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2023/06/15

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「一」 の「田鼠除」

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここ。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。

 なお、大物だった「鷲石考」(リンク先はサイト一括版)で私は、正直、かなり疲弊してしまった。されば、残りは、今までのようには――読者諸君が感じてきたであろうところの、あれもこれもの大きなお世話的な――注は、もう附さないことにする。悪しからず。

 本篇は、実際には底本では、既に電子化した「野生食用果實」と、「お月樣の子守唄」の間にある。全四章からなるが、そもそも、これは異なった多数の論考に対する、熊楠先生の例のブイブイ型の、単発の独立した論考の寄せ集めであって、一つの章の中にあっても、特に連関性があるわけでも何でもない。されば、ブログでは、底本の電子化注の最後に回し、各章の中で「○」を頭に標題立てがなされているものをソリッドな一回分として、以下、分割公開することとする。

 標題は「もぐらよけ」と読む。

 実は私は、本篇を既に、二〇一三年六月に公開した、『海産生物古記録集■6 喜多村信節「嬉遊笑覧」に表われたるナマコの記載』の注の中で、「選集」版を底本として電子化している。「嬉遊笑覧」も所持する岩波文庫版で電子化している(但し、以下の注で示した通り、熊楠の所持するものは、内容が有意に異なる別版本であるので、是非、比較されたい)ので、先ず、そちらを読まれたい。

 

○田鼠除(二號一一三頁及三號一八四頁)の禁厭《まじなひ》に、小兒が金盥《かなだらひ》等を打鳴《うちなら》して家々へ闖入《ちんにふ》し、庭中《にはぢゆう》を騷ぎ廻り、忽ち、去る風《ふう》が、予の幼時、和歌山市にも有《あつ》た。然し、唱へ詞《ことば》が彥根や越後と違ひ、「おごろ樣《さん》は内《うち》にか、海鼠樣《なまこさん》はお宿《やど》にか」と云《いつ》たと覺える。「守貞漫稿」二四に、『節分の夜、大阪の市民、五、六夫、或は、同製の服を著し、或は、不同の服も、有之《これあり》、その中《うち》一人、生海鼠《いきなまこ》に細繩を付け、地上を曳巡《ひきめぐ》る。其餘、三、四夫は、各々、銅鑼《どら》、鉦《かね》、太鼓等を鳴らして曰、「うごろもちは内にか、とらごどんのおんまいじゃ。」と呼び、自家、知音《ちいん》の家にも往て祝す事有り』云々。『坂人、今夜のみ、生海鼠を「とらごどの」と云、傳云、之を行ふ年は、其家、土龍《うごろもち》、地を動かさず』云々、『最も古風を存せり。』。「嬉遊笑覽」卷八、『「俵子《たはらご》」は沙噀《なまこ》の乾《ほし》たる也。正月、祝物《いはひもの》に用《もちゆ》ること、月次《つきなみ》のことを記しゝ物にも、唯《ただ》、其形、米俵に似たる物故、「俵子」と呼《よび》て用る由《よし》云《いへ》り。俵の形したらん者はいくらも有《ある》べきに、之を用るは、農家より起こりし事と見ゆ。庖丁家《はうちやうか》の書《しよ》に、『米俵は、食物を納《いる》る者にて目出度《めでたき》物故、「俵子」と云名を取《とり》て用ゆる也。』と。』と。[やぶちゃん注:以上の「。』と。』と。」の部分は私が特に追加して表現・表記上、問題が生じないように添えたものである。まず、①実際の「嬉遊笑覽」原本には「と」は存在しないことと、②原本では、ここで、一回、条が切れて、直後に「鼹鼠(ウゴロモチ)」の条が改行して続くからであり、(後注でリンクで示す)さらに、③以下の「次に、」は「嬉遊笑覽」にある言葉ではなく、熊楠自身の挿入した台詞だからである。]次に、『田鼠《うごろもち》うちとて、沙噀を繩に結付《むすびつけ》、地上を引《ひき》まじなう事、有《あり》。「鼹鼠《うごろもち》、之を怖る。」と云《いへ》り。仙臺にては、子供等、是を「地祭《ぢまつり》」迚《とて》、「もぐらもちは内にか、なまこ殿のをどりぢや。」と、云《いひ》て、錢を乞《こひ》ありく。長崎の俗、正月十四日、十五日、「むぐら打ち」とて、町々の男兒共、竹の先に稻藁《いなわら》を束《たば》ね結《むす》びたるを持《もち》、家々の門《かど》なる踏石《ふみいし》を打ち、「むぐら打《うち》は科《とが》無し、ほうの目々々々々[やぶちゃん注:底本は「々」は二箇所しかないが、かく、した。]、と祝して錢を乞ふ戲有り。」。

[やぶちゃん注:「嬉遊笑覽」は岩波文庫で所持するが、何度もの経験から、南方熊楠の所蔵していた同書は岩波文庫版の親本とは違う、内容が有意に異なる版本であり、熊楠の引用と極めてよく一致するものが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの活字本であり、その当該部がここ(左ページ冒頭の二条)である。それと一応は校合したが、熊楠はひらがなの一部を勝手に漢字化し、送り仮名も自分勝手にカットしてしまっているため、本当は原拠に完全に従うべきところであるが、あまりに自然流の変形を確信犯で行っていることから、熊楠流の部分は、ほぼ、そのままとしておいた。

 是等を合《あは》せ攷《かんが》ふると、昔しは、大人もせし行事で、節分にする所と、上元[やぶちゃん注:陰暦正月十五日。]にする所と、有《あつ》たと知《しれ》る。海鼠を虎子《とらご》と云ふのは、「笑覽」の說ごとく、「俵」の形故、「俵子《たはらご》」と云ふを、訛《なまつ》ての名か、又、寧ろ、海鼠の背が、虎に似て居る故か。何《いづ》れにせよ「漫稿」に、今夜のみ、「なまこ」と言《いは》ずに、「虎子殿」と云《いふ》と、あるは、正月建ㇾ寅〔正月、寅(いん)を建つ。〕の義に緣《ちな》んだらしい。「寅」の獸《けもの》たる「虎」は「百獸の君」ぢやに因《よつ》て、「虎子」てふ「海鼠」で「田鼠」を威壓する意味だつたろう[やぶちゃん注:ママ。]。

[やぶちゃん注:「正月建ㇾ寅」「建寅」(けんいん)は、北斗星の斗の柄が、初昏に、寅の方位を指す時を言い、それが起こる月、陰暦正月のことを指す語である。]

 老友エドワルド・ピーコック、言ふ、英國トレント河畔の俗、田鼠を捉ふると、殺して柳の枝に懸《かく》る、と。和歌山邊の畑中にも、竿《さを》に、田鼠の屍《かばね》を釣り下げる事、有り。何れも威《おど》しの爲らしい。獨人モレンドルフ說に、「遼史」に新年に、田鼠を燒いて、年中の災《わざわひ》を禳《はら》ひし事を載すとは、本邦の「田鼠打ち」に似て居る(五年前、明治四十一年十二月五日、龍動《ロンドン》の『隨筆問答雜誌』[やぶちゃん注:熊楠御用達の‘Notes and queries’のこと。]、予の「死《しん》だ動物を樹や壁に懸る事」を見よ)。熊野の人、古來、狼を獸中《けものぢゆう》の王とし、鼠に咬まれて、寮法、盡きた者が、狼肉《おほかみのにく》を、煮食《にく》へば癒《いゆ》ると、信じた。虎子で、田鼠を威壓するのと、一規だ。

[やぶちゃん注:「エドワルド・ピーコック」不詳。

「死だ動物を樹や壁に懸る事」同誌の一九〇八年十二月五日号に載った、‘DEAD ANIMALS EXPOSED ON TREES AND WALLS’。「Internet archive」のこちらの合冊の「457」ページの右下方から原投稿が視認出来る。]

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