佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇九番 墓娘
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一〇九番 墓 娘
或所に放蕩息子があつた。親達に勘當されて何處へ行くと云ふアテもなく旅へ出て行つた。そして或町近くへ行つた時には、持ち出した路銀も盡きてしまひ、今では食ふ事も飮む事も出來なくなつたから、あて度[やぶちゃん注:ママ。「當て所」が正しい。]もなく廣い墓場の中へ入つて、松の木に凭《もた》れてつくづく身の行末のことを考へて居た。すると目の前の新墓《しんばか》の中で何か呻《うな》る聲がするので、よくよく氣をつけて聽くと、それは土の中で人の泣く聲であつた。これは何たらことだと思つて、墓を掘つて見ると、棺の中には美しい娘が蘇生(イキガヘ)つて泣いて居たので、その娘を助け出してから墓は元の通りに土を盛つて置き、そして其娘を連れて町へ行つて匿れて居た。
其娘の家は町一番の長者であつたが娘の死んだ後で、一番番頭と娘の繼母とが密通(クツツ)いて、身上《しんじやう》を自分等の物にする惡企《わるだく》みをして居た。或日番頭と繼母とが馬に乘つて、娘の父親の長者主人を殺しに行くところへ、息子と娘が出會《であは》した。そこで名乘りを上げて息子は不義の者どもを討ち取つた。そして娘を連れて長者の家へ還つて行つた。
長者樣は蘇生《いきがへ》つて來た娘を見て大層喜んで、それもこれもみな息子のお蔭だ。わが娘の命(イノチ)の恩人だし又此家の恩人でもあるから、どうか娘の聟になつてくれと賴んだ。息子は娘と夫婦になつて、舅親樣《しうとおやさま》に孝行を盡してそこの二代目長者となつた。
(此話は私の村の大洞犬松爺の話の五。内容をも
う少し委しく知りたいと思つて、後できくと一
向知らぬと云ふ。老人の記憶は一日限りのもの
だと云ふことをつくづく知つた。)
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