佐々木喜善「聽耳草紙」 一四一番 座頭の夜語
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「貉」と本文の「貉」(孰れも「むじな」でタヌキのこと)の混用はママ。標題の「夜語」は「よがたり」と訓じておく。]
一四一番 座頭の夜語
或時、座頭ノ坊樣が來て泊つた。其家では久しぶりに𢌞つて來た坊樣だから、珍しい語り物を聽くべえツて、邊り近所の人達を呼び寄せたり、坊樣には、わざわざ餅を搗いて御馳走したりした。
坊樣もいい氣になつて、うんと餅を食つた。さあそれから段々夜も更けるから、坊樣々々、何か語つて聞かせもセと言つた。村の人達だの隣家の婆樣だのが、坊樣をずらりと取卷《とりま》いて、今に面白い話でも語り出すかと、堅唾《かたづ》を喰《く》ン呑んで待つて居た。だがいくら待つていてもなかなか語り出さぬので、[やぶちゃん注:底本では「ので」で行末で読点はないが、「ちくま文庫」版で挿入した。]其家の嚊樣《かかさま》が、さあさあ早く語つて聽かせもセざと、催促した。
坊樣はさう責められて、はアそんだら語り申すべえ、
ああ腹ちえエ
ああ腹ちえエ
小豆餅一杯二杯三杯
と語つた。嚊樣はあきれて、なんたら坊樣、早く語つて聽かせてケでばと云ふと、坊樣はまた、はいはい、
ああ腹ちえエ
ああ腹ちえエ
小豆餅三杯四杯……
と語つた。嚊樣はなんたら早くしてゲでば、これこんなに近所の婆樣達が來て待つて居るんだからと云ふと、坊樣は、はいはい、
小豆餅三四杯
五六杯
食い申し侯へば
ああ腹ちえ
ああ腹ちえエ
と聲張り上げて語つた。嚊樣は少々聲をとがらして、又しても坊樣はそんなことばかり、早く語つて聽かせもセでばと云ふと、坊樣は向き直つて、はい今語り申したが、聽き取れ申さねえかつたか、宿語《やどがた》り三段繼(ツン)んでも語るなということがあるから、あとは語り申されないと言つた。
嚊樣はじめ皆は呆れたり腹が立つたり、それよりも切角《せつかく》[やぶちゃん注:「折角」が正しい。]斯《か》うして寄り集まつて來て吳れた、邊り近所の人達に、申譯《まうしわけ》がなくて…なんたら藝無し坊樣だべと繰り返して皆を歸した。
翌朝、坊樣はなかなか起きなかつた。あんまり起きないものだから、嚊樣が行つて、なんたら坊様だべ、ならひ風と座頭ノ坊は晝立ちと云ふことがあツから、早く起きて飯でも食つて立つてゲじやと言つた。坊樣は、はいはいと言つて、漸《や》つと起き出して、飯膳《めしぜん》に向つた。そして飯を一杯食つてはハイ二杯食つてはハイ、三杯食つてはハイと、四杯目の椀をまた突《つ》ン伸べた。嚊樣はなんたらこつた坊樣、座頭の四杯飯さ、つツかけてもワケンなと云ふことがあるが、坊樣は知らねますかと言つた。すると坊樣は伸べた椀を膳頭《ぜんがしら》に置いて默つて居たが、なに嚊樣、スツケエツタ、モツケエツタ、ノツケエツタ、ソツケエツタといつて、四杯飯食つてもなんともないもんだと言つた。
[やぶちゃん注:「ならひ風」は単に「ならひ」(現代仮名遣は「ならい」)とも言い、特に東日本の海岸沿いの地方で使われた語で、本来は「冬の寒い時期に吹く風」のことを指す。但し、風向きは、その地方によって異なる。]
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