佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「よき人が笛の音きこゆ」黃氏女
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
よき人が笛の音きこゆ
欄 干 閑 倚 日 偏 長
短 笛 無 情 苦 斷 傷
安 得 身 輕 如 燕 子
隨 風 容 易 到 君 傍
黃 氏 女
おばしまのわがつれづれに
憂き笛ぞいよよ切なき
なぞわが身つばくらならぬ
風に乘り君がり行かぬ
※
黃 氏 女 十三世紀中葉。 宋朝の理宗の時代。 閩人(びんじん)の潘用中(はんようちゆう)といふ人が父に隨うて都に居住してゐた。 この靑年は笛を弄ぶことを愛したが、隣人黃氏の女は、潘の笛を聞いてその人を慕ひ、潘は彼女を見て帕(はく)に詩を題して胡桃をつつんで投げた。彼女も亦、同じく胡桃をつつんだ帕に題した返事の詩がここに譯出したものである。彼等は遂にこの緣によつてむつまじい夫妻となり、帕中の詩は佳話として世閒に擴まり、宮廷にまで傳はつて、理宗をして奇遇だと嵯嘆せしめた。
※
[やぶちゃん注:「十三世紀」北宋末から南宋前期。
「理宗」南宋の第五代皇帝。在位は一二二四年九月から一二六四年十一月まで。
「閩人」福建省の古い呼称が「閩」で、そこ出身の人。
「帕」多くは方形で、手・顔などを拭いたり、頭を包(くる)んだりするための布を言う。
*
題は以上の通りのラヴ・レターの詩だから、本来、ないだろう。ネット上にはこの詩は見当たらない。推定訓読する。
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欄干 閑かに倚る 日 偏(ひと)へに長く
短き笛(ふえのね) 無情にして 苦(はなは)だ斷傷(だんしやう)
安(なん)ぞ身輕を得んや 燕子(つばくら)のごと
風に隨ひて 容易に君が傍(かたはら)に到らんことを
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