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2023/06/16

「新說百物語」巻之三 「僧天狗となりし事」

[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。

 底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 今回はここから。本篇には挿絵はない。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]

 

   僧《そう》天狗となりし事

 江刕に「智源」といふ僧あり。

 又、其所へ、每日每日、はなしに來《きた》る、二十二、三歲の若僧、「光黨(くわうたう)」といふもの、あり。此、光黨、あるとき、智源に、いふやう、

「久々、なしみ[やぶちゃん注:ママ。]申して、殘りおゝき事ながら、愚僧義《ぎ》も、少〻《せうせう》、のそみ[やぶちゃん注:ママ。]ありて、遠國《をんごく/ゑんごく》へ參るなり。たゝ今まて[やぶちゃん注:総てママ。]のよしみに、何にても、御のそみの品あらは[やぶちゃん注:総てママ。]、うけ給はり申すへし。[やぶちゃん注:ママ。]

と申しける。智源がいはく、

「年もまかりよりまして、出家の事なれは[やぶちゃん注:ママ。]、各別の望みとても、是、なし。若き時より、所々を、おがみめくり侍れとも[やぶちゃん注:総てママ。]、いまた[やぶちゃん注:ママ。]おかみ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]殘したるは、遠國の佛神、所々、あり。一生の内、最早、年よりて、おかみ殘さん事の、殘念さよ。」

と申されける。

 其時、光黨がいはく、

「それこそ、やすき事なれ。御望みの所、みなみな、おかませ申すへし[やぶちゃん注:総てママ。以下も同じ。]。我らか[やぶちゃん注:ママ。]せなかに、おはれ給ふへし。かならす[やぶちゃん注:ママ。]、あゆむ内は、目をふさきて[やぶちゃん注:ママ。]、あき給ふへからす[やぶちゃん注:総てママ。]。先々にて、せなかより、おろしたる時に、目を、あき給へ。」

と約束し、そのまゝ、せなかに、おい[やぶちゃん注:ママ。「負ひ」。]て、出行《いでゆき》たり。

 智源かのそみにまかせ[やぶちゃん注:総てママ。]、先つ[やぶちゃん注:ママ。]、都の神社仏閣の外、名所を見めくり[やぶちゃん注:ママ。]、伯耆(はうき)の大山《だいせん》、さぬきの金毘羅、秋葉山《あきはさん》、大峯《おほみね》、富士山、およそ、名ある高山《かうざん》、いたらす[やぶちゃん注:ママ。]といふ事、なし。

 始め、江刕を出《いで》しとき、光黨の背(せ)に、おはるゝとおもへは[やぶちゃん注:ママ。]、たゝ[やぶちゃん注:ママ。]

「さあさあ」

と、なるはかり[やぶちゃん注:ママ。「鳴るばかり」。]にて、あまりふしき[やぶちゃん注:ママ。]におもひ、そつと、目を、ほそめに、あきけれは[やぶちゃん注:ママ。]、水海《みづうみ》[やぶちゃん注:琵琶湖。]のうヘ、一町[やぶちゃん注:約百九メートル。]ばかりも、高く飛ぶにぞありける。

 あまりの事のおそろしさに、そのゝちは、目をあかす[やぶちゃん注:ママ。]、所々にて、地におろせは[やぶちゃん注:ママ。]、目を、あきける。

 食事等は、いつかたにて[やぶちゃん注:「いろいろな所で」の意か。]、たべけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、誰《たれ》とかむる[やぶちゃん注:ママ。]ものもなく、自由なる事なりけり。

 諸方を、めくり[やぶちゃん注:ママ。]て、二日めの夕かた、我か[やぶちゃん注:ママ。]寺の庭に、つつほりとして居《をり》たりける。[やぶちゃん注:「つつほり」「つっぽり」で副詞。独りで侘びし気に立っているさま。しょんぼり。近世語。]

 そのゝち、四、五日、過《すぎ》て、又々、光黨、來たりて、

「御望みの所々、おかまれて[やぶちゃん注:ママ。]本望なるべし。しかし、外のものならは[やぶちゃん注:ママ。]、水海のうへにて、目をあきたるとき、ひきさき、すつへけれとも[やぶちゃん注:総てママ。]、其元《そこもと》ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、了簡いたしたり。」[やぶちゃん注:「ひきさき、すつへけれとも」「引き裂き、捨つべけれども」。]

と申しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、智源、猶々、きもを、つふし[やぶちゃん注:ママ。]ける。

 いとまこひして、出行《いでゆき》けるか[やぶちゃん注:ママ。]

「此後、火災なとあらは[やぶちゃん注:総てママ。]、前かたに、しらすへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と申しけり。[やぶちゃん注:「前かたに、しらすへし」「火災が発生する以前に知らせてやろう」。]

 此智源、今に存生《ぞんしやう》のよし。

[やぶちゃん注:最後の一行で、現在只今の近江の国の天狗奇譚実話ということになる。]

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