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2023/06/30

「奇異雜談集」巻第一 ㊂人の面に目鼻なくして口頂の上にありてものをくふ事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。【 】は怪奇談では珍しい二行割注。本篇のメインは、知人の知れる人のまた聴きの語りであるので(故に所謂、怪しげな「噂話」「都市伝説」の属性を持っているとは言える)、「……」と行空けを用いて、鍵括弧(「」・『』)の五月蠅い使い分けを簡略した。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊂人の面(おもて)に目鼻(めはな)なくして口(くち)頂(いたゝき[やぶちゃん注:ママ。])の上にありてものをくふ事

  予、若年(ぢやくねん[やぶちゃん注:ママ。])のとき、丹後の府中に居住(きよぢう[やぶちゃん注:ママ。「きよぢゆう」が正しいが、しばしばこの発音の歴史的仮名遣では「ゆ」が脱落する。])す。

 津の國の聖道(しやうだう)一人《ひとり》【名、藤姓。】、九世戶參詣のついでに、予が居所(きよしよ)にきたりて、數日(す《じつ》)とうりう[やぶちゃん注:「逗留」。]のとき、語りていはく、

 

……津の国に、一人の聖道あり。日本六十六ケ国をしゆぎやう[やぶちゃん注:「修行」。]するに、国ごとに十日、廿日、とうりうして、その国中のめいしよ・きうせき・大社(たいしや)・驗仏(けんぶつ)、殘りなく、一覽をとげて、かへるなり。……

[やぶちゃん注:「聖道」 岩波文庫の高田氏の注に、『唱導に同じ。唱導師の略。民衆敎化のため説法をして歩く者』とある。

「九世戶」同前で、『京都府宮津市の天橋立の南対岸周辺。当地の五台山智恩寺の文殊堂は、久世戸の文殊、又は切戸の文殊と称され、諸人の信仰を集めた』とある。五台山智恩寺の中の文殊堂はここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「九世戸縁起」(この智恩寺に伝わる古文書)よれば、『九世戸(くせど)は「くせのと」とも称し、智恩寺と廻船橋』『で結ばれた小島との間の海を示す。智恩寺は別称を「九世戸・文殊堂」ともいい、中世、その存在を天橋立と一帯のものとしてとらえ』、「九世戸縁起」の冒頭では「九世の戸あまのはしたてと申は本尊は一字文殊」と記して、その由来を述べている』。『同時に』、この「縁起」は『丹後半島の他の地名の由来も語っており、丹後地方の起源伝説とみなすこともできる地名由来伝承のひとつである』とある。私は一度、友人らと訪れたことがある。

「驗佛」霊験あらたかな仏像。]

 

 その人、かたりて、いはく、

 

……ある国にて【国名、忘却。】、ここかしこ、はいくわいするに、はるかにみれば、大《おほき》なる家、あり。行きてみれば、農作の家なり。甚だ、はんじやうす。牛馬(うしうま)、おほく養なひ、奴婢(ぬび[やぶちゃん注:ママ。])・僕從(ぼくじう[やぶちゃん注:ママ。正しくは「ぼくじゆう」。])、多く群らがる。

 われ、門庭(もんてい)の中に入《いり》てみれば、家主(いへぬし)の内婦(ないふ)、はるかに我をみて、侍女をもつて、我を奧に請(しやう)ず。

 我、しんしやく[やぶちゃん注:「斟酌」。ここは「遠慮して」の意。]して行かず、あひはかりて、先《まづ》、かまどのへんに佇立(たちやすらふ)。

 また、侍女、きたりて、上にしやうず。

 我、行《ゆき》てみれば、つねに客僧をくやうするざしきあり。我、ちやくざす。[やぶちゃん注:「くやう」は「江戸怪談集」版では、『供応』となっており、注で『もてなすこと』とある。]

 わかたう[やぶちゃん注:「若黨」。]、數輩(すはい)ありて、經営す。

 侍女、齋饌(とき)を持ちきたりて、我に供(くう)ず。我、よく受用(じゆよう)す。

[やぶちゃん注:「齋饌(とき)」ここは広義の「僧侶の食事・その糧」の意。狭義のそれは以下。仏教僧は原則、食事は午前中に一度しか摂れないとされ、それを「斎時(とき)」と呼ぶ。実際には、それでは身が持たないので「非時(ひじ)」と称して、午後も食事をした。]

 齋、おはれる[やぶちゃん注:ママ。]に、内婦、來《きたり》て、

「いづかたの客僧ぞ。」

と問へば、

「我は、上がたのもの。」

と、こたふ。

「上かた[やぶちゃん注:ママ。]の御僧《おんそう》ときけば、御なつかしく候。御覽候ごとく、家は冨貴(ふうき)に候へとも[やぶちゃん注:ママ。]、亭主は、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]の『かたわ人《びと》』にて候。その人の果報にて、斯くのことく[やぶちゃん注:ママ。]栄え候。菩提けちえん[やぶちゃん注:「結緣」。]のために、亭主を見せ申したく候。」

「なかなか見しべし。」[やぶちゃん注:同前で「なかなか」は『ここでは「いかにも」の意』とし。「見しべし」は『「見るべし」と同じ。上方語法』とある。唱導師であるからには、成すべきこととなるので、積極的に受諾したのである。]

といへば、

「さらば、こなたへ。」

とて、内婦、先に行く。我は後に行く。

 その家づくり、廣大にして、びゝしく[やぶちゃん注:「美々しく」。]、きれい・ごんじやう[やぶちゃん注:「綺麗・嚴淨」。]、目を驚かす。

 又、別に小殿(《しやう》でん)一宇あり、らうかを、わたりてゆく。

 なほもつて、けつこう[やぶちゃん注:「結構」。造り。]、きら[やぶちゃん注:「綺羅」。]をみがく。

 内婦、立《たち》かへりて、いはく、

「亭主のかたちを見て、をどろき[やぶちゃん注:ママ。]、にぐる人、あり。くるしからず候。御心得ありて、御覽候へ」

とて、内婦、こししやうじを開くれば、四間(よま)の座敷の中に、座してゐたり。

[やぶちゃん注:「こししやうじ」腰障子。同前の高田氏の注に、『腰板の高さが約三十センチメートルほどの明り障子』とある。「四間(よま)」同前で『二間四方の広さ』とある。約三・六四メートル四方。]

 

Syoudousinohanasi

 

[やぶちゃん注:より鮮明で大きな底本早稲田大学図書館「古典総合データベース」の画像はこれ。]

 

 頸(くび)より上は、つねの頭《かしら》の大きさにして、ゆふがほ匏(ひさご)のごとくに、目・鼻・口、なし。[やぶちゃん注:「ゆふがほ匏(ひさご)」瓢箪(ひょうたん)のこと。]

 耳は、兩方に、少し、かたち、ありて、穴(あな)、わづかに、みえたり。

 頭上(づ《じやう》)に、口、あり、蟹の口に、にて、

「いざいざ」

うごく。

 うつは物に、飯(いひ)を入《いれ》て、箸を、そへて、棚に有《ある》を、内方《うちかた》[やぶちゃん注:「内婦」。妻女。]、とりて、

「物を食はせて、みせ申さん。」

とて、箸にて、飯を、頭上の口にをけ[やぶちゃん注:ママ。]ば、

「いざいざ」

と、うごく。

 飯、をのづから[やぶちゃん注:ママ。]入りぬ。

 ふためとも、見がたし。

 頸より下は、つねの人なり。

 皮膚、さくら色にして、ふとらず、やせず、手あし・指・つめ、美容(びよう)にして、あざやかなり。いしやうは、花色(くはしよく)[やぶちゃん注:「華美」に同じ。]、事をつくす。上には、もぢのすきすわうに、白袴にちぢみを寄せたり。[やぶちゃん注:「もぢのすきすわう」「綟の透素襖」。同前の高田氏の注に、『麻糸をもじって目をあらく織った布で仕立てた、夏用の素襖。室町時代の略儀用上衣』とある。]

 しかしながら、皆、夜(よる)のにしきにして、詮(せん)なし。[やぶちゃん注:「夜のにしき」「夜の錦」で、亭主には目がないので、その金襴もあたら空しいことを言う。]

 久しく見ること、あたはずして、さる。

 かへりて、元の座敷につく。

 内婦も、また、來たりて、いはく、

「ふしぎの人を見せ申して、恥かしく候。夫婦となり候事、我が身の業障(ごつしやう)あさましく候。結緣のため。」

とて、路錢(ろせん)、すこし出《いだ》し、ほどこすを、客僧、とりて去る、と云々……

[やぶちゃん注:先だっての『佐々木喜善「聽耳草紙」 一二五番 駒形神の由來』の注でも述べたが、病態としては、サイクロプス症候群(単眼症)の単眼も失った奇形が想起されるが、単眼も失っていて、しかも口が頭頂にあるというのは、おかしい。しかも、サイクロプス症候群は、脳の形成異常を伴う重症の奇形で、殆んどが死産、若しくは、出生直後に死亡し、長くても一年以内に死亡するようである。手塚治虫の「ブラック・ジャック」の「魔女裁判」で単眼症の少年が登場するが、ああいうことは一寸考え難い気がする。しかし、この人物は成長しており、首から下は完全な成人男性であるというのは、全く以って信じることは出来ない。奇形を怪談化するものは、どうもそういったものを考え出すこの唱導師や、或いは、創作した著者自身の猟奇的変態性を感じさせて、そうした向きから極めて残念な感じがするのである。]

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