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2023/05/01

「教訓百物語」上卷(その2 白狐に化かされる人生)

 

[やぶちゃん注:「教訓百物語」は文化一二(一八一五)年三月に大坂で板行された。作者は村井由淸。所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」の校訂者太刀川清氏の「解題」によれば、『心学者のひとりと思われるが伝記は不明である』とある。

 底本は「広島大学図書館」公式サイト内の「教科書コレクション画像データベース」のこちらにある初版版本の画像をダウン・ロードして視認した。但し、上記の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)の本文をOCRで読み込み、加工データとした。

 本篇は、書名からして「敎」ではなく、現在と同じ「教」の字を用いているように、表記が略字形である箇所が、ままある。その辺りは注意して電子化するが、崩しで判断に迷った場合は、正字で示した。また、かなりの漢字に読みが添えてあるが、そこは、難読或いは読みが振れると判断したもののみに読みを添えた。

 また、本書はこの手の怪談集では、例外的で、上・下の巻以外には章立て・パート形式を採用しておらず、序もなく、本文は直にベタで続いているため(但し、冒頭には「百物語」の説明があって、それとなく序文っぽくはあり、また、教訓の和歌が、一種のブレイクとなって組み込まれてある)、私の判断で適切と思われる箇所で分割して示すこととし、オリジナルなそれらしい標題を番号の後に添えておいた

 読み易さを考え、段落を成形し、句読点も「続百物語怪談集成」を参考にしつつも、追加・変更をし、記号も使用した。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので正字化或いは「々」等に代えた。ママ注記(仮名遣の誤りが多い)は五月蠅いので、下附にした。]

 

 扨(さて)、或る所に、白狐(しろきつね)を嫁に取(とつ)て、家内(かない)が、ばかされた。

 旦那どのが、一番に化(ばか)されて、其狐のいふ通りをして御座(ござ)る。

「江戶づま。」

「ハイハイ。」

「芝居行き。」

「ハイハイ。」

「びろどの帶。」

「ハイハイ。」

 何でも、

「ハイハイ。」

 異見する者が有(ある)と、ひまを出(いだ)し、出入り、さしとめ。

 商賣、休んで、其狐と、每日每日、まゝ事(ごと)ばかりして御座る。

 〽氣もしらで顏に化され嫁とつて跡でこんくわひすれどかへらず

[やぶちゃん注:「こんくわひ」「吼噦」で、正しい歴史的仮名遣「はこんくわい」。古く狐の鳴き声のオノマトペイアであったが、それが転じて、「狐」のことを指すようになった。ここはそれに「後悔(こうくわい)」を掛詞にしたもの。]

 扨、此狐めが化しをるのは、先(まづ)、紅白粉(べにをしろひ[やぶちゃん注:ママ。])で年を化(ばか)し、梅花(ばいくわ)の、丁子(てうじ)の、松がねの、といふもので、髮を化し、「かもじ」のそへの、びんみの、もつそふの、一(いち)の輪(わ)、二の輪、かりわげ・前髮・へたなしの、或(あるひ[やぶちゃん注:ママ。])は、びんはり・つとはり・突棒(つくぼう)・差股(さすまた)などゝ、皆、やとひ人(ど)で、あたまをばかし、度々(たびたび)着替へる衣しやうの七(なゝ)ばけ、正味(しやうみ)の所は、ちつと斗(ばか)りで、みな、やとひ人(ど)に化されてゐる。

[やぶちゃん注:「梅花」以下は簪(かんざし)の型の呼び名であろう。「梅花」は梅の枝に花の咲いた形のそれ、「丁子」はクローブ(チョウジノキ)の花蕾の頭の丸い釘型形のそれ、「松がね」は松の葉のような二叉のそれであろう。「まつがね」は思うに、「松が根」では風流でない。「松が音(ね)」で所謂、「松籟」(しょらい)に掛けた雅びな呼称であろう。

「びんみの」「鬢蓑」。前の「髲(かもじ)」と同じで、髪が豊かでない婦人がつける添え髪の一種で、蓑のような形をしたもの。「假髻」とも漢字表記し、それをまた、「すゑ」とも読む。参照した「精選版 日本国語大辞典」に画像がある

「もつそふ」よく判らないが、「物相・盛相」ではないか。「相」は「木型」を謂う語で、通常は飯を盛って一人分の量をはかるための、円筒形の曲げ物の器を指すが、ここでは、髪を膨らませて高くするために、髪や髲の中に入れておく木製の曲げ輪型の補助具を言っているように私には思われる。

「かりわげ」「假髷」か。髷(まげ)は「髪を頭頂に束ね、髻(もとどり)を結ったものを折り返したり、曲げたりした部分」を言うが、これを上方では「わげ」と読んだ。「假」は本格的に形成せず、簡易に、の意で添えてみた。見当違いで「雁髷」かも知れない。「刈髷」ではあるまい。

「へたなし」「蒂無し」か。アクセントのピン・ポイントの飾り具がない髪型か?

「びんはり」「鬢張り」。鬢の中に入れて、左右に張り出させるために用いた道具。鯨の髭や細い針金などで弓のような形に作った。これを江戸では「鬢差(びんさ)し」と呼んだが、それを上方では、かく称したのである。

「つとはり」「髱・髩」で、襟足に沿って背中の方に張り出させた部分の名称。江戸では「たぼがみ」・「たぶ」と呼んだが、上方では「つと」と言った。参照した「goo辞書」のこちらに解説画像がある。

「突棒・差股」以上と並置されているから、張り出させた髪型の形状の比喩名称であろう。

「やとひ人(ど)に化されてゐる」これは、雇い入れた女のための「髪結い」によって、家内の連中が、その髪結いの技によって「化かされている」という二重性を言ったもの。]

 〽色といふうはべの皮にはまりては世を渡らずに身をしづめけり

 御先祖が、壱文、二文から組み上げなされた、皆、汗、油じや。

 それを、おしげ[やぶちゃん注:ママ。]もなふ、づかづかと遣ひ、へうして、樂しみとして居(い[やぶちゃん注:ママ。])る。

[やぶちゃん注:「へうして」「僄す」でサ行変格活用の動詞。「見下す・侮(あなど)る」の意。]

 『團子じや。』と思ふて、馬の屎(くそ)を喰ひ、小便(しやうべん)を酒にして、のみ、仕𢌞(しまひ)[やぶちゃん注:漢字も読みもママ。]には、土坪(どつぼ)の中へ這入(はいり)て、行水(ぎやうずい)するきたない事のあり条(でう)。目が覺めたら、出來る仕事じや、ない。

[やぶちゃん注:「土坪」「土壺」に同じ。そう! そう思われた通りで、狐に化かされて入る「肥溜め・糞壺」のことである。]

  〽一口に取(とつ)て噛(かむ)のは目にみへず三味線かじる鬼ぞ恐ろし

  〽酒くんで三味線(さみせん)引(ひい)て氣をうばひ人を取喰(とりふ)鬼の多さよ

  〽目には色(いろ)耳にやさしき三味の手に引(ひれ)て更に鬼と思わず[やぶちゃん注:ママ。]

 皆、向(むか)ふは、天命の職分、口過(くちすぎ)じや。

[やぶちゃん注:「口過」生計。生業(なりわい)。ここは妖狐のそれ指している。]

 其所(そのところ)へ、「我(われ)」といふ骸(からだ)を、こしらへて、喰(くは)れに行(ゆく)。

 後には、家屋敷・土藏まで、醬油かけて、してやらるゝ、人を取喰(とりく)ふ鬼の多さよ。

[やぶちゃん注:「醬油かけて」「うまく」(旨く・上手く)自分のものとして、貪り食うのに、塩梅よく味付けをしてという換喩表現。]

 子供が隱れんぼするに、

「もふ、よい。」

と、いふと、鬼めが、つかまへに來る。

「息子には、嫁をとり、孫子(まご)もできた。商賣も、次第に、仕似(しに)せた。是れから、隱居するばかりじや。金の步(ぶ)も、一日に何(なに)ほどづゝ、這入(はいつ)て來る。もう、是れでよい。ヤレ、嬉しや。」

といふが最後、もう、鬼めが、つかまへに來る。

 孫がわづらふか、息子が錢を遣ふか、嫁が死ぬるか、損をするか、家内に、色々樣々(いろいろさまざま)の災ひが、起つて來(く)る。

 是れが、人をだましても、こかしてもして、やらふやらふの、むくひが、來たのじや。

[やぶちゃん注:「鬼めが、つかまへに來る」寿命の切れるのが近づくこと。

「やらふやらふ」「遣らふ遣らふ」で、嘗つて白狐に騙されて、雇人たちを、「ことあるごとに」「追放した」ことを指していよう。]

  〽もふよいと思ふが直(じき[やぶちゃん注:ママ。])に地獄道(みち)鬼の來(こ)ぬ間(ま)にせんだくをせよ

[やぶちゃん注:「せんだく」「洗濯」。]

 「せんだく」とは人欲(じんよく)の心を改むるのじや。戰々競々、愼しみが大事。

  〽狐よりこはき[やぶちゃん注:ママ。]は金(かね)と色(いろ)と名(な)とおふかた是れに化されぞする

[やぶちゃん注:「おふかた」これ歴史的仮名遣の誤りではなく、確信犯のように感じる。狐よりももっと恐ろしい現実の「金と色と名と」を背「負(お)ふ」に、「おほかた」(大方)と掛詞としたものだろう。]

 六根淸淨、内外淸淨(ないげしやうじやう)、日々(ひゞ)に、新たに、「せんだく」をするのじや。

  〽狐狸(きつねたぬき)金と色とに科(とが)はなし化さるものゝ科と知るべし

 とうとう[やぶちゃん注:ママ。]、ぢいばゝ、化(ばか)さるゝ此(この)化(ばか)す物(もの)をしらずに、銘々に、一生の間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])くらがり住居(すまい[やぶちゃん注:ママ。]

  〽くらきよりくらき道にぞ入りにけり其くら闇に迷ふくらやみ

  〽うかうかと火宅(くわたく)の世話を燒(やく)うちについ灰(はい[やぶちゃん注:ママ。])となる身とはしらずや

 くらがりから、闇がりへ、迷ひ、地獄の釜こげになるとは、あんまり悲しい事じや。

[やぶちゃん注:「こげ」「焦げ」。亡者が微小な釜の底の「こげ」になっても、地獄の陰風が吹けば、元の亡者に戻るのは御存じの通り。]

 どふぞ[やぶちゃん注:ママ。]、どなたも、本心を知つて、御(ご)らふじませ。化して、人がしれる。此(この)化(ばかして[やぶちゃん注:送りがなを振っているのはママ。])人をしらんと、いきを引(ひき)たくつてしまはれても、どふも、仕樣事(しやうごと)が、ない。

 どれほど我(が)のつよい人でも、其時に、「おれが、おれが、」は、間にあはぬ。役に立たぬ。或る人、道歌に、

  〽化もの化ものにする化物がついそばに居(い[やぶちゃん注:ママ。])る油斷めさるな

[やぶちゃん注:「其時」末期(まつご)の時。]

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