「新說百物語」巻之二 「脇の下に小紫といふ文字ありし事」 / 巻之二~了
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。本篇には挿絵はない。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
脇の下に小紫(こむらさき)といふ文字ありし事
西國の遊女町に「小紫」といふ傾城ありけるか[やぶちゃん注:ママ。]、田舍には、そたち[やぶちゃん注:ママ。]ながら、姿・心、ともにやさしく、哥なと[やぶちゃん注:ママ。]もよみて、ゆき通ふ旅人も、「小むらさき」と、いふては、誰《たれ》しらぬ者も、なかりけり。
長崎へ通ふ商人《あきんど》に、「さぬきや藤八」といふものありけるか[やぶちゃん注:ママ。]、是も、やさしき生まれつきにて、一年に兩度のおり下りには、かならす[やぶちゃん注:ママ。]、此小紫かゝた[やぶちゃん注:総てママ。]に立ち寄り、一宿して、あそひ[やぶちゃん注:ママ。]けること、四、五年に及ひ[やぶちゃん注:ママ。]たり。
小紫、いかゝ[やぶちゃん注:ママ。]おもひけるやらん、外の客とはちかひ[やぶちゃん注:ママ。]て、一年に兩度の藤八のおり下りを相《あひ》まち、むつましく、もてなしけるに、あるとし、藤八は、又、いつものことく[やぶちゃん注:ママ。]長崎へ下りけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、いつものことく[やぶちゃん注:ママ。]小紫の方に立ちよりて、一宿したりける。
小紫、さる頃より、大病にて、なかく[やぶちゃん注:ママ。]快氣の樣子もみへす[やぶちゃん注:ママ。]、次第におとろへけるか[やぶちゃん注:ママ。]、唯《ただ》、あけくれ、藤八か[やぶちゃん注:ママ。]事のみ、うつゝにも、いゝ[やぶちゃん注:ママ。「謂ひ」。]、くらしける。
もはや、命も、けふか、あすか、といふおり[やぶちゃん注:ママ。]に、下りあはせ、さつそく枕元にたちより、
「いかゝにや[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、いゝけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、今まて[やぶちゃん注:ママ。]ねふれることき[やぶちゃん注:ママ。]目を、あきて、につこりと、打ちわらひ、
「わたくし、命も、もはや、けふきりとそんし[やぶちゃん注:ママ。]侍る。いかなるゑん[やぶちゃん注:ママ。]にや、其元樣《そこもとさま》、御事、わするゝ間《ま》もなく、『何とそ[やぶちゃん注:ママ。]、命のうちに、夫婦とならん。』と存せし事も、あたことゝなり侍る。相《あひ》はてゝ後に、何にても、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なること、是《これ》あらは[やぶちゃん注:ママ。]、よろしく賴み奉る。」
と、いふかと思へは[やぶちゃん注:ママ。]、其まゝ、死して、事切れたり。
心だても、よろしきものなりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、家内のなけき[やぶちゃん注:ママ。]、藤八か[やぶちゃん注:ママ。]かなしみ、是非に及はす[やぶちゃん注:ママ。]。
藤八も、一兩日、滯留して、葬礼なと[やぶちゃん注:ママ。]、まかなひ、それから、長崎旅も、しゆひよく[やぶちゃん注:ママ。]仕《し》まふて、上かたへのほり[やぶちゃん注:ママ。]ける。
その年の霜月、となりの米屋の女房、安產して、うつくしき女の子を產(うみ)たり。
近所の事なれは[やぶちゃん注:ママ。]、每日每日、見まひにゆき、其女の子を、みれは見るほと[やぶちゃん注:総てママ。]、小紫かおもさし[やぶちゃん注:総てママ。]に似たりける。
人には、かたりもせす[やぶちゃん注:ママ。]、何とやら、なつかしく思ひ居たりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、百日はかり[やぶちゃん注:ママ。]、すきて[やぶちゃん注:ママ。]、親、湯をあみせけるとき、ふと、見つけ、脇の下をみれは[やぶちゃん注:ママ。]、あさ[やぶちゃん注:ママ。「痣(あざ)」。]なと[やぶちゃん注:ママ。]のやうに、「小紫」といふ文字、ありありと、あり。
おりふし[やぶちゃん注:ママ。]、藤八、居あはせて、淚をなかし[やぶちゃん注:ママ。]、ありし次㐧をかたりて、世間へは、さたなしに、そだてけるか[やぶちゃん注:ママ。]、彼《か》の藤八、四十七才のとき、むすめ、十八歲にて、女房にもらひて、中《なか》むつましくらしける。
むすめ、廿八のとき、相わつらひ[やぶちゃん注:ママ。]、あい[やぶちゃん注:ママ。]はて、藤八は浮世を、おもひきり、五十七歲にて出家して、ちかころまて[やぶちゃん注:総てママ。]、居たりける。
新說百物語巻之二
[やぶちゃん注:なお、この巻之二には、ここに奇体な挿絵が入っているが(底本のこれ)、巻之二の中には、当該するような話は、ない。化け物がオール・スター・キャストで家に押し入ってくるといった図だが、これは、実は次の「巻之四」の「疱瘡の神の事」の挿絵である。巻を変えて、それも、話しに先駆けてここへ入れたのは、確信犯か、或いは、単純な製本上の制約かは、判らない。しかし、巻を違えてというのは、当時でも、ちょっと掟破りと言えよう。]
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