「新說百物語」巻之四 「何國よりとも知らぬ鳥追來る事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここ。挿絵はない。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
何國《いづこ》よりとも知らぬ鳥追《とりおひ》來《きた》る事
京四条あたりに、むかしより、大晦日の夜、鳥追ひのおもらひ來る家あり。
「遣はす物とては、たゞ、餠、壱重《いちぢゆう》、鳥目《てうもく》二十文なり。此一軒を目あてに、むかしより來る事、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なり。又、鳥追ひの在所も、聞きたる事も、なし。每年、弐人《ふたり》、大晦日の夜、八つ時[やぶちゃん注:午前二時頃。]に來るなり。ある年、普請いたして、店作りを、格子に作りかへける。そのとしより、不通に、きたらず。我が家のあるし[やぶちゃん注:ママ。] 、六十年は覚へて居《をり》侍る。その前は、いつより來るといふ事を、しらす[やぶちゃん注:ママ。] 。近所にて、いにしへより、「長者の屋しきあと」ゝいゝ[やぶちゃん注:ママ。]ならはせり。その鳥追ひのうたふ事は、目出度《めでたき》事はかり[やぶちゃん注:ママ。] いゝならへて、一時はあかり[やぶちゃん注:ママ。] 、うたひたる。」
よし。
[やぶちゃん注:これは実話と考えて間違いあるまい。話柄の殆んどが、その屋敷(何ならかの店(たな)持ちの商人)の関係者である普通の町人の直接話法(「我が家のあるじ」)というのも、怪奇談物では、特異点と言える。
「鳥追い」小正月の予祝行事及一種の芸能者。前者は、秋の収穫時には、雀・鷺・鴉などに作物を荒らされることが多いが、年初に害鳥を追い払う呪術的な行事をしておけば、その効果が秋にまで持続するという考えに基づく。子供たちが、手に手に「鳥追い棒」と称する棒切れや杓子(しゃくし)を持って、打ち鳴らし、「朝鳥ほいほい、夕鳥ほいほい、……物を食う鳥は、頭割って塩つけて、佐渡が島へ追うてやれ」などの歌を歌いながら、田畑などを囃して回る。大人も参加して家ごとにするもの、子供仲間が集まって家々を訪問して歩くもの、「鳥追い小屋」と称する小屋に籠るものなどの異なった形式があり、信越地方から関東・東北にかけて広く分布する年中行事である。近世には三味線の伴奏で門付をしながら、踊る者が現れ、これも「鳥追い」という。ここはそれで、正月元日から中旬まで、粋な編笠に縞の着物、水色の脚絆に日和下駄の二人連れの女が、艶歌を三味線の伴奏で門付をした。中旬以後は菅笠に変え、「女太夫」(おんなだゆう)と称したともされる。京都悲田院に住む与次郎の始めたものと言い伝えるが、京坂では早く絶え(これが或いは本話で来なくなったことと関係するのかも知れない。本書の刊行は明和四(一七六七)年で江戸中期後半である)、江戸では明治初年まであった(主文は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]
« 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「池のほとりなる竹」張文姬 | トップページ | 「新說百物語」巻之四 「鼡金子を喰ひし事」 »