佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「薔薇をつめば」孟珠
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
薔薇をつめば
陽 春 二 三 月
草 與 水 同 色
攀 條 摘 香 花
言 是 歡 氣 息
孟 珠
きさらぎ彌生春のさかり
草と水との色はみどり
枝をたわめて薔薇をつめば
うれしき人が息の香ぞする
※
孟 珠 三世紀前半。 ただ魏の丹陽の人とのみで未詳である。 陽春歌三章が今傳はつてゐる。譯出したものはその第二章である。 皐月まつ花たちばなに昔の人の袖の西を聞くに比べて、香花を愛人の氣息と思ふのは大膽で露骨で濃密な詩境である。 我彼(がひ)の詩情の相違を見るべきであらう。 西歐の詩には孟珠のものと同想があるだらうと思ふ。 この作者の他の二章をも併せ揭げて參考とする。陽春二三月、草與水同色、道逢游冶郞、恨不早相識。」 望觀四五年、實情將襖惱、願得無人處、回身與郞抱」。 蕩思放縱ではあるが詩美は充分に保たれてゐると思ふ。
※
[やぶちゃん注:解説の引用部の鍵括弧の始まりがないのはママ。「皐月まつ花たちばなに昔の人の袖の西を聞く」は「古今和歌集」の「卷第三 夏歌」の五首目に載る「よみ人しらず」、及び、「伊勢物語」第六十段「花橘」に採られていることで知られる一首である。後者を引く。所持する角川文庫石田穣二訳注「伊勢物語」を参考に漢字は正字化して示した。後の注も一部でそちらを参考にした。
*
むかし、男ありけり。
宮仕へ、いそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自(いへとうじ)、まめに思はむといふ人につきて、人の國へ、いにけり。
この男、宇佐の使(つかひ)にて行きけるに、
「ある國の祗承(しぞう)の官人の妻にてなむある。」
と聞きて、
「女あるじに、かはらけ取らせよ。さらずは、飮まじ。」
と言ひければ、かはらけとりて、いだしたりけるに、肴(さかな)なりける橘(たちばな)をとりて、
五月(さつき)待つ花橘(たちばな)の香(か)をかげば
むかしの人の袖(そで)の香ぞする
と言ひけるにぞ、思ひいでて、尼になりて、山に入りてぞ、ありける。
*
「まめ」誠実さ。「家刀自」家庭を預かっている正妻。「宇佐の使」現在の大分県宇佐にある宇佐八幡宮への奉幣の勅使。「祗承」奈良・平安時代、勅使が地方に下向した際の供応などを掌る、その地の役人。「かはらけ取る」の「かはらけ」は素焼きの酒坏(しゅはい)であるが、ここではソリッドに「酒を勧める」の意。「いだしたりける」簾中(れんちゅう)に控えて顔を見せぬように内に控えているから、その御簾(みす)から「かはらけ」を「差し出し申し上げて」の意。「橘」双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属タチバナ Citrus tachibana の実。酸味が強いが、当時は酒の肴として添えられた。「思ひいでて」自身が嘗つて妻だった人物であることを、である。
紹介された二篇の詩を詩題を添えて示して推定訓読すると、
*
陽春歌 其一
陽春二三月
草與水同色
道逢游冶郞
恨不早相識
陽春の歌 其の一
陽春 二三月(にさんがつ)
草と水と 色を同じくす
道に逢ふ 遊冶郞(いうやらう)
恨(うら)むらくは 早く相ひ識らざりしを
*
陽春歌 其三
望觀四五年
實情將襖惱
願得無人處
回身與郞抱
陽春の歌 其の三
望み觀ること 四 五年
實情 將まさに襖惱(わうなう)せんとす
願はくは得ん 人無き處にて
身を回(まは)し 郞と抱(だきあ)はんことを
*
而して、本篇は、
*
陽春歌 其三
陽春二三月
草與水同色
攀條摘香花
言是歡氣息
陽春の歌 其の三
陽春 二 三月
草と水と 同じ色
攀條(はんでう)して 香花(かうくわ)を摘めば
言はく 是れ 歡氣の息(いき)
*
「攀條」は「攀枝(はんし)」に同じで、「高い木の枝を折る」の意。]
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