佐々木喜善「聽耳草紙」 一一九番 オベン女
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一一九番 オベン女
昔、橋野村にオペンと云ふ女があつた。家の前の澤川で大根を洗つて居たら、ピカピカ光る物が沈んでゐた。拾ひ上げて見たらそれは黃金であつた。
オベンはこれはきつと此の川上に黃金があるに違ひがないと思つて行つて見ると、川上の六黑見(ロクロミ)山に思つたとほりの黃金があつた。
この話を聞いた惡者が、自分一人の物にしやうとオペンを殺した。後で村の人々がオベンを辨天樣に祀つた。その辨天山に男が登れば今でも雨が降つて來る。
(上閉伊郡栗橋村地方の話。菊池一雄氏の御報告分の八。)
[やぶちゃん注:「橋野村」現在の釜石市橋野町(はしのちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)。山間部である。
「六黑見山」「ひなたGPS」で戦前の地図を見ると、嘗つては、事実、この山に『六黑見山金山』があったことが判る(国土地理院図に現在は『廃坑』とある)。
「辨天山」不詳だが、先の「ひなたGPS」の旧金山のすぐ東に『829.1』のピークがあるので、ここか。なお、この沢筋を登ると、『高前鉄坑』があり、そのをさらに南に登ると、栗橋村内に『雄岳』(現在の標高は一三一二・二メートル)があるが、「雄岳」の別名に「辨天山」は相応しくないと思う。
「上閉伊郡栗橋村」岩手県上閉伊郡にあった村。現在の釜石市栗林町・橋野町(南東に接して栗林町がある)に相当する(グーグル・マップ・データ航空写真)。旧村域の大部分が山間部である。]
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