譚海 卷之九 駿州吉川吉實家藏鈴石の事 /(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 鷲石考』に必要となったので、フライングして電子化する。]
○駿河國に吉川吉實(よしざね)といふ者有(あり)、先祖は賴朝卿富士の狩場に供奉(ぐぶ)せしとぞ。吉實、世々(よよ)、惣左衞門と稱して、富士郡(ふじのこほり)傳法村(でんばふむら)に住居す。宅のうしろに鏡塚とて、大なる楠樹(くすのき)生(おひ)たるあり。吉實より百五十年ほど以前、祖父法順といふもののとき、一夜大風吹(ふき)たる事ありしに、塚の楠を吹たふしたる下より、石槨(せつかく)を得たり。掘出(ほりだ)してひらき見しかば、其内に徑(わたり)七八寸計(ばかり)の石一(ひとつ)あり、其外には一物(いちもつ)もある事なし。此石眞中(まんなか)に穴ありて、穴の内に丸き石ふくみてあり。ふりならせば鈴の聲(こゑ)に違(たが)ふ事なし、夫(それ)より是をすゞ石と號し家に祕藏し、事ある時は祈禱するに、その應(わう)あり。近き年に至(いたり)て石の靈(れい)漸くうすろぎたるにや、その驗(しるし)も又まれなりとぞ。今年天明八年公儀御奥方御用承る中村景連(かげつら)といふもの、久能御普請の事によりて、 するがへおもむきしに、富士川に逗留せしほど、吉実方に行(ゆき)て此石を見て、殊に賞翫せしかば、かゝる田舍のはてに埋(うづめ)おかんよりは、江戶へ出(いだ)して人にしられんは、石にも面目(めんぼく)成(なる)べしとて、あるじ終(つひ)に此石を景連にあたへけり。悅(よろこび)にたへずもちかへりて、はじめて人々にも見せ興ずる事になり、此石のためにあまねく詩歌を人にもとむるよし、人のかたりしまゝしるしぬ。
[やぶちゃん注:「吉川吉實(よしざね)」名は推定。姓は「きつかは」か「よしかは」か判らない。
「世々」代々。
「富士郡傳法村」現在の静岡県富士市伝法(でんぼう:グーグル・マップ・データ)。濁音であるので注意されたい。
「中村景連(かげつら)」名は推定。]
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