「新說百物語」巻之二 「江刕の洞へ這入りし事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。本篇には挿絵はない。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
江刕の洞(ほら)へ這(はひ)入りし事
江州のある村の山の上に、大きなる洞穴あり。
むかしより、誰(たれ)あつて奧のふかきを見とゝけ[やぶちゃん注:ママ。]たるもの、なし。
「奧には、大虵(《だい》じや)の住む。」
ともいゝ[やぶちゃん注:ママ。]、子どもなどは、
「鬼が、すまゐする。」
といふて、かたはらへ寄るものも、なし。
あるとしに、勢州より來たりける神主あり。
「我は、いかで、奧のふかきを、見とゝ[やぶちゃん注:ママ。]けん。」
とて、又、其時に、大夫(だいふ)なるものありて、彼と二人連(づれ)にて、干飯(ほしいゝ[やぶちゃん注:ママ。])やうの物・酒など、用意して、はいりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、をよそ[やぶちゃん注:ママ。]弐、三丁[やぶちゃん注:約二百十八~三百二十七メートル。]ほど、奧へ、はいりけるとおもふに、次㐧に、穴、ちいさくして、やうやうと、壱人つゝくゝるはかり[やぶちゃん注:総てママ。]にて、上より、
「したした」
と、雫、落ちて、松明(たいまつ)にて、すかしみれは[やぶちゃん注:ママ。]、鍾乳石、水柱(つらゝ)のごとくさがり、しろき蝙蝠(とんぼう[やぶちゃん注:ママ。コウモリの異名としては私は知らない。彫師が「蜻蛉」と誤読して読みをかく彫ったものか?])、
おゝく[やぶちゃん注:ママ。]、飛《とび》ちかひ[やぶちゃん注:ママ。]けるを、拂ひのけ、拂ひのけ、行きけれは[やぶちゃん注:ママ。]、
『弐里はかり[やぶちゃん注:ママ。]、行く。』
と、おもへは[やぶちゃん注:ママ。]、すこしはかり[やぶちゃん注:ママ。]、あかりのさすやうなる所、あり。
小川、なかれ[やぶちゃん注:ママ。]て、砂は、皆、銀のことく[やぶちゃん注:ママ。]、兩の岸には、ひつしり[やぶちゃん注:ママ。]と、松茸(《まつ》たけ)のやうなるもの、はへてありける。
とくと見れは[やぶちゃん注:ママ。]、皆、水晶のいろにて、やはらかなるものなり。
夫《それ》より、弐里ばかり行けは[やぶちゃん注:ママ。]、ちいさき小社あり。
何の神といふことも知れす[やぶちゃん注:ママ。]。
「迚(とても)の事に。」
と、石の戶を、ひらき見れは[やぶちゃん注:ママ。]、古《ふるき》文字にて、「三」の字と、「宝」の字はかり[やぶちゃん注:ママ。]見へて、その外は、見へす[やぶちゃん注:ママ。]。
猶、おくふかくゆきけれは[やぶちゃん注:ママ。]、大河あり。
水、淺くして、步行渡(かちわたり)にわたりて、
『道、積り、十七、八里はかり[やぶちゃん注:ママ。]。』[やぶちゃん注:六十六・七六~七十・六九キロメートル。]
と思ふ頃、とある川上に出《いで》たり。
常の村里にてありけれは[やぶちゃん注:ママ。]、所のものに、名を尋ねしかは[やぶちゃん注:ママ。]、
「伊勢の五十鈴川(いすゝ《かは》)の川上なる。」
よし、申しける。
洞へはいりたる日の、三日目にてありしよし、かたりぬ。
[やぶちゃん注:「大夫(だいふ)」神社に従属する代行参拝・神社の宣伝・参詣人の世話や宿泊斡旋などに従事した御師(おし)の称号。]
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