佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「行く春の川べの別れ」趙今燕
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
行く春の川べの別れ
一 片 潮 聲 下 石 頭
江 亭 送 客 使 人 愁
可 愁 垂 柳 糸 千 尺
不 爲 春 江 綰 去 舟
趙 今 燕
岩にせかるる川浪や
人に別るるわが歎 長々(ながなが)しくも
徒らに堤のやなぎ糸たれて
去りゆく舟を得つなぎもせず
※
趙今燕 十六世紀中葉。 明朝萬曆年間。 名は彩姬。 吳の人。 奏淮[やぶちゃん注:「秦淮」(しんわい)の誤記か誤植。]の名妓である。 才色ともに一代に聞えてゐた。 日ごろ風塵の感を抱いて妄(みだり)に笑(せう)を賣ることを好まず、書を讀むことを喜び、靑樓集を著したといふ。
※
[やぶちゃん注:この原詩の標題は「暮春江上送別」であるが、転句は中文サイトのこちらを見ても、「可憐垂柳糸千尺」である(「糸」は「絲」とする)。国立国会図書館デジタルコレクションの『和漢比較文学』第十号の小林徹行氏の論文「『車塵集』考」を見たところ、原詩は「可憐垂柳糸千尺」であり、佐藤春夫が恣意的に確信犯で書き変えていることが判明する。しかも、佐藤は後発の「春夫詩抄」(岩波文庫・初版・昭和一一(一九三六)年刊/改版・昭和三八(一九六三)年)では、「可悲垂柳糸千尺」とさらに書き変えてもいるので、注意されたい。
・「萬曆年間」明の第十四代皇帝神宗の在位中に使われた。一五七三年から一六二〇年まで。
・「秦淮」六朝時代の首都南京の近くを流れる川名(秦代に開かれた運河)。両岸には酒楼が多く、今に至るまで、風流繫華の地である。
・「笑を賣る」売淫すること。
以下、正しい原詩を示して、推定訓読する。
*
暮春江上送別
一片潮聲下石頭
江亭送客使人愁
可憐垂柳糸千尺
不爲春江綰去舟
暮春江上の送別
一片の潮聲(てうせい) 石頭(せきとう)を下(くだ)り
江亭 客(かく)を送る人を愁へしむ
憐(あは)れむべし 垂柳(すいりう)の糸(いと) 千尺
春の江(かは) 去れる舟を綰(つな)ぐことも爲(せ)ざる
*]
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