佐々木喜善「聽耳草紙」 一四二番 坊樣と摺臼
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一四二番 坊樣と摺臼
或時、座頭の坊樣が來て泊まつた。宿語《やどがた》りを夜明まで語つて聽かせたら、をオカタ[やぶちゃん注:「妻」。]に遣ると言はれ、一夜中寢ないでジヨロリコ[やぶちゃん注:不詳。]を語り明して、朝は約束通り娘の手を引いて其家を出た。
娘が出る時、家では米俵だと言つて、スルス(摺り臼)を背負せてやつたが、村端《むらはづ》れの淵の上に架《かか》つた橋の上へさしかゝつた時、坊樣は娘の手をとつて歎いて、お前もその齡若《としわか》い身空《みそら》で、目もない盲人(メクラ)などのオカタになつて、一生ウザハク(苦勞する)こつたべえ。それよりも一層のこと俺と一緖に此の川へ入つて死なないかと言ふと、娘はそれではさうしますと言つて、背負つて居たスルスを橋の上からザンブリと淵に投げ込んでからそつと傍の葭立《あしだち》の中に入つて隱れて居た。
ドブンと高い水音が立つと、坊樣はメゴイお前ばかりを何して殺すべえやえと言つて、後から飛び込み、
お花コや
お花コや
死んで行く身は
いとわなえど
お花コ流すが
いとほしい
ほウい、ほウい
と言つて流れて行つた。
(この話は家の老母から聽いたものである。又村の萬十郞殿も覺えてゐた。ただ川へ投げ入れたのがスルスではなくて藁打槌《わらうちづち》であつた。「眞澄遊覽記」には…娘がいきなり其臼を出して水の中へどんぶりと投げ込んで、其身は片脇の葭の中に入つて匿れて見てゐると、盲人は泣きながら續いて淵へ飛び込んだ…して身は沈み琵琶と摺り臼は、浮いて流れてしがらみに引つかかる。そこで今でも琵琶と磨臼の例《たと》へあり…と語つたと書いてある(雪國の春)。)
[やぶちゃん注:附記はポイントを本文と同じにして、引き上げた。
「眞澄遊覽記」江戸後期の偉大な旅行家にして多才な本草学者であった菅江真澄(宝暦四(一七五四)年~文政一二(一八二九)年:本名は白井秀雄)の自筆本「真澄遊覧記」八十九冊は秋田県有形文化財で国の重要文化財となっている(詳しい事績は当該ウィキを参照されたい)。ネット上では当該篇を探し得ないが、佐々木が引用元としている柳田國男の「雪國の春」(昭和三(一九二八)年岡書院刊)の「眞澄遊覽記を讀む」の「一〇」で、当該部分が視認出来る。真澄が、その話を座頭が語ったを聴いたクレジットを『天明八年二月廿一日夜』と記している。グレゴリオ暦で一七八三年三月二十三日であった。而して、そこで柳田は、一読、私も直ちに連想した『昔の「猿の聟」の作り替へのやうなものであつた』という感想を述べている。「猿の聟入り」も私は猿が可哀そうで大嫌いなのだが、まず、異類婚姻譚であるから、それでも、まだ架空のお伽話として読めなくはないが、本篇は――葭間に隠れた娘の――慄っとするほど冷たい視線――に、もう、全く我慢がならぬのである。]
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