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2023/06/08

佐々木喜善「聽耳草紙」 一一一番 お月お星譚

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一一一番 お月お星譚

 

 或所に繼母《ままはは》があつた。先腹(センバラ)の娘をお月と云ひ、自分の娘にはお星と名をつけた。父親が江戶へ行つて居る間に繼娘のお月を殺すべと思つて毒饅頭をこしらへてやり、自分の娘には砂糖を入れてアヅけ、そして娘に、お星々々、姉コの饅頭には毒が入つてゐるから食つてはならぬぞとよく言ひ聽かせた。

 お月お星は繼母から饅顛を貰つて外へ出た。するとお星は姉の袖を引ツ張つて、姉コ姉コ、彼方(アツチ)へ行つて遊ぶベエと言つて、姉を川端の方さ連れて行つた。そして姉コア饅頭は川さ投げもセ。おらアのを食(アガ)れと言つて、姉の饅顛をば川へ投げさせて、自分のを二ツに割つて食べさせた。

 繼母は自分のこしらへた毒饅頭を食つて、お月は死ぬ事だと思つて居たが、少しもそんな氣振《けぶ》りは見えなかつた。そこで今度は一層のこと鎗で突き殺すべと思つて、お星々々、今夜姉コを鎗で突き殺すから、お前は何も言ふなよと言つた。はいおらア何にも言はねアものと言つたが、姉想ひのお星はとても悲しくなつて、夕方そつと姉コ姉コ、今夜お前はおれの寢床(ネツトコ)さ來て眠もせヤと言つて、お月を自分の床に連れて來て寢させ、お月の寢床には瓢簞(フクベ)さ朱(ベニ)ガラを入れて布團をかぶせて置いた。すると繼母は眞夜中に二階から鎗をもつて來てお月の布團を(ツ)貫くと、ブツツと云ふ音がして赤い血が鎗の穗先きに附いて來た。だからてツきりお月は死んだものと思つて、そつと自分の寢床へ戾つて寢てゐた。そして翌朝になつてからいつものやうに、

   お月お星

   起きろやエ

 とさう呼ぶと、姉妹はハイと言つていつものやうに揃つて二人で起きて來た。これには繼母も驚いたが、斯《か》うなつては今度はいよいよ山奧へ棄てるより外に道がないと思つて、近所の石切りに多くの金を遣つて、一個(ヒトツ)の石の唐櫃(カラト)を作らせた。そしてお星を呼んで、お星々々、今度はいよいよ姉コを山奧の澤サ持つて行つて捨てるからお前は默つて居ろよと云つた。ほだら何(ナゾ)にして姉コを捨てると訊くと、石の唐櫃に入れて山サ連れて行くと云ふた。そこでお星は直ぐに石切りの所へ行つて、石の唐櫃に一つの小穴を開けて貰ふやうに賴んだ。二日三日經つと其石の唐櫃も出來上つたのでいよいよお月は其れに入れられて山奧さ連れて行かれることになつて、唐櫃の中に入れられる時、お星は、菜種を大きな袋サ一杯入れて持つて姉の側へ行き、姉コ姉コ、この穴コから此菜種を少しづつ滴(コボ)して行つてクナんせ。春になつて雪が消えて菜種の花が咲いたら、姉コ助けサ行くからと言つた。

[やぶちゃん注:「唐櫃(カラト)」は「脚の附いた櫃」で(櫃は大型の収納箱)、「からびつ」以外に「かろうど」「からうと」の読みがあり、地名にも「唐櫃」があるが、それらは「からと」と読むものが殆んどのようである(ウィキの「唐櫃」に拠った)。]

 お月の入れられた唐櫃は繼母に賴まれた惡い男どもに擔《かつ》がれて、ずつとずつと山奧の深い澤へ持つて行かれて土の中に埋められた。

 春になつて雪もとけて野原には草も萠え出る頃になつたから、お星は母親(カカ)々々親おらア今日は山サ三ツ葉採(ト)りに行つて來るから木割コを貸してケてと言つて、木割を持つて家を出た。さうして村端《むらはづ》れまで來ると、其所からずつとずつと山の麓の方へ、山の麓からずつとずつと山奧の方へ、一筋に續いて黃色な菜種の花が咲いて續いてゐた。その花をたよりにしてお星は何處までも何處までも行つた。行くが行くが行くと、もうあたりは深靜(シン)として鳥コの聲一つせぬ深山の奧の暗い澤の邊へ行き着いた。さうすると菜種の花が圓(マロ)く輪を畫《か》いて咲いてゐる所があつて、そこに姉コが埋められていることが分つた。だからお星は持つて來た木割で土を掘つた。するとガチリと石の唐櫃の葢《ふた》に木割の刄(ハ)が當つた。

[やぶちゃん注:「木割」この場合は、ミツバ採りであるから、今までのような「薪」の意ではなく、ごく小型の鉈のように思われる。]

 お星は木割で其の大きな葢を開けべと思つたが重くて開かなかつた。其蓋を押し開けやう押し開けやうと思つて押したので、手の爪は剝げ、指は裂けて血がたらたらと流れた。それでも一生懸命に手で葢を押すと、少うし開いて中のお月の帶の端が見えて來た。だから手を入れてその帶の端を引ツ張りながら、

   姉コやアエ

   姉コやアエ

 と呼ぶと、初めの中《うち》は何の返辭もなかつたが、やつと極く微(カス)かに、ほウエと云ふ返辭が聞えて來た。あれア姉コはまだ生きて居ると思ふと、お星は力が出て、姉コの名前を呼びながら死力(シニチカラ)を出して葢を押すと、不思議にもさすがの重い大石の葢もガツパリと開《ひら》かつた。お星は喜んで姉を石の唐櫃から抱き起すと、お月は晝夜泣いてばかり居たので、目を泣きつぶして盲(メクラ)になつて居た。それを抱いて泣くお星の左の目の淚がお月の右の目に入るとその目が開いたし、左の目の淚が姉コの右の目に入ると其目が開いた。そしてお星の淚が姉コの口に入ると漸々(ダンダン)と元氣が出て來て漸《やうや》く泣くことが出來て來た。そこで姉妹は抱き合つたまゝ、ただただ泣いて居た。

 其所へ殿樣が大勢の家來を連れて狩獵(カリ)に通りかかつた。そして姉妹の話を聽いて憐れに思召《おぼしめ》されて自分の馬に乘せて二人を館《やかた》の内へ連れて行つた。

 或日姉妹が館の窓から往來の方を眺めて居ると、一人の盲の乞食爺樣が鉦《かね》コを叩きながら斯う唱へて來た。

    お月お星が

    あるならば…

    何しにこの鉦

    叩くべや…

    カンカンカン!

 斯う繰り返し繰り返して唄つて來た。お月お星はアレアおらア家(エ)の父親(トト)ではないかと言つて駈け出して行つて見ると、盲でこそあれ、たしかに自分達の父親であつた。父親は用を濟ませて家へ還つて來て見ると、お月お星がいないので悲しくて目を位き潰(ツブ)して、斯うして姉妹尋ねて廻國して居るのであつた。

 親娘三人が、父親(トト)だか娘だかと云つて抱き合つて泣くと、お月の淚が父親の左の目に、お星の淚が父親の右の目に入ると、不思議にも兩方の目が開いた。親娘が喜んで殿樣の所へ行くと、殿樣も同樣に喜ばれて三人をいつまでも館に置いて大事にした。

 親孝行のおかげで、お月お星は死んだ後は天へ登つて今の月と星になつた。

(以上の話は私の古い記憶であつて專ら村に殘つてゐる話である。ところが仙臺へ來て仙臺市で行なはれている話を聽くと、大體の筋は同樣であるが、村での菜種の花はケシの花となつて居り、また盲目の父は天へ登つて太陽となり、姉妹は月と星となつたが、繼母は惡いから太陽を恐れて土中へもぐつて鼹鼠(モグラモチ)となつた。だから今でも太陽の光に當ると死んでしまふといふのであつた。〈石川善助氏談〉

 (また水澤地方での話は、後妻は或夜先妻の娘のお月をヒクス玉(礁臼)で殺すことに決めた。妹のお星がそれを知つて寢る前に姉に打ちあけ、姉の布團の中には枕を入れておき、自分達は他の所へ隱れて寢た。繼母はその夜二階からお月の布團の上ヘヒスク玉を落した。すると布團の中でビチビチと物の割れる音がしたので、お月が壓死したものと信じて、翌朝わざと優しい聲で、お月お早く起きて御飯たべろと呼んだ。ところが案に相違して姉妹がハイと返事して恙ない姿を現はしたので、これはきつと妹が敎へたに違ひがないと思ひ、こんどは兩人を山へやることにした。姉妹は山へ行つて、ある川端に腰を下して母親がこしらへてくれた握飯を食べやうとしたら、お月の握飯の臭《にほひ》が變なので折から近づいて來た犬に握飯を投げてやつた。犬がそれを食べるとすぐに斃《たふ》れた。それで毒の入つた握飯を食べることもなく無事に家へ歸ることが出來た。繼母はまたも失敗したので、次には兩人を胡桃拾ひにやることにした。さて姉妹はクルミ拾ひに出かけたが、お月の持たせられたフゴは底が拔けていゐたので、いくら拾つて入れても洩つてしまう[やぶちゃん注:ママ。]。それを見てお星は氣の毒に思つて、自分のフゴヘ二人分も拾ひ入れて家へ歸つた。(これは森口多里氏からの資料の一種であるが、同氏の言ふところに據れば、水澤町の東郊外シシと云ふ所で生れたタミと云ふ十七八歲の女中から聞いたもので、タミはこの話の始末を、ただ、繼母が片目になり、姉妹はよい所へ奉公に往き終《つ》ひに母親と一緖になつた…と斷片的に記憶してゐるに過ぎなかつた。父親は一度も出て來ない。或は終《つひ》に姉妹と一緖になつたと謂ふのは母親ではなく、父親であつたのか、それとも繼母の心が善良になつて姉妹と再び共に住むやうになつたのか…と云はれて居る。)

 又別話に、お月もお星も先妻の娘で、後妻がこの姉妹を憎んでいつもひどく扱つた。或日父親が町へ行つて來るといふので、お月は櫛を買つて來てくださいと賴み、お星は笄《かうがい》を買つて來てくださいと賴んだ。ところがその留守の間に後妻は兩人を八ツ入り釜に入れて煮殺して、ひとりを厠の前に、ひとりを厩の前に埋めた。さて父親が町から歸つて、厠の前を通ると、鶯が次のように啼いた。

   櫛もコガイもいりません

   八ツ入り釜でゆでられた

   ホーホケキヨ

 それから厩の前を通ると、矢張り同じやうに鶯が啼いたので、父親は家の中に入つて後妻にお月お星の安否を訊ねたが、知らぬと答へるばかりなので、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]六部になつて鉦を叩きながら、

   お月お星のあるならば

   なにしてこの鉦叩くべや

   カンカラカン

   カンカラカン

 と唱へながら姉妹の行方を尋ねて步いた。(森口多里氏の宅の江刺郡生れの盛夫という若者から聽かれた話。この話の殺された子供等が鶯になつて啼いて父親に在所を知らせた…他の繼母のある型とお月お星譚とが混合したように觀られるものの例。)

[やぶちゃん注:附記は非常に長いので、底本に従わず、本文同ポイントで上に引き上げた。

「水澤」現在の岩手県奥州市水沢(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。遠野の南西四十キロ位置。

「フゴ」「畚(ふご)」。竹・藁・縄などで網状に編み、四隅に吊り紐を附け、物を入れて運ぶ用具。「もっこ」に同じ。

「水澤町の東郊外シシ」「ひなたGPS」で戦前の地図を見たが、それらしい地名は見当たらなかった。

「八ツ入り釜」米八合を炊ける大釜のことか。]

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