佐々木喜善「聽耳草紙」 一一〇番 泥棒神
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一一〇番 泥 棒 神
昔正直な男があつた。橫田の町(遠野町)の大鶴堰《だいかくぜき》と云ふ田圃路へ田の水見《みづみ》かなんかに行くと、何處からともなく妙な笛太鼓の囃子の音が聞えて來た。どうも其が幽かで不思議なので、其音をたよつて行くと、何でも堰《せき》に架《かか》つた古橋《ふるばし》の下の邊《あたり》らしく、覗いて見ると其所に小さな人形が居た。
其男は、歌を唄つたりする人形だもんだから、窃《ひそ》かに其を拾つて來て家の誰にも氣づかれないやうな所に匿《かく》して置いた。ところが、どうも其人形の顏が見たくなつて堪《たま》らない。人形を見ると盜みがしたくて堪らなかつた。其の人形をふところへ入れて物を盜むと、何一つとして意《い/おもひ》のようにならぬことはなく、大びらに人の前で盜(ト)つても、決して人に氣づかれる事がなかつた。そして泥棒がとても樂しみになり、每日每夜それを巧みに行(ヤ)るので、家財も日增《ひまし》に殖えて、忽ち有福な生活向きとなつた。
ところが每日每夜、町から在鄕へかけて物が頻繁に盜まれる。それに某《なにがし》は夜も晝も家に居らず出步いて居た、誰某《だれがし》は夜明けに歸つて來たのを見たとか、昨夜は斯《か》う云ふ物を背負つて居たとかと、其男について變な評判が立つやうになつた。愈々此頃ハヤル泥棒は某だと云ふ嫌疑がかゝつた。それを聞いた本家の主人が來て、此頃《このごろ》お前の事で大變騷いでゐるやうだが、今に重い刑罰(シオキ)を受けるから、今の中《うち》に改心しろと嚴(キツ)い意見をした。そして色々な話の末に某は遂に包み切れず、大鶴堰で不思議な人形を拾つてからの事を話して、其小人形を元《もと》在つた所へ棄てた。すると又もとの正直一方な男となつた。
(此話は大正十四年三月蒐集した物、話者岩城氏の話の九。奧州には泥棒神が小人形であつた話が、「江刺郡昔話」の中の五郞が欠椀《かけわん》のお蔭で出世したと謂ふ話などは村では欠椀と話すが、別に小さな人形コであつたとも云ふのもある。とにかく泥棒神なるものは器具や人形を拾つてから取つつくと謂ふのである。)
[やぶちゃん注:附記は、例によって、同ポイントで引き上げた。「欠椀」の「欠」の新字はママ。
「橫田の町(遠野町)」この地名は戦前の地図でも見当たらないが、グーグル・マップ・データの「横田城」及び「松崎町横田の石碑群」の附近と思われる。
「大鶴堰」の読みは、国立国会図書館デジタルコレクションの宝文館出版一九七四年刊「佐々木喜善資料 遠野のザシキワラシとオシラサマ」の「屋内の神の話」のここに同じ内容の話が佐々木によって記されており、そこに『大鶴(だいかく)堰』ルビが振られていたのに従った。また、しばしばお世話になるdostoev氏の「不思議空間「遠野」―「遠野物語」をwebせよ!―」の『遠野不思議 第八百三十六話「不気味な人形」』に「佐々木喜善資料 遠野のザシキワラシとオシラサマ」の同話を紹介された(但し、同書のものは後年出た別種も確認したが、文章は敬体であるから、或いはdostoev氏が常体に書き直され、手を加えられたものかとも思われる)を後、「大鶴堰」がどこにあるかを考証され、『「遠野市史(第三巻)」「町内用水堰と栃洞堰」に、その大鶴堰が載っていた。「鶯崎に水門を設けて水流を規制し、堰を造って現在の新屋敷を通って穀町に入らせるよう用水堰を設け、一日市町を経て新町の入り口で来内川に落とすようにして、これを大鶴堰と名付けた。」とあった。この大鶴堰は阿曽沼時代で鍋倉山に城を移転してからという事なので』、十七『世紀後半の頃であったろう』とされ、『鶯崎から始まる大鶴堰の終点は新町の入り口であるようだが、現在「とおの物語の館」から似たような感じに、堰から川へと落とすように造られている』。『実際は、新町の入り口に落すように…と記されているので、画像の場所あたりに、大鶴堰の落とし口があったのだろう』(リンク先に写真有り)。『人形に憑かれた男は、田を見に行っての事だったが、田圃は新町の裏側で猿ヶ石川沿いから愛宕にかけてあったようだが、稲荷下近辺から鶯崎近辺にある初音橋の辺りまで、かなり広い田圃があったようだ。物語の記述から、どうもひと気の無い場所の様であるから、新町の大鶴堰の終点から町中にかけては恐らく違うだろうという事で、この物語の場所は鶯崎での事件だったのかもしれない。堰にかかる橋は、立派な橋では無く粗末な小さな橋であったろうと想像する』と述べておられる。「ひなたGPS」では、現在の鶯崎町はここである。なお、以下、呪具としての人形の、この大鶴堰に纏わる『祓の行事』のことが書かれてあるが、引用が長くなったので控える。是非、引用元を参照されたい。
『「江刺郡昔話」の中の五郞が欠椀のお蔭で出世したと謂ふ』戦前の『炉辺叢書』版の原本で国立国会図書館デジタルコレクションのここから「五郞が缺椀のお蔭で出世したと謂ふ話」が読める。]
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