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« 佐々木喜善「聽耳草紙」 八二番 狐の報恩 | トップページ | 「近代百物語」 巻二の三「箱根山幽靈酒屋」 /巻二~了 »

2023/05/20

「近代百物語」 巻二の二「貪慾心が菩提のはじまり」

 

[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注を始動する。

 底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 本「近代百物語」について及び凡例等は、初回の私の冒頭注を参照されたいが、この第二巻は以上の通り、欠損しているため、「続百物語怪談集成」の本文を参考に、手入れは初回通り、漢字を概ね正字化し(第一巻の表記は敢えて参考にしなかった。例えば、「鼡」とか「礼」などを指す)、自由に句読点・記号を追加・改変して、段落も成形した。また、そちらにある五幅の挿絵をトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 

      二 貪慾心が菩提のはじまり

 

 橫死するもの、皆、慾より出でずといふ事、なし。

 おのれが罪、おのれを責む。世をも、人をも、うらむまじ。

 善惡ともに、身よりつくり、天、これを賞罰す。

 其よくを、つゝしむ時は、橫難(わうなん)の災(さい)は、まぬがるべし。

 

Sumou

 

[やぶちゃん注:キャプションは、

   *

欲(よく)といふ化物(ばけもの)こそ

世におそ

ろしき物(もの)

なれ是(これ)の

變(へん)じえさま

さまのさつくり

こと變化(へんげ)をなす

        こと

 すさまし

    あれ

《持ち上げられた刀豆銀の台詞。》

これは

かな

 はぬ

《持ち上げている小判の台詞。左足の脇。》

これわい

    な

《一本足の行司の足下。》

 すまふ

   *

またしても、この幅は本文に付随している感じではない。]

 

 今はむかし、伏見の里七瀨川(なゝせがは)のかたほとりに、大津屋六兵衞とて、菜(な)・大こんなど、うりありき、あるひは、飛きやく、又は、煤(すゝ)はき、葬送のちやうちん持ち、あると、あらゆる、かせぎなりしが、女房は、「おまつ」とて、あたりとなりの買物づかひ、芝居の供に、やとはれなどして、貧しくゝらす夫婦ありしが、しだひに、身上(しんしやう)あつくなりて、家屋しきなど、買ひもとめ、金銀、よほど、取りさばき、家質(かじち)など、かし、商買、手ひろく、不自由なる事なき身となりしが、六兵衞、五十一歲なれども、一子(し)もなくて、これを歎けども、そのかひもなく、すぎ行きける。

[やぶちゃん注:「伏見の里七瀨川」現在の京都府京都市伏見区竹田七瀬川町(たけだななせがわちょう:グーグル・マップ・データ)。]

 そもそも、此六兵衞夫婦が、貧窮の身の、今のごとく繁榮せし事、「おまつ」が强慾無道より、取りあつめたる金銀なり。

 まづ、六兵衞妻、まづしきとき、近所にやとひて、よろづの物を買ひにやれば、その代物(しろもの)の高(たか)に應じて、二、三錢より、あるひは、十錢、それそれに、かすめ取り、縫物にやとはるれば、中綿・糸など、ぬすみ取り、往來するにも氣をつけて、しらぬ人の家へ立ちより、

「たゞ今、道にて、犬におどされ、これまで、にげて參りました。かへりにも、また、かみ付きましよ。御無《ごむ》しんな事なれども、割木(わり《き》)、一本、下さりませ。おどしのために、いたしたい。」[やぶちゃん注:「御無しんな事なれども」「無しん」は「無心」。「そうした御意志は、一向、おありにならないことではありましょうが」の意。]

と、人の心のつかぬ盜み、我が家よりは、尻(しり)きれ草履(ざうり)、みちにて、餘所(よそ)の中場(《うち》にわ[やぶちゃん注:ママ。])ながめ、鹽目(しほめ)のよき草履あれば、何くはぬ顏つきにて、

「此あたりへ、あとの月《つき》、宿(やど)がへして參られました『玉や五兵衞』と申す人は、此お長屋には、御ざりませぬか。」

と、いふうちに、そつと、はきかへ、又は、つかひに、やとはれゆくにも、心やすき出入りの家へ、五、六けんも立《たち》よりて、

「寺參りに出ましたが、近所の子たちへ、土產にせんと、まんぢう買ひによりましたれば、わたくしとした事が、いつの間にやら、はな紙、おとし、手に持ちても、かへられませず。其はな紙、二、三枚、おくれなされ。」[やぶちゃん注:「はな紙」ここは「財布」のこと。数枚の鐚銭(びたせん)を所望しているのである。]

と、手を出だせば、誰(たれ)ともに、氣のつかぬ所へ、付けこむ事なれば、

「それは、御なんぎ。お心やすきことや。」

とて、四、五枚、やれば、

「これは、これは、わりない御無しん申しまし、おかたじけなふ、ござります。」

と、門(かど)ぐちへ出て、胸算用(むなざん《よう》)、五軒で、たしかに十、一、二錢。

 油を、たのめば、一升で、一合ばかり、我がものに。

[やぶちゃん注:「わりない」「理無い」。道理に合わない、理屈が通らぬ。「無しん」同じ「無心」であるが、ここは「人に金品をねだること」を指す。]

 客ある家より、たのみにくれば、

『これは、せんぎならぬとき。』

と、一升で、二合も、かすめ、その外、醬油・茶にいたるまで、無事《ぶじ》じや、とをさぬ、大慾しん。

[やぶちゃん注:「せんぎならぬとき」「詮議ならぬ時」。客に即座に出すものであるから、いちいち、その量を調べたりする暇はないから、誤魔化すに絶好の機会だ、という意。]

 なかんづく、誰(たれ)にか、習ひし、「おろし藥」の方(はう)をおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]、くすりを合せて、賣り、ひろめ、高値(かうじき)に、代銀、うけとり、古今無双のどんよくより、つくりあげたり、今の身上《しんしやう》。

[やぶちゃん注:「おろし藥」堕胎薬。]

 ある夜、六兵衞夫婦のもの、いつものごとく臥(ふ)したりしに、牛頭馬頭(ごづめづ)の鬼、來たり、

「六兵衞妻、たしかに聞け。閣魔王の仰せあり。これへ、出でよ。」

と、よばゝれば、

「何事やらん。」

と出でけるに、鐵(くろがね)の盤(はん)をすへ、

「いそぎ、これへ、あがれよ。」

と、手を取りて、引きあぐれば、何心なく、乘りうつれば、手とり、足とり、引きたをし[やぶちゃん注:ママ。]、上より、きびしく、盤をのせ、

「なんぢが罪科(つみとが)、いふにおよばず。おもひしれ。」

と、いふまゝに、くろがねの棒をもち、

「エイ。」

と、いふて、締めければ、骨は、みぢんに、おしくだけ、脂(あぶら)は、ながれて、瀧のごとく、

「あらくるし、たへがたや、」

と、もだへ、さけぶありさまを、六兵衞、見るに、痛はしく、

「何とぞ、これを助けん。」

と、走りよれば、あしもとより、俄(にわか)に、火焰(くはゑん)、もへあがり、只、くるしみの聲のみ聞へて、姿も見へねば、せんかたなく、むねも張りさく、其かなしさに、夢はやぶれて、側(そば)にふしたる「おまつ」を見れば、手あしを、ひろげて、くるしき息《いき》ざし、六兵衞、急に、だきおこし、

「夢はし見つるか、氣を、つけよ。」

と、水など、用ひて、正氣にかへれど、夫《をつと》へ恥ぢて、かたらねば、夫も遠慮し、たづねもせず。

[やぶちゃん注:「夢はし」の「し」は強意の副助詞。]

 とやかくとする中《うち》に、夜《よ》は、ほのぼのと、あけわたり、夫は家業に取りかゝれば、「おまつ」も世事(せじ)に取りまぎれ、夢もわすれて、其日も、くれ、いつものごとく、ふしけるに、また、前の夜にかはらぬ夢、それよりは、うちつゞき、十日ばかりも每夜(まいや)のせめに、心身(しんしん)つかれ、おとろへしかば、醫藥(いやく)をつくせど、しるしも、なし。

 

Daibutu

 

[やぶちゃん注:キャプションは、

   *

地(ぢ)ごく極乐(こくらく)

    遠(とを[やぶちゃん注:ママ。])きに

 あらず

  見る事

 恐(おそ)れ

   ずんば

 後(のちの)

  悔(くやみ)

 近

  かるへ

  し

《殿の手前(下方)。》

大きな

 もの

  じや

《堂の階段を上っている参詣人の台詞。左から右へ。》

      ふ[やぶちゃん注:ママ。]

    はいら

ごくろさん

   *

最後の三行は自信なし。まあ、意味は通るが。なお、右手の「もちや」に「大佛」とあり、大仏殿の形状から、奈良の東大寺らしい。]

 

 「おまつ」は、一ねん發起して、なみだをながし、夫にむかひ、

「今般(このたび)のびやう氣のしな、醫術・祈禱のちからによつて、ほんふくすべき事には、あらず。みな、これ、我が身の惡事のつもり。死するいのちは、おし[やぶちゃん注:ママ。]からねど、ながく、地獄におち入りて、苦患(くげん)をうけん、おそろしさよ。すぎしころより、うちつゞき、かやうかやうの夢のせめ、身におぼへある事なれば、かなはぬ事とはおもへども、今より、こゝろを、ひるがへし、佛道にこゝろざし、諸こくの靈佛靈社をめぐり、罪(つみ)をも、たすかり申したし。今日《けふ》より、わが身に、いとまを、たべ。」

と、ふししづみ、なげきければ、六兵衞も、なみだながら、

「これまでは、其方が、はぢなん事を、おしはかり、しらぬがほして居《ゐ》たりしが、われも、かはらぬゆめの告げ。これも、ひとへに、『夫婦のもの、佛所にみちびきたまはん。』との、彌陀、方便(《はう》べん)の慈悲なれば、われも、ともに。」

と、もとゞり、おしきり、家財、のこらず、家僕(けらい)につかはし、すぐに旅路におもむきて、四國・西(さい)こく・諸こくの靈場靈佛とだに、聞きおよべば、あるひは、護摩堂を、こんりうし、永代燈明(えいたいとうみやう)、きしんして、その外、貧寺(ひんじ)の破そんを修造(しゆぞう[やぶちゃん注:ママ。])し、まづしきものには、金銀をあたへ、心のまゝに善事(ぜんじ)をなして、「おまつ」は信州善光寺のふもとに死すれば、六兵衞も、また、その所に、いほりを、もとめ、一生、ねんぶつ、おこたりなく唱へて、うき世をすごしけるとぞ。

 

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