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2023/06/30

「奇異雜談集」巻第一 ㊃古堂の天井に女を磔にかけをく事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。【 】は怪奇談では珍しい二行割注。

 なお、この「磔」の「はつけ」と言う読みはちょっと見たことがないが、磔刑(たくけい)は本来、板や柱に身体を。縛りつけて「張り付け」にした後に、釘や鎗で突き殺すしたことから、「はっつけ」とも呼ばれたが、その「っ」の促音を後に同じ「つ」が続くことから、省略したものだろう。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊃古堂(ふるだう)の天井に女を磔(はつけ[やぶちゃん注:ママ。])にかけをく[やぶちゃん注:ママ。]

 

 ある人、語りて、いはく【奇異の儀にもあらずといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、女人《によにん》の執心𢙣業をかたる。】、[やぶちゃん注:この割注の意味が、コーダのシークエンスで明らかになる。]

「中国の事にてあるに、山路(《やま》ぢ)を、とをどを[やぶちゃん注:遙かに。]、ゆきて、林を出づれば、日、すでに暮れたり。

 右のかた、麓をみれば、家里(《いへ》ざと)あり、ひだりの山ぎわに、古堂一宇(《いち》う)あり。

 行きてみれば、昔は結構なりしが[やぶちゃん注:立派な寺院であったようだが。]、今は忘れて、人跡(じんせき)なし。

『麓の里にゆきても、一宿(《いつ》しゆく)あらんも、しらず。たゞ、此の堂に一夜(《いち》や)をあかさん。』

と思ふて、堂にのぼれば、から戶、やぶれて、のこり、佛檀・後門(こうもん)は、かたのごとく、あり。

 いたじきのうへ、かき[やぶちゃん注:「垣」。]の隅によりかかりてきうそくするに、とぜんあまりに[やぶちゃん注:「徒然の餘りに」。することもなく、退屈に過ぎていたので。]、垣(かき)のすきより、外をのぞけば、しんのやみなり。

 麓の里に、火の影、見えたり。

 ときどき、のぞけば、その火、ちかく、きたる。

 又、のぞけば、その火、坂に、登りきたる。

『かいだうをゆく人か。』

と、おもへば、松明(たいまつ)をふりたてて、堂のかたに來(きた)る。

 俗人、たち[やぶちゃん注:「太刀」。]に、はかまのももだち、たかくとりて、堂の後門にゆきて、内に入(いる)。

 はしご、ありて、天井に、のぼる。

 客僧、しづまりて、声をもせず。

 

Haritukenisaretaonana

 

[やぶちゃん注:底本の画像はここ。上部の空白が、却って、猟奇的な「はりつけ」にされた女の猟奇的シークエンスを妄想させて、面白い。]

 

 きけば、男、杖をとつて、

「まだ、死にをらぬか。」

と、いふて、ちやうちやく[やぶちゃん注:「打擲」。]する音、聞こゆ。

 女人のこゑにて、息の底にて、[やぶちゃん注:「息の底にて」は同前の高田氏の注に『息もたえだえに』とある。]

「もはや、おゆるしあれ。」

と、いへば、なほ、ちやうちやくして、杖をすてて、はしごをおりて、後門(うしろど[やぶちゃん注:先の「こうもん」と読みが異なるのはママ。])にいでて、もとのごとくにかへる。

 火のかげ、ほもとの里にゆきて、きゆるをみて、

「我、不審千萬《ふしんせんばん》なり。是を見ずんば、有るべからず。」

とて、藥籠(やくろう)より、火うち・らうそくを、とり出《いだ》し、火を、ともし、天井に、のぼりてみれば、女人を磔(はつけ[やぶちゃん注:ママ。])にかけて、をけり[やぶちゃん注:ママ。]

「これ、何事ぞ。」

と問へば、

「あら、御はづかしや。御僧《おんそう》のりやくに、御たすけ候へ。」[やぶちゃん注:「りやく」「利益」。この場合は、仏教で自分以外の他人や他の対象に対してよいことを施してやることを指す。狭義のそれに対して、対象を自身に向けて行う場合を「功徳(くどく)」と称して区別する場合もある。]

といふ。

 仔細を、

「何事ぞ。」

ととへば、

「人のむしつ[やぶちゃん注:ママ。「むじつ」で「無實」。]を申《まふし》かけて、『外夫(まおとこ[やぶちゃん注:ママ。])をしたり』とて、男を生害(しやうがい)させて、首をとりて、そこに、おかれ候。」

といふ。

 見れば、まことに、首、あり。

 さて、

「今日、幾日(いくか)ぞ。」

と、とへば、

「六日に成《なり》候ほどに、人のかたちにても、なく候。縄(なは)を切りて、おろして給(たび)候へ。」

といふ。

『りやく。』

と思ふて、なはを、きりて、いだき、おろす。

「水飮みたき。」

よし申すほどに、おりて、井(ゐ)をたづね、めんつに汲んで、天井に、のぼりて、あたふ。[やぶちゃん注:「めんつ」「面桶」。「めんつう」とも読む。「つう」は「桶」の唐音。一人前ずつ飯を盛って配る曲げ物を言うが、後には、乞食の持つ入れ物を指した。「めんぱ」とも。]

 女人、水をのみて、よろこび、

「御僧は、先《まづ》、御くだりあつて、火を御《お》きやし候へ。」[やぶちゃん注:「御きやし」「江戸怪談集」では、本文は『御消やし』となっており、それへの高田氏の注に『「御消し」と同じ。上方語法。』とある。]

といふ。

 我は、まづ、降りて、まづ、女人、しづかに、はしこ[やぶちゃん注:ママ。]を、おりて、

「杖を、つきたき。」

よし、申すほと[やぶちゃん注:ママ。]に、林の中に入りて、杖を、きりて、やる。

「是より、一里ばかり北に、我(わか[やぶちゃん注:ママ。])里、あり。それへ、行きたく候。」

といふ。

 我は、ぶあんないなれども、つれてゆく。女人、案内者(あんないしや)にて、よろよろとして、ゆく。あやうき所をば、手を、ひき、助けて、行(ゆく)。

 やうやく、人家(じんか)あつて、火のかげ、見えたり。

 あかつきなるに、大なる家に、念仏の声、おほく、聞こゆ。

 かの女人、いはく、

「その家は。我里(わがさと)なり。『我は、はや、六日以前に殺されたり。』と思ひて、中陰(ちういん)をする念仏なりと思ふ。御僧、行きて、門をたゝきて、『娘を、連れてきてある。』とおほせ候へ。聞きて、驚くところへ、我々[やぶちゃん注:謙遜の単数の自称。]ゆくべく候。」

と申すほと[やぶちゃん注:ママ。]に、そのごとくにて候へば、家中の人、念仏を、さしおきて、みな、門に出《いで》て、おとろく[やぶちゃん注:ママ。]

 かの女人、うちへ、いりて、しづかに、事のよしを語れば、二人(ふたり)のおや、いだきつきて、なくのみなり。

 さて、

「その御僧(《おん》そう)は神仏《かみほとけ》にて御入《おはい》り候。」

とて、おもての座敷にしやうじ[やぶちゃん注:「請じ」。]入れて、たつばいする事、かぎりなし。[やぶちゃん注:「たつばい」「答拜」で「たつぱい」(現代仮名遣「たっぱい」)と読み、貴族の大宴会である「大饗」(たいきょう)の際などに、身分の高い人が来臨した時、主人が堂を降りて、皆、ともに拝礼することを言った。後に転じて「丁重なお辞儀」の意となった。]

 風呂にいれ、齋(とき)・点心(てんじん)、種々(しゆじゆ)にもてなして、二、三日とむるなり。[やぶちゃん注:「齋」ここは広義の「僧侶の食事・その糧」の意。狭義のそれは以下。仏教僧は原則、食事は午前中に一度しか摂れないとされ、それを「斎時(とき)」と呼ぶ。実際には、それでは身が持たないので「非時(ひじ)」と称して、午後も食事をした。「点心」前出の高田氏の注に『禅家で、定まった食事の前後に食べる少量の物』とある。]

「一期(《いち》ご)をも、よういく申《まうす》べき。」

といへども、

「しゆぎやうじやなるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、とゞまるべからず。」

といふ。

 しゆじゆ、引出(ひきで)もの、ほどせども、すこしも、

「路次《ろし》のざうさなり。」[やぶちゃん注:「ざうさ」「造作」で、ここは「面倒な物」の意。]

とて、一向にとらざるなり。

 かの女は、二、三日、よういきするほどに、もとのごとく、よき姿になりて、眉をつくり、けつかうに、よそほふて、

「かの御僧にいとまごひ申さん。」

とて、おかたへ呼ぶほどに、行きてみれば、見代(みかへ)たるすがたなり。

 いろいろに、礼を、いうて、

「何をも、まいら[やぶちゃん注:ママ。]せたく候へとも[やぶちゃん注:ママ。]、御とりなく候事、曲(きよく)もなく候[やぶちゃん注:「あまりにもそっけないありさまにて御座います」。]。さりながら、このつづらをば、御とり候てたまはり候へ。」

といふて、脇より、小つゝら[やぶちゃん注:ママ。「小葛籠」。]を、上を、よく、ゆひからげたるを、差し出だす。

「いや。中中《なかなか》、路《ろ》しのわづらひにて候ほどに、いや。」

と、いへば、

「心ざしにて候ほどに。道にて、御すて候とも、御とり候へ。」

と、いふほどに、じひ[やぶちゃん注:「慈悲」。]にて助けたる人の事なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、うけとりて、いとまごひして、出《いづ》るなり。

 みなみな、門送りに出《いづ》るを、申《まふし》とめて、ひとり、行《ゆく》なり。

 道、十町[やぶちゃん注:一・〇九一キロメートル。]ばかりゆくに、此のつゞら、重きゆへに、

『すてん。』

と思ひて、緖(を)を、ときて、ふたを、あけてみれば、物に、つゝみたり。

 又、開いてみれば、かの天井にありつる首(くび)なり。

 くさりて、くさき事、かぎりなければ、はやく、谷になげすてたり。

『此の首をば、何として、もち來たりつるぞや。袖に入れたるにや。さては、外夫(まおとこ[やぶちゃん注:ママ。])一定(《いち》ぢやう)なり。磔(はつけ)にかけられ、うきめを見るにも、こりず、外男《まをとこ》をしうしんして、首をとりて來(きたり)たり。あさましきあくごうしうしんや。』

と、かへつて憎めば、慈悲利益、無になるものなり、と云々。

 

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