佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇六番 女房の首
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
一〇六番 女房の首
或所に、おつなと云ふ女が夫と暮して居た。其うちに夫は旅に出なければならぬ事があつて旅へ出て行つた。其留守におつな一人が家で、繩を絢《な》つて居た。其所へひとりの婆々が來て、おつなが絢つて居る繩を、爐火《ひぼとび》にどんどんとクベて、その燃(モ)え灰(アク)をさらつて皆食つてしまつた。おつなが婆々(ババ)婆々其んなに繩をクベるなと言ふと、婆々はそんだらまた明日來ると言つて歸つた。
あとでおつなはおつかなくて怖(オツカナ)くて仕樣《しやう》がないから、次ぎの日には榧(カヤ)の實(ミ)を三粒持つて、二階の葛籠(ツヅラ)の中に入《はい》つて隱れて居た。其所へ昨日の婆々が亦やつて來たが、おつなが居ないので、二階へ上つて見るべと思つて、二階の階子段《はしごだん》の二ツ段に足を掛けた時、上の方でおつなが榧の實を一つカチンと嚙んで鳴らした。婆々はあれア何だツと思つて、はツとしたが、其後《そのあと》別段何事もないから、又一段上《のぼ》ると、上の方でおつなが亦カチンと嚙み鳴らした。婆々はまたはツとしたが別段變つた事もないから、又一段上ると、又おつながカチンと嚙み鳴らした。あとは榧の實がなく無つたので、鳴らすことが出來ないで居ると、また婆々が一段と上つて耳を澄ました。それでも鳴らぬので今度は平氣でどんどん上つて來て、女ア居るかと言つて其所らじゆうを探したが見つからない。しまひに屹度《きつと》此の葛籠だなアと言つて、かばツと葢《ふた》を開(ア)けると、おつなが震顫《ふる》へて居たので、此女《をな》ゴ取つて食ふぞツと言つて、おつなをむしやむしやと取つて食つてしまつた。體はみんな食つてしまつて、首から上だけ殘して皿に乘せて、これはまた明日(アシタ)と言つて戶棚の中に入れて歸つた。
次ぎの日夫が旅から歸つて來て、おつな今歸つたぞ、おつな今歸つたぞ、と言つても返辭がない。はて不思議だなアと思つて家の中へ入つて呼んでみてもおつなは居ない。方々尋ねてみてもおつなが居ないから、しまひに戶棚を開けて見ると、おつなの首が皿に乘せられてあつた。
夫は魂消《たまげ》て、何だおつなでアないかと言ふと、テテツと言つておつなの首が夫の體にかぶりついた。夫は大變びつくりして其女房の首を人に見えないやうに抱いたまゝ、ハタゴ屋へ行つて、二人分の膳をこしらへさせて二階へ上《あが》つて、御飯を食べ初めた[やぶちゃん注:ママ。]。するとおつなの首が、テテ、俺にも食はせろツと言ふので、夫がたべろと言ふと、おつなの首は夫の胸から放れて膳にフサバツテしまつた。そしていくら取らうと思つても放れぬから、自分の前にあつた飯鉢《いひばち》をかぶせて帶でぐるぐると結び締めて置いて、二階から下りてどんどんと逃げ出した。
飯鉢の中のおつなの首は、夫の仕打ちを憎んで二階からごろごろと轉《ころ》がり落ちて、テテツテテツと叫びながら夫の逃げた方へ、後(アト)を追つて行つた。夫は堪《たま》らぬので蓬《よもぎ》と菖蒲《しやうぶ》の間《あひだ》に入つて匿《かく》れて居ると、首がテテツテテツと呼びながら其頭の上を飛んで行つた。これを見て夫は喜んで蓬、菖蒲を頭にかぶつて家に歸り、また家の窓だの戶口などに蓬、菖蒲を差して置いたので、この怖しい首は其所へ近づけなかつた。
それで五月五日には蓬と菖蒲を魔除けのために軒下にサゲルと謂ふ話である。
(秋田縣仙北郡角館邊の話、昭和四年同所高等
小學校一年の中野キヌ子氏の筆記の摘要。武
藤鐵城氏御報告の分の一一。)
[やぶちゃん注:本話は端午の節句の魔除けの軒飾りの起源譚であるが、どうにも「おつな」が浮ばれず、哀れでならないのである。首だけを残して「婆々」(正体は山姥)に食われてしまった「おつな」が、今度は「おつな」の怨念が首だけの妖怪となって夫を襲うという展開には、どうも正常な話柄形成とは思えない。何らかのもっと昔話的に話柄内ではある程度の納得がゆく別々な二つの話を、無理矢理、展開の自然さを失わせて、繋ぎ合わせような感じがするのである。例えば、首だけ残るという箇所は、皿の上というのは、不自然で、寧ろ、山姥が、「おつな」の首の皮だけを被って、葛籠の中に潜んで、帰って来る夫をも襲って喰らうという話柄の方が、民話的には「自然」ではかろうか?
「榧」裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera 。当該ウィキによれば、『種子は食用となり、焙煎後の芳香から「和製アーモンド」と呼ばれることもある』。『生の実はヤニ臭くアクが強いので、数日間アク抜きしたのち煎るか、クルミのように土に埋めて果肉を腐らせて取り除いてから蒸して食べる。あるいは、灰を入れた湯で茹でるなどしてアク抜き後に乾燥させ、殻つきのまま煎るかローストしたのち殻と薄皮を取り除いて食すか、アク抜きして殻を取り除いた実を電子レンジで数分間加熱し、薄皮をこそいで実を食す方法もある』。『また、カヤの種子は榧実(ひじつ)と称して漢方に用いられていて、種子の中の堅い核を取り出して天日乾燥したものである』。『これを使用するときは、核を打ち砕いて、胚乳を取り出す』。『榧実は』一『日』摂取標準『量』十『グラムを煎じて服用し、十二指腸虫の駆除に、民間では腸内寄生虫の虫下し、夜尿症、頻尿に用いる』。『種子』百『グラムほどを』、『一晩』、『水に浸けてふやかし、よく突き砕いて食べたりするほか』、『種子を炒ったものを』、『よく噛んで数十粒食べると』、『サナダムシの駆除に有効であるといわれる』ともあった。さらに、古くは『カヤの実には戦場のけがれを清浄なものにする力があるといわれ、武士が凱旋した際には搗栗(かちぐり)とともに膳に供えられた。カヤの実は相撲の土俵の鎮め物としても使われており、米、塩、スルメ、昆布、栗とともに、土俵中央部の穴に埋められている』とあった。私も食したことがある。ここのそれは、それらの処理を施したものである。葛籠の籠城が長くなった時のための、「おつな」が携帯食物として持って入ったものか、或いは、以上の最後に出る呪的な効果を期待して噛んだとも考え得るかも知れない。妖怪である「婆々」が、その音で進むこと躊躇させられている点が、後者の神話伝説中の呪物の様相を示唆しているようにも読みとれるのである。]