佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「採蓮」端淑卿
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
採 蓮
風 日 正 晴 明
荷 花 蔽 州 渚
不 見 採 蓮 人
只 聞 花 下 語
端 淑 卿
さわやかに風や日かげや
花はちす汀(みぎわ)をつつみ
見えもせで蓮採る子や
花がくれかたらふ聲す
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端 淑 卿 十六世紀(?)。 明朝。 當塗(たうと)の人。 敎論端廷弼(きやうろんたんえんひつ)の女(むすめ)である。 幼時から學を好み才媛の名が高かつた。
※
[やぶちゃん注:「みぎわ」はママ。歴史的仮名遣は「みぎは」が正しい。
作者は明世宗嘉靖(一五二二年~一五六六年)年間の女流詩人で、「當塗」は現在の安徽省東部の県。長江右岸の要衝で、清代に太平府が置かれた。古来、軍事上の要地で、南西の東梁山・西梁山は、長江をはさむ天険である。北東の大凹山・馬鞍山は鉄を産する。現在は馬鞍山(まあんさん)市当塗県(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。同市は中国十大鉄鋼基地の一つであり、また、この当塗は、かの李白が亡くなった地とされ、墓と記念碑があることで知られる。「敎論端廷弼」「端廷弼」が姓名で、「敎論」とは儒学の教師を指すようで、当塗県のその地位にあった。同じ儒官の妻となった。以上は中文サイト「Baidu百科」の彼女の記載によったが、そちらには他の詩篇も載っている。調べたところ、標題は同じく「採蓮」(一部の中文サイトでは「採」を「采」とする)であった。以下に推定訓読を示す。
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蓮(はちすのはな)を採る
風(かぜ) 日(ひかげ) 正(まさ)に晴明(せいめい)たり
荷(はちす)の花(はな)は 州(なかす)の渚(みぎは)を蔽(おほ)ふ
見えず 蓮を採る人は
只(ただ)聞く 花の下(もと)に語れるを
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「日(ひかげ)」は「日影」で「日の光り」の意。佐藤の訳は第三句で、蓮の花を採る子(この場合は「子ども」ではなく、「子」(し)で男、されば、そこには今一人、女がおり、しきりに男がモーションをかけて口説いているらしい)がいるようなのだが、視界には全く見えない。しかし、第四句は、花隠れに語らっている、その二人の睦言が聴こえる、という意味で採っている。蓮の花蔭にカップルの語らいを透視的に映像化しているようである。私は、一読、第三句の「不見」が「見えず」ではなく、「見ず」と読んでしまう癖が今までの漢詩体験で、こびりつてしまっているからであった。されば、語らっているのは、「蓮の花」であって、「美しい清純な蓮の花のところから、まさに、その蓮の花が、あたかも何かを語りかけているような声を、幻想の内に聴いている」という迂遠なシーンかと当初は「採」ってしまった。しかし、佐藤のそれが、題名からは、自然なのだろうし、それでこそ女詩人の艶歌とはなるのであろう。]
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