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2023/06/08

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版・オリジナル注記附始動 / 箱題箋・表紙題箋・扉・本扉標題・献辞・薄少君悼夫句・「楚小志」引用句・「ただ若き日を惜め」杜秋娘

[やぶちゃん注:「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」は昭和四(一九二九)年九月十五日武蔵野書院刊で、裝釘は芥川龍之介晩年の盟友小穴隆一である。

 実は私は、このブログ・カテゴリ「佐藤春夫」を創始した最初に、「ただ若き日を惜め 杜秋娘作 佐藤春夫訳」と、「春ぞなかなかに悲しき 朱淑眞作 佐藤春夫訳」を講談社文芸文庫一九九四年刊佐藤春夫「車塵集 ほるとがる文」を用いて、甚だ不全な形で公開しているのだが、その不全性に直後から嫌気がさし、また、後には、同カテゴリで佐藤春夫の未定稿『病める薔薇(さうび) 或は「田園の憂鬱」』等の電子化注にすっかり熱中してしまい、放置していたこともずっと忘れてしまっていた。今回、以下の訳詩集原本を視認出来るようになったので、仕切り直して行うこととした。但し、その不全な二篇は同カテゴリの初回と二回目であるので、削除せず、自戒の思いを含めて、残すこととした。

 本文の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の原本(リンク先は標題ページ)を以って視認する。

 可能な限り、原本通りに電子化するが、本書の一部のひらがな文字は草書の崩し字で活字印刷されており、これはUnicodeでも表示出来ないため、通常のひらがなに直した。踊り字「〱」は生理的に受けつけないので、正字化した。ストイックに注を附す。なお、本文の各詩篇は、標題がポイントが大きく、漢詩と作者が有意(漢詩よりはポイント大)に小さく、本文は中くらいという感じなのだが、少なくとも漢詩は読み難くなるだけなので、それらのポイント違いは必ずしも再現しないこととした。]

 

支那厯朝

     車塵集 佐藤春夫譯著

名媛詩鈔

 

[やぶちゃん注:箱題箋。但し、底本は表紙が補修されているため、原本自体の画像がない。しかし、幸いにしてmurasakinoyukari氏の「武蔵野書院のブログ」(『武蔵野書院』は原本の出版社)の「佐藤春夫譯著 『車塵集』」原本紹介記事に原本にあった箱(そこに『上製函入り本』とある)と、次の本体の原表紙の写真を見ることが出来たため、その画像を視認して、題箋を起こした。「支那厯朝」「名媛詩鈔」は底本では二行割注風に支那厯朝「車塵集 佐藤春夫譯著」の上にある。次も同じ。]

 

支那厯朝

     車塵集 佐藤春夫譯著

名媛詩鈔

 

[やぶちゃん注:原本表紙題箋。同様の理由で、同じくmurasakinoyukari氏の「武蔵野書院のブログ」(『武蔵野書院』は原本の出版社)の「佐藤春夫譯著 『車塵集』」原本紹介記事に拠った。単体画像はここ。]

 

            譯 詩 集

 

[やぶちゃん注:底本の(見返しかも知れない)。]

 

支那厯朝名媛詩鈔

 車 塵 集 佐藤春夫譯著

 

[やぶちゃん注:底本の本扉標題。前に薄紙が挟まれてある。小穴の二つの鳥籠が背景。先のmurasakinoyukari氏の「武蔵野書院のブログ」(『武蔵野書院』は原本の出版社)の「佐藤春夫譯著 『車塵集』」原本紹介記事の単体画像はここ。]

 

            芥川龍之介が

            よき靈に捧ぐ

 

[やぶちゃん注:以上のページを捲った左ページにある献辞。]

 

            濁 世 何 曾 頃 刻 光

            人 間 眞 壽 有 文 章

                 薄 少 君 悼 夫 句

 

[やぶちゃん注:献辞ページの裏にある。「薄少君」は明代の学者で詩人の沈承の才媛の妻の名。若くして亡くなり、それを悼んで、夫は百首の詩を読んだ。その中の第三十四の冒頭の二句であるが、「維基文庫」の「情史類略」の「薄少君」で確認したところ、一句目の「曾」は「爭」であり、国立国会図書館デジタルコレクションの『和漢比較文学』(一九九二年十月発行)の小林徹行氏の論文「『車塵集』考」のここ以下によれば、原詩は「濁世(ぢよくせ) 何ぞ曾(かつ)て頃刻(けいこく)の光あらん 人間(じんかん) 眞(まこと)に壽(ひさ)しく文章有り」と訓読され、『訳者の加筆は明白である』とされている(以下、中国語の辞としての「爭」と「曾」の互換性の考証がなされてあるが、略す)。ともかくも、盟友芥川龍之介への悼辞として佐藤が手を加えて、『「この穢れた世の中では、しばらくの間もしばらくの間輝くことも難しい。しかし、君がこの世に残しした文は永遠不滅だ」と詠じて』芥川龍之介の『霊前に捧げた佐藤の意図を理解すべきであろう』と述べておられる。私も、その見解に賛同するものである(太字は私が附した)。

 なお、この後には、中国文学者で與謝野晶子門下の歌人でもあった奥野信太郎の「序文」(本文開始ページをリンクした)があるが、彼の著作権は継続中(昭和四三(一九六八)年没)であるので、電子化しない。]

 

     東 塵 集

 

[やぶちゃん注:序文の終わった左ページの本格本文の開始部分の標題。]

 

            美 人 香 骨

            化 作 車 塵

               「楚 小 志」

 

[やぶちゃん注:直前の標題ページの裏に記載された、本訳詩集の題の由来となった詩句。「美人の香骨 化して車塵と作(な)る」。知られた古代の銭塘の美妓蘇小小を詠んだものらしい。「楚小志」は明の銭希言撰。]

 

 

  ただ若き日を惜め

            勸 君 莫 惜 金 縷 衣

            勸 君 須 惜 少 年 時

            花 開 堪 折 直 須 折

            莫 待 無 花 空 折 枝

                  杜 秋 娘

 

綾にしき何をか惜しむ

惜しめただ君若き日を

いざや折れ花よかりせば

ためらはば折りて花なし

 

[やぶちゃん注:底本ではここ。原作者について「車塵集」には、末尾に無署名乍ら佐藤自身の筆になる「原作者の事その他」という後書があり、そこに各詩人の解説があるので、引いておく(「原作者の事その他」については、無論、再度、ちゃんと全文を電子化する。なお、この解説には一切ルビがないので、私が読み難いと判断した読みを推定で歴史的仮名遣で振った。その際、所持する講談社文芸文庫一九九四年刊佐藤春夫「車塵集 ほるとがる文」で編者によって振り仮名が振られているので、それも参考にした。句点や一部の有意な一字空けはママ。次以降では、この注記を略し、詩の後に※で挟んで示す。底本では作者名のみが解説の上に抜きん出て、その一字下から文が始まる形で、以下は、例えば、この組み方である。

    ※

杜秋娘  西曆七世紀初頭。 唐。 もと金陵の娼家の女。 年十五の時、大官李錡(りき)の妾となった。 常に好んで金縷曲(きんるきよく)――靑春を惜しむ歌を唱へて愛人に酒盞(しゆさん)を酭めた。 ここに譯出したものが今に傳はつてゐるが、「莫情」「須惜」「堪折」「須折」「空折」 など疊韻のなかに豪宕(がうたう)な響があるといふのが定評である。 李錡(りき)が後に亂を起して滅びた後、彼女は召されて宮廷に入り憲宗のために寵せられた。その薨去の後、帝の第三子穆宗(ぼくそう)が卽位し、彼女を皇子の傅姆(ふぼ)に命じた。 その養育した皇子は壯年になつて漳王(しやうわう)に封ぜられたが、漳王が姦人のために謀られ罪を得て廢削せられるに及んで彼女は暇を賜うて故鄕に歸つた。 偶〻杜牧が金陵の地に來てこの數奇にも不遇な生涯の終りにある彼女を見て憫れむのあまり杜秋娘詩を賦したが、それは樊川(はんせん)集第一卷に見られる。

    ※

 この小伝については、疑問があるので簡単に注しておく。なお、標題の「惜め」はママである。本文冒頭から、どうということはないが、僅かな躓きがあるのは、ちょっと作者の校正のいい加減さが透けて見えるようで、やや残念ではある。

・「酭めた」というのは、私は実は不遜にも誤字ではないかと疑っている。「酭」(音「ユウ」)という字は「報いる」の意で、とても読めない所持する大修館書店の「廣漢和辭典」にも載らない字である(だのに講談社文芸文庫にはルビが振られていないのは頗る不審である)。ところが、ここに、よく似た字体で「酳」(音イン)があり、これは「すすめた」と読めるのである。大方の御批判を俟つ。

・「豪宕」気持ちが大きく、細かいことに拘らず、思うがままに振る舞うこと。「豪放」に同じ。

・「傅姆」乳母。

 以下、原詩の題を添えて、通常の私の訓読を示す(以降も同じ形で注せずに注の最後に示す)。

   *

 金縷(きんる)の衣(ころも)

君(きみ)に勸む 惜(を)しむ莫(な)かれ 金縷(きんる)の衣

君勸む 須(すべか)らく惜しむべし 少年の時(とき)

花 開きて 折(を)るに堪へなば 直ちに須(すべか)らく折るべし

花 無きを待ちて 空(むな)しく枝を折る莫かれ

   *]

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