「近代百物語」 巻三の三「狐嫁入出生男女」 / 巻三~了
[やぶちゃん注:明和七(一七七〇)年一月に大坂心斎橋の書肆吉文字屋市兵衛及び江戸日本橋の同次郎兵衛によって板行された怪奇談集「近代百物語」(全五巻)の電子化注である。
底本は第一巻・第三巻・第四巻・第五巻については、「富山大学学術情報リポジトリ」の富山大学附属図書館の所蔵する旧小泉八雲蔵「ヘルン文庫」のこちらからダウン・ロードしたPDFを用いる。しかし、同「ヘルン文庫」は、第二巻がない。ネット上で調べてみたが、この第二巻の原本を見出すことが出来ない。そこで、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載るもの(底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていないことが判ったばかりであった)を底本として、外の四巻とバランスをとるため、漢字を概ね恣意的に正字化して用いることとした。なお、「続百物語怪談集成」からその他の巻もOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
なお、本話には相当する挿絵はない。]
狐嫁入出生男女(きつねのよめいりしゆつしやうのなんによ)
百濟玄之介(くだらげん《のすけ》)といふ人、京都に、すこし、しるべありて、
『仕官をも、なさん。』
と、おもひ、越前より、都におもむく。
まだ、冬のはじめなれど、越路(こしぢ)は寒(ひゆる)により、道より、俄(にはか)に、雪、ふり出し、次㐧に、大雪になり、山中、步行もなりかたきに、道のかたわらに、小(ちいさ[やぶちゃん注:ママ。])きわらふきの家、一軒、あり。
けふり、立ちのぼり、あたゝかに見へ[やぶちゃん注:ママ。]しかば、立ちよりて見るに、年老たる嫗(うは[やぶちゃん注:ママ。])と、十六、七の女、木をきり、くべて、いろりにあたり居《ゐ》たり。
女の髮は、みだれ、衣服は、あかつきたれども、花のまなしり、うるわしく、雪のはだへ、細やかに、立ちふるまひ、やさしく、山中に、かゝる人のある事、此世の人ともおもわれず、神仙のすまゐかと、あやしまれける。
翁夫婦、玄之介が來たると見て、
「あまりの大雪なるに、先づ、火にあたり給へ。」
といへば、よろこんで、いろりのはたに座し、ぬれたる衣服を、あふりける[やぶちゃん注:「焙(あぶ)りける」。]。
日もすでに、暮ちかくなりて、雪は、次㐧に、はげしく、かぜさへそひて、行くべきやうに思はれねば、一夜のやどりを求めける。
翁夫婦のいわく、
「いやしき片山かげのすまゐなれば、まろふどを、もてなすべきやうも、なけれども、くるしからずは、とまりて、旅のつかれを休め給へ。」
といふに、嬉しく、足そゝぎなどして、昼のつかれを休めぬ。
しばらくありて、嫗、酒盃をもち來りて、
「一つ、のみ、寒を、ふせぎ給へ。」
と、いふにぞ、悅びて、
「こよひのやどりをめぐみ給ふ上、いろいろの御心づかひは、嬉しく候ふなり。」
とて、さいつ、さゝれつ、盃(さかつき)、數(かず)かさなりけるに、昼見し娘、化粧(けわひ)し、衣服をあらため出でて、又、酒をすゝむ。
みやびやかにして、うつくしき事、はじめ見たるには、近まさりして、覚ゆ。
『心を引きみん。』
と、一首、かくは詠じける。
〽雪つみて峯の木ずへ[やぶちゃん注:ママ。]も心あらばこなたになびけ夜半の盃
娘、かへし。[やぶちゃん注:底本では改行がなくここに返し歌が記されるが、送った。]
〽くれ竹の一よのふしはなびくともまつの千とせの色をこそまて
此歌に、いよいよ、めでゝ、翁夫婦に、
「妻にせん。」
事を乞ひ望めば、
「いやしき山家そだちの娘、何とて、貴客の妻になるべき。」
と辭すれども、强(しい)て望みぬれば、翁夫婦も諾(たく[やぶちゃん注:ママ。])して、頓(やか[やぶちゃん注:ママ。])て、かたばかりの夫婦の盃、取りかわし[やぶちゃん注:ママ。]、其夜は階老のちぎりを、むすびて、ふしぬ。
あくる日、雪も晴れしかば、娘をともなひ、都に登り、しるべの方にたよりて、仕官をなせども、おもわしき事もなくて、纔(わづか)の扶持方(ふち《がた》)なれども、先づ、ありつきぬ。
万事、たらぬがちなるを、妻、「おり・ぬい[やぶちゃん注:孰れもママ。]」のわざに器用なる上、心を盡して、家をとゝのふるにより、朋友のまじわり・衣服・調度にいたるまで、欠(かく)る事、なし。
夫婦の情、ますます、あつくして、一男一女を產(うむ)。
三年も、たちしかど、出世する事もなければ、
「一先《ひとまづ》、故鄕へ歸るべし。」
と、官をやめて、夫婦、幼子をともなひて、もとの道にぞ、出でたちけり。
「前の翁の所にいたりて、孫を見せば、よろこび給はん。」
と、かたりもてゆきしに、其所にいたり見れば、草のいほりはありながら、翁も、うばも、あとかた、なし。
「これは。いかになり行きぬらん。」
と、事とふべき隣家(となり《や》)もなき深山(しんさん[やぶちゃん注:ママ。])の岩根、こけ、ふかくとざす、ましは[やぶちゃん注:意味不明。「ましら」の誤記ならば、「野猿」のことだが。]のすみかに入りて、玄之介も、妻も、おもひあまれるなみた[やぶちゃん注:ママ。]は、ひめも、そ[やぶちゃん注:強意を含んだ指示語ととっておく。]、とゞまらず。
壁にそひたる、ふるき衣を、
「これや、かたみ。」
と、引きあぐれば、其下に、きつねの皮あり。
ちり、つもりて、久しく埋れたるがごとくなるを、妻、これを見て、大きにわらふて、「此物、なを、ありといふ事を、しらざりき。」
と、やがて、これを着るに、たちまち、へんじて、きつねとなり、
「こんこん。」
と、ほへて[やぶちゃん注:ママ。]、門に出でて、はしりける。
玄之介は、おどろき、かなしさも、戀しさも、さめはて、二人の子どもを、たづさへ、道を尋ねて、かへり行きける。
此二人の子ども、成人して、才能、秀(ひい)で、學者となり、女は、良人(りやうじん)のつまとなりて、さかへける、と也。