「新說百物語」巻之二 「相撲取荒碇魔に出合ひし事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。本篇には挿絵はない。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
新說百物語卷之二
相撲取(すまうとり)荒碇(あらいかり)魔(ま)に出合ひし事
上京(かみ《ぎやう》)に、かち荷物をして、夫婦、くらすもの、あり。
平生(へいぜい)、相撲を好み、「荒碇」と名のりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、すこし、訳ありて、後には「楯石(たていし)」と申しける。
常に荷物をはこふ[やぶちゃん注:ママ。]に、大津、又は、伏見・鳥羽より、馬壱駄(だ)を、かろかろと、一荷にして、持ち通ひけるにより、外《ほか》の人よりも、賃錢(ちんせん)、おゝく取りて、夫婦、らくらくと、その日を送りける。
あるとき、又〻、常の如く、大津へ荷物を持行《もちゆき》、歸りには、石の井筒《いづつ》の四枚にしたるを、弐枚づゝ、片荷にして、凡そ、壱負《ひとおひ》のおもさ、七拾四、五貫目[やぶちゃん注:二百七十七・五~二百八十一・二五キログラム。]、これ、あるへき[やぶちゃん注:ママ。]を、持ち歸りけるか[やぶちゃん注:ママ。]、「日の岡」を越えて、息杖(いきつえ[やぶちゃん注:ママ。])をして、おもひけるは、[やぶちゃん注:「日の岡」京都府京都市山科区日ノ岡。この附近(グーグル・マップ・データ)。拡大したグーグル・マップ・データ航空写真で「旧東海道道標 (日ノ岡の峠道)」も示しておく。「息杖」(いきつゑ)駕籠舁きや重い物を担ぐ人が、一休みする際に荷物を支えたり、体のバランスをとったりするために使う長い杖。]
『此海道を、おゝく[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]の荷物を運ぶ人、おゝけれとも、七拾貫目餘《よ》の荷物を持つ者は、我ならては[やぶちゃん注:ママ。]有るまし[やぶちゃん注:ママ。]。』
と、休み居《をり》ける處に、何國《いづこ》より來たるとも見へす[やぶちゃん注:ママ。]、四十はかり[やぶちゃん注:ママ。]の女、おなしく[やぶちゃん注:ママ。]そは[やぶちゃん注:ママ。]に休み居《ゐ》たり。
荒碇、聲をかけて、
「いづかた[やぶちゃん注:ママ。]へ行かるゝや。たはこ[やぶちゃん注:ママ。]の火を、かし申すべし。」
と申しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、彼の女、こたへていはく、
「それは。かたしけなし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、懷中より、きせる取出《とりいだ》し、荒碇も、荷をおろして、はなしをいたしけるか[やぶちゃん注:ママ。]、女のいはく、
「其荷物は、何ほと[やぶちゃん注:ママ。]おもさのあるものにや。」
と尋ねける。
こたへて云ふやう、
「およそ七拾貫目餘もありぬへし[やぶちゃん注:ママ。]。此道を、このおも荷を持ちて通ふ者、我ならでは、あるまし。」
と、自慢を申しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、此女、少しも、おとろく[やぶちゃん注:ママ。]けしきもなく、
「さあらは[やぶちゃん注:ママ。]、此風呂敷包を、持ちて見給へ。」
とて、ちいさきふろしき包を、さし出す。
「心やすき事。」
とて、手をさしのへけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、手の上へ、のするに、其おもさ、何百貫目あるをも、知らす[やぶちゃん注:ママ。]。
こたへす[やぶちゃん注:ママ。「こらえきれないで」。]、下に、をきて[やぶちゃん注:ママ。]、大きにあきれ果たり。
女か[やぶちゃん注:ママ。]、いはく、
「此風呂敷さへ、もたぬ身にて、力じまんこそ、おかしけれ。[やぶちゃん注:ママ。]」
といふ内に、㒵(かほ)のさま、かはり、色は、靑さめ[やぶちゃん注:ママ。]、まなこ、きらめきて、口は、耳の根まて[やぶちゃん注:ママ。]、きれ、
「すつく」
と、立ちたるありさま、さしもの男も、振(ふる)ひ、わなゝくはかり[やぶちゃん注:ママ。]なりしが、俄に、雨風、はげしく、空、かきくもり、眞(しん)の闇(やみ)とそ[やぶちゃん注:ママ。]、なりにける。
男も仕樣なければ、常に信心し奉る天滿宮の御名、となへ、目を、ふさきて[やぶちゃん注:ママ。]、打ちふし居《ゐ》たり。
しばらくすると、雨風も、やみ、彼《かの》女も、行方《ゆくへ》なく、往還(わうかん)の人、そばを、大勢、通りて、やはり、海道の側(そば)なり。
此者の高慢をさまたけん[やぶちゃん注:ママ。]とて、魔の、かくは、いたしけるにや。
そのゝち、かの男も、相撲も相《あひ》やめ、ちから事も、いたさざりける。