佐々木喜善「聽耳草紙」 一二一番 天狗
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一二一番 天 狗
昔、と云つても七八十年程以前のことらしいが遠野に萬吉と云ふ人があつた。或年鉛《なまり》の溫泉(ゆ)へ行つて居ると、浴場で一向知らぬ大男が聲をかけて、お前は遠野の萬吉だベア。俺は早池峯山の天狗だ。今まで山中で木ノ實ばかり食つて居たども、急に穀物が食ひたくなつて來た。湯治《たうぢ》が濟んだら、俺も遠野さ遊びに行くから訪ねて行くと言ふ。是非來るようにと言つて、其日萬吉は馬を賴んで湯治場を立ち去つた。
[やぶちゃん注:「鉛の溫泉」現在の岩手県花巻市花巻温泉郷にある「鉛温泉(なまりおんせん)」。アルカリ性単純温泉。同温泉の一軒宿である開湯六百年の「藤三旅館」(ふじさんりょかん)公式サイトの「藤三旅館について」をリンクしておく。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
當時町に東屋と云ふ酒屋があつた。或日の夕方見知らぬ大男が來て、酒一升借《か》せと言う。番頭が知らない人には貨《か》すことはならぬと言ふと、それだら俺はこれから早池峯山《はやちねさん》さ行つて錢を持つて來るからと言つて出て行つたが、それからやや小一時(イツトキ)も經つと再び來て、錆びたジク錢を帳場へ投げつけて、酒を買つて出た。酒屋では不思議なこともあればあるものだと思つて、其男の後をつけて見ると、さきの萬吉の宅へ入つて行つた。
[やぶちゃん注:「早池峯山」神仏習合の時代より山岳信仰が盛んな霊峰。標高千九百十七メートル。遠野からは直線で北北西二十キロメートル位置にある。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「小一時」「一時」(現在の二時間相当)の「小一時」で、現在の「一時間弱」又は「僅かに一時間程」の意。
「ジク錢」「軸錢」で「ぜにさし」(「銭差し」「銭緡」で、銭の穴に通して銭を束ねるのに用いる藁・麻で作った細い紐。銭貫(ぜにつら))で束ねた穴開き銭のことであろう。『換算の不便を避けるために、銭』九十六『枚を銭緡に通すことで』百『文として通用させていた九六銭のように、相場の変動に関わらず』、『一定枚数の銭を通した銭鎈をもって銀』一『匁として通用させる慣習が生まれた。これ』を匁銭(もんめせん)と呼んだ。『匁銭の銭』差し一『束』(たば)『をもって』「銭一匁」と『表現した。後に各藩が公定の匁銭規定を定めた事』から、『本来の趣旨とは異なる領国貨幣化・地方貨幣化することになった』(後半の引用部はウィキの「匁銭」に拠った)。]
其男は萬吉の家へ行つて、主人はまだ湯治場から歸つて來ぬか、直ぐ歸るべえと言つて居るところへ萬吉が歸つて來た。萬吉は自分が湯治場を立つ時にはまだ其所に居た人が、どうして先きへ來て居るのだらう。これは本當にタダの人間ではないと思つて、それから内ヘ上げて厚くもてなして置いた。
其男は刀吉の家で、每日每日何もすることなくぶらぶらして酒ばかり飮んでゐた。ただきまつて一日に一羽の鳥を捕へて來て、それを燒いて食つて居た。そしていつの間にか何處へか行つて二度と來なかつた。
其男の殘して行つたものが今でもあるが、小さな弓矢と十六辨の菊の紋章のある麻の帷衣《かたびら》のやうな衣と下駄一足である。
又此町に旅の男で天狗々々と云はれる者があつた。月の半分は何處へか飛んで行つて居らず、人の知らぬ間に歸つて來てゐた。町で病人や急用のある時などは賴まれて十四五里も離れた釜石濱へ往復することがあつたが、そんな時には町の出端《ではづ》れをヒラヒラと行く姿は見とめられたが、あとは忽ち見えなくなつたと云ふ。病人に食はせる魚などを買ひに賴まれると其の道を二時間位で往復した。これも御維新頃の話のやうに聽いてゐた。
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