「新說百物語」巻之四 「火炎婆々といふ亡者の事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。
なお、本篇には挿絵があるが(底本では、またまたおかしなことに次の「巻之五」の中のここにある)、「続百物語怪談集成」にあるものをトリミング補正・合成をして使用する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]
火炎婆々(くはえんばゝ[やぶちゃん注:ママ。])といふ亡者の事
北国《ほつこく》に何寺とかやいふ一寺、あり。
その旦那に、角山何某といふものあり。
其母親、つねつね、けんどん[やぶちゃん注:「慳貪」。吝嗇で欲張りなこと。]邪見にて、六十にあまれ共《ども》、浮世といふ事も、おそれす[やぶちゃん注:ママ。]、慈悲・善根も、なさず、欲、ふかく、わづかづゝの銀《かね》を溜《ため》る事をのみ、一生、樂しみにいたしけるか[やぶちゃん注:ママ。]、あるとき、語りけるは、
「昨夜、ふしきなる[やぶちゃん注:ママ。]夢を見て、今に、身うち、いたみ、起きあがられず。」と申しける。
「其夢の樣子は、死したるとも、おもはさりけるか[やぶちゃん注:総てママ。]、正しく繪にかきたる地こく[やぶちゃん注:ママ。]といふ樣《やう》なる所に、いたりたれは[やぶちゃん注:ママ。]、鬼共、蛇[やぶちゃん注:ママ。「続百物語怪談集成」もこの字で起こしている。意味不明。「何」の字の誤刻か。]ともいはれぬ、おそろしきものきて、我を、ひつたてける故、其時、はしめて[やぶちゃん注:ママ。]仏《ほとけ》の事をおもひ出し、
『南無、最上寺の阿みた如來[やぶちゃん注:ママ。]、たすけ給へ。』
と申しければ、彼《か》の、をそろしき[やぶちゃん注:ママ。]もの、いふやう、
『何ほと[やぶちゃん注:ママ。]、佛を念しても[やぶちゃん注:ママ。]、汝か[やぶちゃん注:ママ。]罪、はなはた[やぶちゃん注:ママ。]おもし。せめて、とんよくのつみを、輕くして、得させん。』
とて、舌をぬけは[やぶちゃん注:ママ。]、金子《きんす》と成り、目を、くちれは[やぶちゃん注:総てママ。「くぢれば」。抉(えぐ)り出せば。]、銀子《ぎんす》となり、ひらたき板にて、兩方より、はさみ、おしつけらるれは[やぶちゃん注:ママ。]、惣身《そうみ/そうしん》より、
『はらはら』
と、金銀、落ちちりたり。其くるしみ、いかはかり[やぶちゃん注:ママ。]にや、たとへんに、もの、なし。扨々《さてさて》、あみた如來[やぶちゃん注:ママ。]を信じける、と、おもへば、夢、さめたり。」
と、はなしを、いたすさへ、身を、ふるはしける。
夫《それ》より、病(やみ
つきて、食《しよく》も喰はす[やぶちゃん注:ママ。]、日夜、
「最上寺へ、行かふ、行かふ[やぶちゃん注:総てママ。後半は底本では踊り字「〱」。]、」
と、はかり[やぶちゃん注:ママ。]、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]て、西の方の窓を、あけて、顏を、つき出し、相果《あひはて》たり。
[やぶちゃん注:キャプションは、右幅の中央右寄りに、
最上寺へ
ゆかふ
縁から落ちる寺僧の叫び声、
たすけ給へ
なむあみだ
なむあみだ[やぶちゃん注:この行は画像では踊り字「〱」。]
左幅の寺僧二人の顏を向けている一人の台詞(但し、これは本文に即すなら、納所坊主一人が体験したものだから、この両幅の三人分は、実は一人の、その僧のダブった表現かも知れないが、左幅から右へ時間が経過するというのは、絵(巻物)のセオリーからは外れるので、禁じ手である。奥の僧は上着を有意にたくし上げているのに対し、手前の後頭部の僧はそうなっていないから、本文とは異なり、ここは、別々な三人が騒動していると見るべきであろう)。
やれ
おそ
ろしや
おそろしや[やぶちゃん注:この行は画像では踊り字「〱」。]
後頭部のみを見せている一人の台詞、
なふ[やぶちゃん注:感動詞「なう」の音転訛「のう」の慣用表現。]
かな
しや
左幅の上部に、鬼に板と石の間で圧し潰されて責められる老婆の夢を描いた箇所に、右手に、鬼の台詞で、
何かと
仏を
ねんじ
ても
かなはぬ
ぞ
とあり、左手の鬼の左上には、本文の鬼の台詞の最後の、
せめても
とんよくの
つみをかろく
して
ゑ[やぶちゃん注:ママ。「え」。「得」。]]させん
と記されてある。その左の鬼の右足の下に、老婆の絶叫が、
あら
くるし
や
と記されてある。]
其夜、最上寺の納所坊《なつしよばう》、御堂《みだう》に、みあかし、とぼしに、行きければ、何やらん、ひかし[やぶちゃん注:ママ。]の方《かた》より、火炎のごとくなるもの、飛來《とびきた》り、堂の庭に、とゝまる[やぶちゃん注:ママ。]と、見へけるか[やぶちゃん注:ママ。]、其中に、白髮の老女の首、火のことく[やぶちゃん注:ママ。]に成りて、口より、火炎を、はきけるまゝ、納所坊は、
「わつ。」
と、いふて、たをれ[やぶちゃん注:ママ。]たり。
「しばらくありて、老女、死したるやうす、最上寺へ、申し來たりける。」
と、栂井《とがゐ》氏の人、かたられし。
[やぶちゃん注:最初に「何寺」と伏せてあるのに、後から、「最上寺」と出るのは、調べるだけ無駄な気がしたのだが、一応、北陸・東北を調べたところ、山形県山形市内に高野山真言宗の同名の寺は見つけたものの(少し北方に最上川が流れる)、ストリートビューで見ると、寺の標柱はあるものの、普通の住宅で、寺としてはどうも閉業しているらしく、寺歴も読みも判らないので、違っていたら御迷惑になるだけなので、地図は示さない。
「納所坊」納所坊主。寺院の会計や雑務を扱う下級の僧。]
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