「新說百物語」巻之四 「疱瘡の神の事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。
挿絵は、「続百物語怪談集成」にあるものをトリミング補正して使用した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]
疱瘡(ほうそう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「はうさう」。])の神の事
丹波国与謝(よざ)の郡《こほり》、ある年、村中、疱瘡、はやり、小児のむきは、殘らず、疱瘡、いたしける。
[やぶちゃん注:「与謝(よざ)の郡」旧郡域はウィキの「与謝郡」を見られたいが、丹後半島の南東部半分と、天橋立を中心に現在の宮津市の大部分、丹後半島の南東の若狭湾奥の沿岸まで含む非常な広域であった。また、「よざ」の読みは誤りではない。そこに『地元では「よさぐん」ではなく「よざぐん」と発音されることが多い』とあり、二〇一一年三月に『開通した山陰近畿自動車道与謝天橋立ICは、地元の読み方を尊重して「よざあまのはしだて」と命名されている。また』、『与謝野町内の地名「与謝」は』、『行政上も「よざ」と読まれる』とある。]
正月にいたりて、疱瘡も、しづまり、三右衞門といふものゝ子どもはかり[やぶちゃん注:ママ。]、最中なりける。
三右衞門、律儀なるものにて、はなはだ、疱瘡の神を、うやまひ、まつりて、信心いたしける。
正月七日の夜、疱瘡の子も、殊の外、ようす[やぶちゃん注:ママ。]、よろしかりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、家内のものにも、
「いつかたへなりとも、ゆきて、あそふへし[やぶちゃん注:総てママ。]。」
と、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]て、宝引錢《ほうびきせん》など、あたへ、皆々、近所へ出行《いでゆき》けり。
[やぶちゃん注:「宝引」福引の一種。数本の縄を束ね、その中の一本に橙(だいだい)の実を附けて、それを引き当てた者に賞を出すもの。銭をつけて、引かせることもあった。中世から近世にかけて、正月の遊戯として行なわれ、家庭で行なうほかに、「辻宝引」・「飴宝引」などの賭博的なものもあった(小学館「日本国語大辞典」に拠った。ネットの 同「精選版」に挿絵があるので参照されたい)。]
三右衞門ひとり、いろりの側に、子を、ねさせて、たはこ[やぶちゃん注:ママ。]のみて居《ゐ》たりければ、夜中過《よなかすぎ》に、表の戶を、あけて、大勢、内へ、はいるもの、あり。
[やぶちゃん注:底本の巻之二にあったそれ。キャプションは、右幅の右手、表戸の入り口の上に、
*
こゝ
じや
こゝじや[やぶちゃん注:底本では踊り字「〱」。
*
その戸の、向かって左の内壁に、
*
ていしゆ
うち
に
いら
るゝ
*
と敬語を用いている疱瘡神の一人の台詞。次に左幅の右手のやや中央上に、子の看病に囲炉裏脇に座っている亭主三右衛門の台詞。
*
おそろ
しい
ものが
きた
*
囲炉裏の下方に、疱瘡神の御礼の挨拶。
*
いづれも
ごちそう
に
なりました
おれいに
まいり[やぶちゃん注:多分、「ひ」ではなく「い」。]
まし
た
*
と、やはり敬体で述べているのが、微笑ましい。]
みなみな、異形のものにて、男女老若のわかちなく、四、五十人、來たり、
「我々は、疱瘡の神なり。同国小濱《おばま》の善右衞門船《ふね》に、のりて、冬とし[やぶちゃん注:「年・歲」で「時候」の意。]、此村へ來たり。三百軒はかり[やぶちゃん注:ママ。]、皆々、疱瘡も、しまひて、是れより、又々、外《ほか》へ、まはるなり。あまり、そこ元の、ちそうになりたるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、みなみな、礼にと、參りたり。」
と、いひける。
三右衞門、是れをきゝて、
「左樣ならば、此壱里おくに、九兵衞といふ一家あり。子供弐人《ふたり》、いまだ、ほうさう、いたし申さす[やぶちゃん注:ママ。]。賴み申す。」
と、たのみける。
皆々、いふやう、
「それは。なにより、やすき事なり。すくに參るへし[やぶちゃん注:総てママ。]。」
と、いふて、出《いで》たりける。
あくる日手かみ[やぶちゃん注:ママ。]、したゝめて、右の樣子、九兵衞かたへ、しらせに遣《つかは》しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、
「もはや 夜の中《うち》より 熱 いてゝ[やぶちゃん注:ママ。] ほとをりと見へたり」
[やぶちゃん注:「ほとをり」「ほとぼり」(「熱」「餘熱」)で、まだ、熱がさめきらずにちょっとあることを言っているのであろう。]
と、返事いたしける。
二人とも、かろく、すくたち、別条なかりし。
[やぶちゃん注:「すぐたち」ではないか。「直ぐ經ち」で「程なく経過もよく治って」の意かと思う。]
「其後、此一家、浦嶋氏の子孫、今に殘らす[やぶちゃん注:ママ。]、ほうさう[やぶちゃん注:ママ。]、かろくする事、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なり。」
と、則ち、浦嶋の何某《なにがし》、語られける。
[やぶちゃん注:初読、「与謝の郡」とあるのを見ただけで、私は、『浦島伝説の有力な伝承地だ。』と想起した。それが、最後に、ちゃんと出されたところは、まっこと、ニクい書き振りである。疱瘡神の怪奇談は、既に幾つも電子化しているのだが、このように、個々の疱瘡神の姿が、多様な異形尽し(二人と似た異形がなくて、まさに「百鬼夜行」のようだ。或いは作者はこの一枚に表題の「百物語」からそれを嗅がせようとしたものかも知れない)というのは、まず、例を見ない。寧ろ、この話のように船に乗って目的地に行く場合、疱瘡神は普通の人の姿をしていたとあった一話を記憶する。ここは、総勢、十一のオール・スター・キャストで、この挿絵は特異的で、しかも強烈である。また、疱瘡の話では、子が亡くなることが書かれることが多く、治っても、激しいアバタで悲惨な後日談となるのが一般的なのだが、ここでは、最後まで、皆、疱瘡で命を落とす者もおらず、予後不良の気味の悪いあばた顔などのシーンも、最後まで、ない。そうして、最後に、この話に出るこの人たちは、実は、乙姫から長命を授かった浦島の子孫であるという種明かしも、ピシット決まって、なかなかに、いいのである。]
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