《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) 鏡花全集の特色
[やぶちゃん注:先に電子化注した「芥川龍之介 鏡花全集目錄開口 (正規表現版・注附)」と同じく、大正一四(一九二五)年五月『新小説』の巻末広告ページに他の参訂者は五人連名中に初出されたもの。底本は岩波旧全集第七巻(一九七八年二月刊)に拠った。]
鏡花全集の特色
一 作品 泉先生の作品は小說、戲曲、隨筆の三方面に亙り、何れも天下無双の光彩を放つてゐる事は贅言するを待たないであらう。其取材構想は或は市井任俠の譚を捉へ、或は深山幻怪の事に及び、或は閨閤子女の情を寫し、あらゆる自然、あらゆる人生、あらゆる社會相を網羅してゐる。其又筆致行文は絢爛と蒼古とを併せ俱へ、殆ど日本語の達し得る最高の表現と稱しても好い。加之颯爽たる理想主義的人生觀は到る處に光芒を露し、如何に此偉大な藝術家の背後に偉大な思想家があるかを示してゐる。卽ち「鏡花全集」十五卷は明治大正の文藝のみならず、日本文藝の建造した一大金字塔と言はなければならぬ。
二 編輯 編輯は泉先生自身之に從ひ、小山内薰、谷崎潤一郞、里見弴、水上瀧太郞、久保田萬太郞、芥川龍之介の諸氏が參訂の任に從つてゐる。泉先生の著作年月は三十餘年の久しきに亙つてゐるから、作品の敷も五百餘篇に及び、新聞雜誌に揭載された儘、單行本にならぬものは甚だ多い。泉先生の編輯方針はそれ等の斷簡零墨をも一つ殘らず集めた上、全體を小說、戲曲、隨筆の三方面に分ち、各方面それぞれ年代順に作品を排列する計畫である。卽ち「鏡花全集」十五卷は天才泉先生の精進の跡を示すのみならず、近代日本文藝史の最も光彩陸離たる一頁を造るものと言はなければならぬ。
三 校正並びに印刷の體裁 校正並びに印刷の體裁等は小村雪岱、濱野英二の兩氏之に當り、職業的義務心を超越した獻身的情熱を注いでゐる。兩氏とも泉先生に親炙する事多年、先生の人格藝術に至大の尊敬を抱いてゐるから、坊間行はれる「全集もの」の校正並びに印刷の體裁とは自ら同日の談ではない。卽ち「鏡花全集」十五卷は字字魯魚の誤を脫し、行行珠璣の觀を具へた萬古の定本と言はなければならぬ。
[やぶちゃん注:「閨閤」「けいかふ」(けいこう)は「閨房」と同じく「寝所」の意だが、特に「女子の居間」。転じて「女子」の意で、以下の「子女」との畳語。
「濱野英二」(生没年未詳)は編集者。早稲田大学英文科卒。明治四三(一九一〇)年に雑誌『金と銀』(後に『象徴』に受け継がれた)を鈴木十郎・牧野信一らと創刊した。泉鏡花の崇拝者で、後、この春陽堂版『鏡花全集』の編纂の中心的立場に立っていた(以上は岩波新全集の「人名解説索引」に拠った)。
「行行珠璣」「ぎやうぎやうしゆき」「珠璣」まるい玉(ぎょく)と角ばった玉。大小様々な美玉で、宝玉のような美しい文章を指す。]
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