大手拓次 「こゑ」
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の編年体パートの『『藍色の蟇』以後(昭和期)』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、大正一五・昭和元(一九二六)年から昭和八(一九三三)年までの、数えで『拓次三九歳から死の前年、すなわち四六歳までの作品、四九四篇中の五六篇』を選ばれたものとある。そこから原則(最後に例外有り)、詩集「藍色の蟇」に含まれていないものを選んだ。この時期については、本パートの初回の私の冒頭注を参照されたい。]
こ ゑ
こゑは つぼみのあひだをわけてくる うすときいろの霧のゆめ、
こゑは さやいでゐる葉の手をのがれてくる 月色の羽音(はおと)、
こゑは あさつゆのきえるけはひ、
こゑは こさめのふりつづく若草の やはらかさ、
こゑは ふたつの水仙の指のよりそふ風情、
こゑは 月ををかしてとぶ 鴉(からす)のぬれいろ、
こゑは しらみがかつてゆく あけぼのの ほのむらさき、
こゑは みづをおよぐ 銀色の魚の跳躍、
こゑは ぼたんいろの火箭(ひや)、
こゑは 微笑の饗宴。
[やぶちゃん注:「うすときいろ」「薄朱鷺色」。我々が絶滅させてしまったトキの風切羽のような少し黄みがかった淡く優しい桃色のさらに薄いもの。
「鴉(からす)のぬれいろ」謂わずもがなであるが、カラスの羽が濡れたように光る艶のある黒色を指し、特に本邦では、古えより、女性の最も美しい黒髪の美称名でもある。]
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