「近代百物語」 巻五の二「猫人に化して馬に乘る」
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注である。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。なお、本篇には挿絵はない。]
猫(ねこ)人に化(け)して馬(むま)に乘る
奧州、「しのぶもじずりの石」の事は、みな人の、よく知る所なり。
[やぶちゃん注:この石については、私の「諸國里人談卷之二 文字摺石」、及び、の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅21 早苗とる手もとや昔しのぶ摺』を参照されたい。]
其ほとりに、玉笹立左衞門(たまざゝりう《ゑもん》)といへる鄕士(かうし[やぶちゃん注:ママ。)あり。
武勇、たくましく、其へんにて、人にしられたるもの也。
ひとつの名馬をもちて、はなはだ、愛育す。
ある日、朝、とく、馬飼(むまかい[やぶちゃん注:ママ。])、おきて、見るに、其馬、くひ[やぶちゃん注:ママ。「くび」(首)。]を、櫪(むまふね)にたれて、汗、ながれ、あへぐ事、遠路(ゑんろ)を馳(はせ)たるときのごとし。
[やぶちゃん注:「櫪(むまふね)」「馬槽」とも書く。馬の飼料を入れる「かいばおけ・まぐさ入れ」のこと。]
馬飼、おどろき、
「誰(たれ)か、馬を盗みて、夜(よる)、出《いで》たるや。」
と、うたがひて、翌朝(よくてう)、馬を見るに、又、汗して、あへぐ事、きのふのごとし。
あやしく思ひて、夜、其ほとりにふして、ひそかに是れを伺(うかゝ)ふに、内に飼(かい[やぶちゃん注:ママ。])をきける「黑ねこ」、厩(むまや)の内に來り、ほヘ[やぶちゃん注:ママ。「吠え」。以下同じ。]、おどりて、俄(にわか[やぶちゃん注:ママ。])に、わかき男のかたちに化(け)し、衣冠、みな、くろし。
馬に、くら、をき[やぶちゃん注:ママ。]、乘りて、出《いづ》る。
門、はなはだ、高し。
鞭をもつて、馬にあつれば、おどつて、門を、はねこへ[やぶちゃん注:ママ。]て、去る。
あかつきにおよんで、かへり、すなはち、馬より下(を[やぶちゃん注:ママ。])り、鞍を、とき、又、ほへおどつて、もとの猫となり、常のごとし。
馬飼、人にも語らず、おどろき、あやしみて、又、あくる夜も伺ひ、馬に乘り出《いづ》るあとにしたがひ、追ふて行く。
雪、少し、ふりて、足あとを、したひゆくに、ひとつの古き墓のまへにして、馬の足跡、なし。いづくへ行きたるやらん、見へず。せん方なく、其夜は、かへりぬ。
又、あけの夜は、宵より、件《くだん》の墓所(はか《しよ》》にいたり、辻堂の天井にかくれて伺ふに、夜半(やはん)ばかりになりて、黑衣(こくゑ[やぶちゃん注:ママ。])の裝束(しやうぞく)して、馬に乘り、來《きた》る。
馬より下《お》り、馬を、辻堂のはしらにつなぎ、墓の石塔を、のけて、穴の中に、入る。
又、中に、數人(す《にん》)ありて、わらひ語る聲、聞へたり。
暫くして、穴より、出《いで》て、かへる。
數人、おくりて、出《いづ》る其中に、年老たるものとおぼしくて、
「立左衞門が一家の『名(な)の帳(ちやう)』は、いづくに置きたる。」
と、とふ。
黑ねこ、こたへて、
「既に、香(かう)の物桶(《もの》をけ)の下に、納め置きたり。憂(うれふ)る事、なし。」
と、いふ。
[やぶちゃん注:「香の物桶」漬物桶。]
「かならず、つゝしみ、もらす事、なかれ。もれなば、我等、みな、殺されん。次に、此ころ[やぶちゃん注:「此の頃(ごろ)」。]、出生(しゆつしやう)せしおさな子[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、名をつけたらば、『帳』に、はやく、しるすべし。これを、わする事、なかれ。」
と、いふて、わかれける。
あかつきにおよんで、馬飼は、家にかへり、此よしを、ひそかに、主人に告(つげ)たり。
立左衞門、おどろき、「黑ねこ」の、ゆだんしてありたるを、見すまし、しばりて、
「しか」
と、はしらに、くゝりつけ、香の物桶のほとりを、さがせば、はたして穴の中に、一軸の書(しよ)、あり。
具(つぶさ)に、家内男女《かないなんによ》の名を、のせたり。
おさな子、生れて、わづか一月《ひとつき》なり。いまだ、名をつけざるをもつて、のせず。
やがて、猫を引出《ひきいだ》し、棒を以て、打殺(うちころ)し、家中の侍(さむらい[やぶちゃん注:ママ。])、數十人(す《じふにん》)をつれて、墓所(はか《しよ》)にいたり、墓をあばき、こぼちければ、數十の「ねこ」、むらがり出《いづ》るを、ことごとく、ころしつくして、かへりけるに、其のち、なんの怪異もなかりしと也。
[やぶちゃん注:この妖猫が隠していた怪しい帳面は、恐らく、この玉笹家に古くから巣食うてきた妖猫らが、当家の人間の寿命を自在に操作し、それに代わって化けるための呪的なそれででもあったものであろう。]
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