「新說百物語」巻之二 「光顯といふ僧度々變化に逢ひし事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。
挿絵は、「続百物語怪談集成」にあるものをトリミング補正と合成をして使用する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]
光顯(くわうけん)といふ僧度々變化(へんげ)に逢《あひ》し事
大和の夕崎(ゆふさき)といふ所にて生れたる三五郞といふもの、あり。
[やぶちゃん注:「夕崎」現在の奈良県磯城(しき)郡川西町(かわにしちょう)大字結崎(ゆうざき:グーグル・マップ・データ)。平凡社「世界大百科事典」に拠れば、『奈良盆地中央部の低地で』、『寺川右岸に位置する。魚崎』・『夕崎とも書く。鎌倉時代から地名として土地売券等に所見するが』、『荘園としての領有関係は未詳。興福寺か春日社領であった可能性があり』、『地域内に春日社末社があったという。江戸時代初期の結崎村は』二千二百五十五『石余(元和郷帳)』である。『結崎が歴史地名として著名なのは』、『能楽の観世座が』、『その草創期に』、『ここに本拠をすえたことによる』とあった。]
うまれつき、器量もよく、色しろ[やぶちゃん注:ママ。]なる生まれつきにてありけるか[やぶちゃん注:ママ。]、幼少より、手習《てならひ》を好み、本などをよむ事を、たのしみにいたしけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、親も、男子は、外に弐人ありけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、其村の寺へたのみ、出家に、いたしける。
螢雪のつとめ、おこたらす[やぶちゃん注:ママ。]、十六才の冬、剃髮して、名を「光顯」とそ[やぶちゃん注:ママ。]申しける。
殊の外、美僧にて、なかなか、田舍そだちとは、見へざりけり。
又、其近在に、庄屋權九郞といふもの、あり。
壱人の娘ありけるが、生まれつきも、きれいにて、心たて[やぶちゃん注:ママ。]も、やさしきものなりけり。
權九郞、親の年忌にあたり、彼《かの》夕崎の老僧を招待しけるが、光顯も一所に佛事に來たりけるを、彼《かの》娘、ふと、見そめ、戀慕の心を生し[やぶちゃん注:ママ。]、そのゝち、何とやら、心あしく打ちふし居《ゐ》ける。
たよりを求めて、光顯の方へ、文など送りけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、一圓、合点せす[やぶちゃん注:ママ。]。
彼のむすめは、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に、むなしくなりにける。
[やぶちゃん注:底本の方が綺麗なので、リンクさせておく。底本の方を見ると、光顕を挟んで左右にかけて、キャプションが、
なにを
うらみ
が
ある
と視認出来る。]
ある夜、光顯、四つ過きて[やぶちゃん注:ママ。]、机に悬(かゝ)[やぶちゃん注:「懸」の異体字。]りて、學文いたし居《をり》けるが、むかふの行燈(あんどん)、にはかに、うこき[やぶちゃん注:ママ。]出《いで》て、
「はつ」
と、燃上(もへあが[やぶちゃん注:ママ。])りけるを、打ちけしければ、火は、たちまち、消(きえ)て、その行燈、ありしむすめのかたちとなり、ものをも、いはす[やぶちゃん注:ママ。]、
「つつくり」
と、立ちゐたり。
光顯、さはかす[やぶちゃん注:ママ。「騷がず」。]、火打ちを取り出《いだ》し、火を、うちて、あんどんにうつさんとすれは[やぶちゃん注:ママ。]、姿は、きへて[やぶちゃん注:ママ。]、もとの行燈、きずもつかずに、ありけり。
夫《それ》より、每夜每夜、かくの如くなれは[やぶちゃん注:ママ。]、さしもの光顯も、おゝきに[やぶちゃん注:ママ。]こまり、師匠に、いとまこひして、京都西山に登り、所化寮(しよけりやう)にくらしける。
[やぶちゃん注:「京都西山」京都市西京区(洛西)・長岡京市・向日市・大山崎町に跨る地域で、西山三山(善峯寺(よしみねでら)・光明寺・楊谷寺(ようこくじ))などm西山の名を冠する寺社も多い地区である。この中央の広域(グーグル・マップ・データ)。
「所化寮」所化は修行中の学生(がくしょう)僧で、彼らのための住み込みの僧堂を言う。]
当分、四、五日は、何の事もなかりしか[やぶちゃん注:ママ。]、こゝにては、夜ふけて、ねいりぬれは[やぶちゃん注:ママ。]、彼のむすめ、枕もとに來たり、殊の外、つめたき手にて、顏を、なで、手をとりて、さめさめ[やぶちゃん注:ママ。]と、泣くていなり。
此所《ここ》も、ながくいられず、京都へ出《いで》て、西寺町の寺に、しばし、住みけるが、又、こゝにても、夜分、夜着(よき[やぶちゃん注:ママ。])の裾より、手を、いれて、足などを、なて[やぶちゃん注:ママ。]けるか[やぶちゃん注:ママ。]、そのつめたさ、氷(こほり)のことく[やぶちゃん注:ママ。]、きみわるき事、いはんかたなし。
其寺の住持、是を聞き、每夜每夜、「金剛經」を十遍つゝ[やぶちゃん注:ママ。]、枕もとにて、となへけれは[やぶちゃん注:ママ。]、その夜は、何のことも、なし。
もしも、おこたれは[やぶちゃん注:ママ。]、前のことく[やぶちゃん注:ママ。]なり。
ある夜、住持、留主(るす)にてありける夜、又、例の變化、來たりけるを、數珠にて、拂(はら)ひ除(の)けんとしければ、その顏、すさましくなり、まなこ、ひかりて、
「此度《このたび》は、たすくるとも、終(つゐ[やぶちゃん注:ママ。])に命をとらん。」
と申して、歸りける。
光顯も、夫《それ》より、浮世を、おもひきり、諸國安脚に出でけるが、ふしぎなる事ありて、もとの大和に歸りて、宜しからぬ死を、いたしける。
[やぶちゃん注:「宜しからぬ死を、いたしける」前の過程部分がよく書けているだけに、ここは、是非とも、そのさまを描いて欲しかったな。ちょっと残念。]
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