佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「乳房をうたひて」趙鸞鸞
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
乳房をうたひて
浴 罷 檀 郞 捫 弄 處
露 華 凉 沁 紫 葡 萄
趙 鸞 鸞
湯あがりを
うれしき人になぶられて
露にじむ時
むらさきの葡萄の玉ぞ
※
趙鸞鸞 唐の妓。 未詳。 その作の傳はるものは五首卽ち、雲鬟、柳眉、檀口、酥乳、纎指の五題いづれも肉體の美を咏じたものである。 もとより閨房の譃咏ではあるが、その纎細な美は同じ唐の妓女史鳳の七首などとは比ぶべきではない。 譯出したものは酥乳の轉結である。 その起承は「粉香汗濕瑤琴翰、春逗酥融白鳳膏」であるが、文字の美を去つてその意を傳へても無意味に近いからこの二句の譯は企てなかつた。
※
作者解説の中の「閨房」は「閏房」と誤っている(恐らくは誤植で校正で佐藤自身も気づかなかったのであろう)。講談社文芸文庫版で訂した。
個人ブログ「杉篁庵日乗」の「趙鸞鸞の詩」に、現在に伝わる五首が、凡て、電子化されているので、是非、参照されたい。訓読・語注も完備している。それを参考に、以下に原詩全体を示し、訓読してみる。
*
酥乳
粉香汗濕瑤琴軫
春逗酥融白鳳膏
浴罷檀郞捫弄處
露華凉沁紫葡萄
酥乳(そにゆう)
粉(ふん) 香(かんば)しく 汗 濕(しつ)す 瑤琴(やうきん)の軫(しん)
春 逗(とど)まりて 酥(やはら)かく 白鳳(はくほう)の膏(あぶら)を融かす
浴(ゆあみ) 罷(を)はりて 檀郞(だんらう)の捫(と)りて弄(もえあそ)ぶ處(ところ)
露(つゆ)の華(はな) 凉(すず)やかに 紫(むらさき)の葡萄に沁)(し)む
*
杉篁庵主人氏の語注によれば、
《引用開始》
・酥乳:白く柔らかく滑らかな乳房。
・瑤琴:玉琴。瑤は美しい玉(ぎょく)。
・軫:七弦琴の糸巻の部分。(悲しむ、悼む。)
・逗:からかう、かまう、あやす。誘う、招く。留まる。 逗弄:からかう、ふざける。誘う。
・酥:柔らかい。
・膏:脂肪。肥えてうるおいのあるもの。
・檀郎:夫や愛する男を称する。だんなさま。
・捫:手を当てる、押さえる。
・沁:しみ込む、滲(にじ)み出る。
《引用終了》
言わずもがなであるが、「粉」は「白粉」(おしろい)。杉篁庵主人氏の「軫」の注の意味は、表では映像として彼女が演奏しているのであろうところの『七弦琴の糸巻の部分』の視覚的なアップ画像のそれであるが、その漢字が別に持つ動詞としての意味である『悲しむ、悼む』や「憂える」ような、妖艶にしてダルな雰囲気が、その七弦琴の調べに示唆されているという聴覚的効果を狙っているのを指しているのであろう。
この二句については、いろいろ言ってみたい気はするが、語るに落ちることしか言えないような気もするので、敢えてやめておくこととする。]
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