌集を世に問ふことは稀有の事であらう。
二 文學的半生
彼自身屢屢その文學的半生といふものに眼を通して見て、曾て幸福を感じたことがない。若し彼の生ひ立と彼の作家たり得たこととを結び併せ、假りに出世や成就の意味を爲すものがあらば、彼には直ちに俗流的輕蔑を感じる丈である。彼と彼の今日の慘酷な醜い賣文的生涯は、啻《ただ》に恐怖を形造る許りではなく、無限の生活苦を前方に疊み乍ら脅してゐる。
彼は彼を幸福者の一人者であるやうに數へ上げる者があらば、まだ何事も彼を解《わか》つてゐるものではない。彼は趣味を解し築庭を解し又凡ゆる靜かさを解《かい》しようとする人である。だが波が何故に慘めな原稿を書き續けながら喘《あへ》いでゐるかといふことは、人は何も知らないことである。人の知ることは趣味を解する彼だけである。そして恐るべき原稿地獄の中に悶《もだ》えてゐる彼は、日夜に經驗する眩暈《げんうん/めまひ》のやうな疲勞の狀態から殆ど解放されることが無い。その昏迷の中から彼はやつと一導の明りを睨《にら》んでゐるだけである。彼はその一導の道では端然と廢馬のやうに坐つてゐた。そして彼は凡ゆる靜かな彼自身を置くことや又眺めることに苦心してゐる。慘《さん》たる原稿のうめき聲は彼を幸福者にする人の耳には聽えやう筈がない、……彼はそれらの賣文的地獄の中で漸《や》つと靜かになれる處でのみ、竊《ひそ》かに呼吸《いき》づいて其地獄を手を以て抑制してゐる。それ故彼が表面にある平明を虜《とりこ》にした杜撰な非心理的批評家の徒には、彼の本來のものが解らう筈がない。
彼は凡ゆる理解に對して曾て完全な滿足をしたことがなく、又それを望む程の野暮さをも持つてゐない。唯微《わづ》かながら彼の心に觸れる程度の理解や批評に對しては、(さういふ批評さへ稀である。)力ない笑ひを漏らすことは每日のやうである。
彼は奈何なる雜文をも粗雜に書き抛《なげう》つたことは稀れである。無力は遂にこれを宥《ゆる》さないと一般である。彼は文學的嘆息を人の前ですらしたことが無い。彼は唯何ごともなきが如く心に煩ひなきものの如く、淡淡として其〆切を恐るる者の、醜い守錢奴のやうに原稿の中で懊惱《あうなう》して暮してゐた。恐らく死のごときものすら彼の本來を解くに何の意味すら値しないであらう。そして曾て彼を目《もく》して幸福者だといふものがあらば、彼はそれを叩き返してしまふ前に例の抵抗しがたい力ない笑ひを漏らすことであらう。彼の笑ひの中に刺し透すもののあることすら、彼は人から指摘されたことの無いことを知つてゐる。
三 彼の作品
彼はどういふ作品の中にも彼らしい良心の姿を顯してゐる。その作の内の一箇所を抉《ゑぐ》つてゐる安心をもつてゐる。彼とても到底その作のあらゆる隅隅にまで心を籠めることはできても、弛《ゆる》みのないことは斷言できないやうである。さういふ時の彼はその一《ひと》ところに苦しみ喘いでゐる。そこに彼は彼の良心を刻み込んでゐると云つてよい。彼は拙《つたな》いものであつても良心をもつて書かれたものに曾て惡意をもつた例がないからである。
彼は彼だけのもつ人氣を何時《いつ》も感じてゐる。併しその乏しい人氣の中に絕望や悲觀を算《かぞ》へ上げる程の幼稚はとうに卒業してゐる。唯乏しい人氣《にんき》の間に立つ物靜かさは生活苦を伴うて訪れては來るが、その爲に彼の精神的な荒筋を搔き𢌞すことは稀れである。彼の生活苦は茫茫たる山嶽に彼を趁《お》ひ立てては試練するが、彼を卑屈や墮落に陷し入れることは毛頭無い。彼の經驗によれば凡ゆる物靜かな人氣の間に立つほど、また人氣の靜まつた時ほどその作者の鎬《しのぎ》を削る底の勉强をしてゐるときがない。それらの「時」を逸するものがあるとしたら、彼は作家であるために勉强を忘失してゐるところの、又止む無き抹殺の田舍に追はるべき輩《やから》であらう。
併乍ら彼の風流めいた小說は彼と雖も辟易してゐる。風流意識の橫溢程《ほど》作を濁すことの甚しいことはない。彼は不知不識の中に彼の望んでゐる靜かさに入ひれる[やぶちゃん注:ママ。]ならばいいが、その爲に騷騷しい風流意識を搔き立てることは、惡疾の如き恐怖を感じさせてゐる。又凡ゆる詩的意識の混淆された小說の如きも、自分は詩人であるがその爲にも嫌厭《けんえん》してゐる。小說はそれ自身既に小說であり、同時に又詩的精神すらそれ自身でなければならぬ。それらを意識に計算した小說があり得たとしたら遂に自分は身慄《みぶる》ひするくらゐ厭《きら》ひもし恐れもするであらう。
自分は常に湧くが如き人氣を輕蔑してゐる。同時に人氣のない寂漠の作者をも輕蔑してゐる。この間に立つて我我を氣丈夫にさせるものは、例の山嶽的氣魄を持ち合《あは》すものだけであらう。寂漠を食ひ荒してゐる鷲は下をも上をも見あげてゐるが、彼は到底氣魄以外には斷じて行動しない。彼は賣文地獄の中で生肉を食ひ荒し寂寞をも喫《す》うてゐる。彼、室生犀星の時たまに見る高慢や粗野な所以は、この意味の外では見られぬ。
四 生活苦
彼はその前途に恐怖以上の脅威を感じてゐる。彼をして正直に言はすれば、彼は凡ゆる「文」を通じて食はねばならぬ。これ程恐ろしいことはない。彼は到底「明日」や「あなた」委《まか》せやに安じて居られぬ。彼の前途を彼の病みがちな視力を以て眺めるとしても、幾萬枚かの白紙の城砦《じやうさい》が聳立《しようりつ》してゐる。彼はそれらを永い日も短い夜も書き續けねばならぬのだ。これ程の輕蔑以上の輕蔑が何處に有り得よう。彼の目はかすんで見えぬやうになるであらう。しかも猶書きつづける「彼」であらう。
彼は凡ゆる輕蔑の中に力無き笑ひをもつて立つより外はない。……
彼は奈何なる雜文をも營營として書いてゐる。これは直ちに彼の生活苦が誘惑する慘忍な現世への彼の宿命であるとしか思へない。百田宗治《ももたそうぢ》の言葉を籍《か》りれば室生犀星は既に厭世をすら生活する男だといふが、此言葉の中に若干の樂觀的な見方が含まれて無いでもない。本來は厭世的な行方《ゆきかた》ではあるが、その厭世の中から彼自身繊《ほそ》い絹糸のごときものを手繰《たぐ》り寄せてゐる。金錢の爲に原稿を書くといふことは最早卑しいことではなからう。それらの詩錢に寄る彼らは慘めな仕事への、微かな慰めを求めねばならぬ。彼等は本來の藝術を叩き上げねばならないとしたら、金錢を得るための原稿を書くに不名譽を感じない。佐藤春夫は彼よりも遙かに人氣を抱擁してゐることは、直ちに彼の詩的氣魄や詩に就て彼を卑屈にするものではなく、佐藤は佐藤だけの人氣の中に存在するだけであり、そのため彼の微光に影響のあるものではない。
五 冷笑的風流
彼を一介の風流人としてのみ論《あげつら》ふことの既に彼を理解するものでないことは述ベた。何よりも東洋的な彼は又何よりも西洋風なものを好いてゐる。西洋風なものの中に何よりも東洋的なもののあることは否めない。我我はそれらを文學にばかりでなく壯大なミケランゼエロにも感じてゐる。
彼を風流人として數へあげることは、彼の行詰りを冷笑するものとしか思へない。東洋の風流は既に二百年の昔に滅亡した。芭蕉がその最初であり最後の一風流人だと言つてよい。然乍ら我我の風流人的な氣魄が特質の中に目覺めてゐるとしたら、それは在來の風流と事變《ことかは》つた西洋流の敎養や思想の洗禮があるものと云つた方が適當であらう。曾て一個の社會主義者だつた芭蕉のことは述べたが、近代の混亂された諸思想の中をも潜り拔けねばならぬ風流的現象も、生優《なまやさ》しいさびやしをりを餌食にしてゐるものではなく、鷲の生肉《なまにく》を食ひ荒らすことと何の渝《かは》りがないのである。彼は彼を一人の風流人的な符牒を張られる前に、先づその張り手の人相から熟視したいものである。
六 詩と小說
彼も亦新感覺派だつた名譽を記憶してゐる者である。のみならずその新感覺派は彼に遂に不名譽な名前の下に沒落した。沒落したのではなく今も猶彼の文章の中に連綿として續いてゐる。何人もその文章の初期的情熱の中には何時も此新感覺派の潑刺《はつらつ》たる勇氣を持つてゐるものである。
彼も亦新進の氣勢《きせい》の下に腕の續く程度で、書き續けた男だつた。何等の後悔なしに彼は殆ど野性的にさへ諸作品を公にした。後世に問ふ作品を書かうといふ氣持よりも、殆どその時代に滅亡する潔《いさぎよ》さを標準としてゐた。標準としたよりも寧ろ彼は「彼のうたかたの世」の厭世的な氣持の上で、何時《いつ》亡びてもよい覺悟と性根とを持合してゐた。併し歲月の辛辣な剌戟と抱負とは、滅びてもよいが亡びるまでの重厚を彼に加へた。彼とともに彼の作品の亡びることはいいが、亡びて後にも遣つてもゐない幅と奧行とを考へさせた。
詩人である彼は當然詩作品が後世に遺《のこ》ることは信じてゐる。又彼の詩よりも一層微妙な發句が燦然《さんぜん》として或光芒を彼の背後に曳くことも信じて疑はない。併乍ら多くの小說作品の遺るか否やといふことを考へると、何時も後悔と口惜しさと憂苦《いうく》とを感じさせた。彼の内の或物は殘るだらう、然し或物は殘らないであらうといふ疑惑と不安とは、彼の詩や發句を信賴する程度の平安と信仰とを與へなかつた。これは卑屈な謙遜ばかりではなく、彼を根本的に悲觀させる最大のものだつた。彼は彼自身を建て直すべきであることは勿論、最《も》う揮《ふる》ひ立つべきものだつた。彼はそれらび氣持の下にどれだけ又新しい努力をしたことか分らない。その努力と精進の頂《いただき》に立つところの彼は矢張り詩や發句の殘る意味をもその小說作品の上に信じなければならなかつた。然しそれは到底苦痛に近かつた。
あらゆる作品を通じていい加減に書いたもの程、動機に深い考へを入れなかつたもの程彼を後悔させるものはなかつた。不幸にも彼はその折折心をこめて書いたものも、今は單なる後悔を誣《し》ひるものばかり彼の身邊に押寄せてゐる。
[やぶちゃん注:「誣ひる」事実を曲げて言う。作り事を語る。「强(し)ひる」と同語源。]
詩は彼の小說に相應《あひあ》はぬ心の風俗や溜息を盛るに便利だつたし、小說は又人生の荒涼を模素するに役立つことは實際だつたが、本來はその孰れをも手離し兼ねるのだつた。詩は詩のいとしさを小說は小說の親密を持合《もちあは》し囁《ささや》き合《あひ》してゐた故、彼はその一つを捨て一つを樹《た》てることが出來なかつた。小說を書くために詩情や幽思《いうし》[やぶちゃん注:静かにものを思うこと。]を荒唐《くわうたう》にする惧《おそ》れはあつても、詩を捨てることが出來なかつた。かれらは孰れも姉妹のごとく相離《あひはな》れられないものだつた。彼は小說家であり詩人であり同時に俳人であり得てもよかつた。併しそのためにより小說家でありより詩人である必要はなかつた。
七 再び人氣について
改造社の文學全集は何故か豐島與志雄や加能作次郞や宮地嘉六の諸先輩と同樣、その作品の編入を美事に超越した。自分の諸作品の特色や存在は決して全集にある諸君に劣るものではない。寧ろその傾向と特質の相違は或意味に於て逸早《いちはや》く全集に編入し、此存在を記錄すべき必然性のあるものであつた。
ひとり改造社の手落ばかりでなく明治大正文學の一旗幟《いちきし》を等閑《なほざり》に附したと云つても過言ではなからう。これは自分ばかりの考へではなく、何人《なんぴと》の考への中にも比較的靜かに首肯《うなづ》れるべきより多き可能性のある事實であらう。
加能作次郞の如きはその溫籍《うんしや/おんしや》の文章結構や文章世界編輯當時に於ては、可成りに高い諸作品を公表してゐる。宮地嘉六の如きもその最近の作品にはずば拔けて佳《よ》いものがある。豐島與志雄も亦新思潮派の一將たることは何人も知るところである。これらの諸先輩の作品を編入すること無きとき、これらの事實をも他の編入された諸君子は氣附かれなかつたであらうか。諸君子は相語り合ひ又己をのみでなく極めて地味な作家のために一容言を試みなかつたであらうか。改造社の全集は改造社のものであり得ても亦同時に全文壇の全集でなければならぬ。斯ういふ時、遠く社會から隔れてゐる諸作家は各自に相伴《あひともな》ふ心を持つことは、文壇人として當然のことであらう。又武士は相互ひと云ふことを知らなかつたのであらうか。改造社も亦再考の上これらの特色ある作家の作品をも、その全集に再編の上《うへ》後代の史傳的編者の憂《うれひ》を除くことに努めねばならぬ。
[やぶちゃん注:「溫籍」心が広く、包容力があって、優しいこと。]
我我の心がけることは人氣すくなき作者の作をも絕えず注意せねばならぬことである。これは一個の室生犀星ばかりでなく、凡ゆる場合に眼を放してはならぬことである。編輯者はあらゆる慘忍なる編輯者であり、同時にあらゆる目をこまかく作者の上に注がねばならぬ情熱の編輯者でなければならぬ。
八 彼の二つの面
彼の作品は人生に卽したものと、又別樣《べつやう》の風色的《ふうしよくてき》なものとの二面がある。彼は所謂熾烈な熱情的な作者ではない。彼らしい靜かさに映るもののみを克明に描くことに據《よ》つて彼は滿足してゐる。彼は藝術的な露骨な勇躍を試みることの危險を恐れてゐる者ではなく、何よりも彼以外の物に親しみを有《も》つことを好まないからである。彼に親しみのない人生は遂に彼に取つて氣の進まない人生である。まだ彼は作品によつて救ひを人生に求めたことは曾て一度もない。「彼は柔かに物語る」以外「說明しよう」氣はないのである。
彼は時折風色ある人生を物語るときは失敗してゐない。人生を人生としてそのまま生《なま》に取扱《とりあつか》ふ時は失敗してゐる。彼の焦繰《もど》かしさもここにある。低迷してゐる彼はいつも人生の作者として物足りなさを常に感じてゐる。
彼は彼の色附《いろつき》の人生を振り捨てようとしながら、それに敢然たることを得ないでゐる。その作品は靑年諸君に取つてなくてならぬものではなく、どうでもよい作品のやうである。併しこのどうでもよい作品すら彼には無くてはならぬ作品である。かういふ氣持を感じながら猶己れを持《じ》すことを捨てない。
竹林の中の聖人のやうにそんなに人生を諦めてゐる譯ではないが、彼の心底はエゴに固まり膠《にかは》づいてゐる故、滅多に感じないだけである。彼は彼だけの人生をもちながらそれ以外用なき人生へは這入《はい》つて行かない。彼が時代遲れの輩の如く社會主義なぞに興味をもたないのも、エゴが固まり過ぎた故であらう。或は詭辯《きべん》を弄するならば彼の靜かさを索《たづ》ねてゐる暮しも、所詮此《この》止み難きエゴの發作より外にはなからう。彼は孤獨と寂漠の罪に問はれて其昔の人のごとく或者の處刑《しよけい》を受けるとしたら、とうの昔に受刑されてゐる「箸にも棒にも」かからぬ我儘者であつたであらう。孤獨は或意味で社會主義者よりも油斷のならない恐るべき代物かも知れぬ。
九 彼の將來
特に大した將來の光輝もなく一凡化としての彼は彼の成就することに據り、目立たぬ程度で其存在を續けて行くであらう。彼は現在の彼より餘程しつかり者になるだらう。彼は人目に解らぬ進步や勉强をするだらう。彼は彼の氣持の中でのみ幾度か變貌もし又改められた「新鮮」をも發見するであらう。
彼の發句や彼の「人物」は恐らく漸次に極めて鈍重に出來上つて行くであらう。大槪の場合負目を取らぬ男になるだらう。彼は自身でも驚く位老實の烈しさを感じるであらう。
彼の小說は益益面白くなくなるであらう。併し彼の仕事は粗雜な危期を通り越してゐる爲、讀者は彼へのみの「安心」の情を施して讀むやうになるであらう。彼は貧乏するやうになるであらう。貧乏は彼を壯年期の中で再び烈しく舞はしめ鬪はしめるであらう。彼は鳥渡《ちよつと》位《ぐらゐ》その目付が變るかも知れぬやうになるであらう。
所詮一凡化の作者としての彼はそれ以外を出ないに決つてゐる。彼は疊の上で天命を俟《ま》つの凡夫に違ひない。頓死するやうなことがあるかも知れぬ。人知れず死ぬやうになるかも知れぬ。ともあれ彼は彼だけの一俊峯《いちしゆんぽう》たる自負の下《した/もと》に、その意味では何人《なんぴと》の背後にも立つことは無いであらう。
さういふ自信は彼をして可成りな自尊心を高めるであらう。彼は彼の稟性氣魄の世界でのみ傍若無人の頂《いただき》にかじりついて、人生の風雪の中を往《ゆ》くだらう。あらゆる輕蔑に酬《むく》ゆるにも最早彼の後方への唾《つば》は、砂礫のやうなものに變化してゆくであらう。何事も彼は決して油斷することなき「彼」への勉强を怠らぬやうになるであらう。老ゆると同時に若くなり烈しくなるであらう。行け! そして靑年期の末期にもう一度揮《ふる》ひ立つことを忘るるなかれ。而して誰でも氣の附くその末期的《まつごてき》勇躍の下に行け!
[やぶちゃん注:個人的には、本書の中で厭な印象を全体に感ずる章である。犀星は、高い確率で、本章を芥川龍之介の禍々しい憂鬱なる遺稿「或阿呆の一生」(リンク先は私のサイト版一括)を意識的に真似していると思う。〈健康な芥川龍之介〉が自身で「芥川龍之介論」をやらかしたら、こんな代物になる気がするのである。
以下、奥附。字配やポイントの違いは一部を除いて再現しなかった。配置・罫線等は、底本の当該部の画像を見られたい。上部から下部、左奥の順で電子化した。]
昭和四年二月 八 日 印刷
昭和四年二月二十一日 發行
版 權
所 有
(新榮社製本)
[やぶちゃん注:以上は全体の二重罫線外下方右側に記されてある。]
天 馬 の 脚
定 價 金 貳 圓 五 拾 錢
著 者 室 生 犀 星
發行者 山 本 美
東京市芝區愛宕下町四丁目六番地
印刷者 椎 名 昇
東 京 市 芝 區 田 村 町 十 五 番 地
[やぶちゃん注:以下の一行は全体の二重罫線外下方に右から左に記されてある。]
二葉印刷合資會社印刷
發兌 東京市芝區愛宕下町 改 造 社
四丁目六番地
振替 東京 八四〇二番
{ 一 一 二 一 番
電話芝(43){ 一 一 二 二 番
{ 一 一 二 三 番
{ 一 一 二 三 番
[やぶちゃん注:「電話芝(43)」は実際には四つの電話番号の中央位置で、「{」三つは実際には大きな一つ。]
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