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2023/05/11

大手拓次 「まへがき」 / (大手拓次「第二 九月の悲しみ」に記載されたもの(詩篇))

 

[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。

 以下は、底本のパート『文語詩』に載るもので、底本の原氏の「解説」によれば、文語詩約八百七十篇中より、十一『篇を選んだ』とされ、但し、『この文語詩のセクションにかぎって、配列はかならずしも制作年月日順になっていない。というのは』、『晩年期、拓次自身の手による詩集仕立てのノートや冊子があって(「九月の悲しみ」と題された第一から第四まで四冊、ほか)、それらの詩稿別の配列に従ったからである。ただ、ここに選出した』十一篇は、昭和三(一九二八)年から昭和七(一九三二)年『までのもの』であるとあるので、拓次は数えで四十二歳から四十五歳の折りの創作ということになる。さらに原氏は、『文語詩といえば、一般的にはそうだから』、『拓次の場合も口語詩以前の明治期のものかという印象をもつ読者もいるかもしれない(たしかに習作期に拓次も文語詩を書いてはいる)。だが、厖大な拓次の文語詩の多くは、なんと』四十『歳を過ぎてからの、ついに成就されない、いくつかの片想いの恋情の発する嘆きの歌であった。日本の象微詩史を書きかえねばならないほどの本格的な口語象徴詩の詩業や、また意外な可能性を秘めた、さきの散文詩などにくらべたら、とるに足りない感傷過多の歌があまりにも多』く、『その間』、『「本格的な詩が書けない」と、白秋あての書簡で嘆いたり』も『している。本文庫での文語詩収録篇数が少ないのもそのためである。なお、文語詩のセクションの冒頭にある「まへがき」は、前記「第二 九月の悲しみ」のそれから採ったことをことわっておく』とある。

 私は既に、このブログ・カテゴリ「大手拓次」と、サイトのPDF縦書一括版で「大手拓次詩畫集 蛇の花嫁」(拓次の死から六年後の昭和一五(一九四〇)年に、大手拓次著で、生前の友人で版画家の逸見享氏の編纂・装幀で龍星閣から刊行された文語詩詩集)を電子化注しているが、原氏の選ばれた十一篇(冒頭の「まへがき」を含む)の内、表記が全く同じものは、たった二篇しかない。

 その九篇を以下で電子化注する。]

 

  まへがき

 

わがおもひ盡(つ)くるなく、ひとつの影にむかひて千年

の至情(しじやう)をいたす。あをじろき火はもえてわが身をは

こびさらむとす。そは死の翅(つばさ)なるや。この苦悶(くもん)の淵

にありて吾を救ふは何物にもあらず。みづからを削(けづ)

る詩の技(わざ)なり。されば、わが詩はわれを永遠の彼方

へ送りゆく柩車(きうしや)のきしりならむ。よしさらば、われ

この思ひのなかに命を絕(た)たむ。

 

[やぶちゃん注:底本では通常本文位置ではなく、『文語詩』パートのパート標題の裏(左ページ)に有意に下方左寄せでポイント落ちで印刷されてある。本文「大手拓次詩畫集 蛇の花嫁」に同文の「まへがき」があるが(リンク先はブログ版の同詩画集の第一回分)、原氏の元にしたものは、以上の通りで、拓次の原原稿に基づくもので、実際に、一行字数が異なり、しかも、「技(わざ)」以外のルビは「大手拓次詩畫集 蛇の花嫁」には存在しないことから、ここで電子化しておくこととした。読みを添えたので、一行字数が揃っていないのは、悪しからず。]

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