佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇五番 糞が綾錦
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
一〇五番 糞が綾錦
或山里に爺樣と婆樣があつて、美しい娘か二人持つて居た。ある日爺樣婆樣は娘を嫁子《あねこ》にやるために、町へ衣裳買ひに行つて、娘一人で留守居をしながら機《はた》を織つてゐた。すると其所へ山母《やまふあふあ》が來て、娘々此戶を開けろ、娘々此戶を開けろと言つた。そして娘が本意ないのに、山母は戶を開けて入つて來た。
[やぶちゃん注:「山母」の読みは前話「一〇四番 瓜子姬子」の第一話にある佐々木の振った読み方を採用した。]
それから娘に米を磨《と》げと言つて米を磨がせて、それを大鍋に入れて、御飯を炊(タ)かせた。さうしてたくさんの握飯をこしらへさせて(何かの上に)ずらりと並べさせた。
山母はそれから髮を解(ホド)いて、頭の腦天にある大口をあんぐりと開いて、その握飯を手毬(テダマ)をとるやうに、どんどん、どんどんと其口へ投げ込んで、見て居るうちにペラリと食つてしまつた。
さうして其所に糞をベタペタと山のやうにたれた。
そのありさまを隅(スミツ)コの方に隱れて、怖(オツカ)ながつて見て居た娘に、山母が言ふことには、娘々俺が歸つたら、この糞を川へ持つて行つてよくもんで洗つて見ろと言つて出て行つた。
娘は山母が立ち去つた後で、山母のたれた糞を笊《ざる》に入れて川へ持つて行つて、よくよくもんで洗ふと、其がとても立派な綾錦となつて、ずつとずつと長く長く川下へ流れ晒(サラされて行つた…
(昭和五年六月、藤原相之助先生から聽く。
此後段の話もあつたやうであるが御忘れに
なられたと謂ふ。斯《か》うして發表して
置いたら何日《いつ》か何人《だれ》かが
補遺完成してくれるかと思ふからである。)
[やぶちゃん注:ウィキの「山姥」の「山姥の正体」の項に、『山姥の原型は、山間を生活の場とする人たちであるとも、山の神に仕える巫女が妖怪化していったものとも考えられている。土地によっては「山姥の洗濯日」と呼ぶ、水を使ってはいけないとか、洗濯をしてはいけないとする日があり、例えば北九州地方では、「山姥の洗濯日」は暮れの』十三『日または』二十『日とされ、この日は必ず雨が降るため洗濯をしないという風習が残っている。これはおそらく、雨を司る山神の巫女の禊の日であったものの名残りである』(☜この最後のシークエンスで洗濯をしろという山母(=山姥)との重要な通義牲が感じられるように私には思われる)(中略)『山姥は人を食う恐ろしい鬼女の性格の背理として、柔和で母性的な一面も伝えられ』いるとあるが、ここも、嫁に行くことになっている娘に対する祝儀としての結納の綾錦として、ここでは、この「山母」には別に娘の代理母的ニュアンスさえ私には感じられるのである(以下、中略)。『山姥の産霊神的な特質を挙げるものとして、山姥の惨死した死体からは、様々なものが発生するという話がある。例えば』、知られた「牛方山姥」では、『殺された山姥の死体が、薬、金などの貴重なものとなって牛方を金持ちにしており、また山姥の大便』(☜)『や乳が、錦や糸などの貴重な宝物や、不思議な力を持つ品になったという話もある』。「古事記」に『登場するオホゲツヒメは、鼻、口、尻から食物を出し、自らの死体から蚕や稲、粟など作物を生じさせ、イザナミも火の神を産んだために死ぬが、死の前に排泄物から金鉱の神、粘土の神、水の神、食物の親神を産んでいる』とあった。この見解には私は非常に共感出来るのである。]
« 佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇四番 瓜子姬子(全七話) | トップページ | 佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇六番 女房の首 »