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2023/06/13

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「一」 の「牧牛人入ㇾ穴成ㇾ石語」

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここ。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。

 本篇は、実際には底本では、既に電子化した「野生食用果實」と、「お月樣の子守唄」の間にある。全四章からなるが、そもそも、これは異なった多数の論考に対する、熊楠先生の例のブイブイ型の、単発の独立した論考の寄せ集めであって、一つの章の中にあっても、特に連関性があるわけでも何でもない。されば、ブログでは、底本の電子化注の最後に回し、各章の中で「○」を頭に標題立てがなされているものをソリッドな一回分として、以下、分割公開することとする。]

 

○「今昔物語」卷五の第卅一、「牧牛人入ㇾ穴成ㇾ石語」〔「天竺の牧牛(うしかひ)の人、穴に入りて出でず、石と成れる語(こと)」〕(一號四六頁)の原話は、唐沙門慧立本、沙門彥悰《げんそう》箋「大慈恩寺三藏法師傳」(黃檗板一切經第二〇三套、奄の卷四第一張裏至第二張裏)に出づ。一昨年、一九一一年新板、ビールの「玄奘傳」一二九至一三一頁に全譯され居る。「今昔物語」の作者は、專ら、此「慈恩傳」に據《よつ》たので、別に「法苑珠林」と「酉陽雜俎」を折衷したのでも、主として「酉陽」を本としたのでも無い。予、曾て「今昔物語」の諸譚の出處を、十八、九年前、調べた留書の中にも、『此譚、「慈恩傳」に出づ。』と誌《しる》し有る。然るに、「西域記」の硏究者堀君が、『腹が肥大して、石窟を出づるあたわず、とする點は、「西域記」に、なし。勿論、「慈恩傳」には見え不申候。』(一號四九頁)と云《いへ》るは、不思議極まる。因《よつ》て、全文を爰に引く。「慈恩傳」は玄奘の弟子が書いた者故、『彼《かの》三藏が渡天の日記に、此由、記されたり。』と、「宇治拾遺」に云《いへ》るも、餘りな誤見ぢや無《なか》らう。

[やぶちゃん注:「今昔物語集」の当該話は、本早朝、ブログで『「今昔物語集」卷第五 天竺の牧牛の人、穴に入りて出でず、石と成れる語第卅一』として電子化注しておいたので、そちらを、まずは読まれたい。そちらで注したものは繰り返さないからである。なお、熊楠が言及している「宇治拾遺物語」のそれは、以下に電子化する。底本は岩波文庫渡辺綱也校訂「宇治拾遺物語」下巻(一九五二年刊)を基礎とし、表記・読み・注は、新潮日本古典集成をも参看して弄ってある。一般の通し番号で「一七一」である。

   *

 

 渡天の僧、穴に入る事

 今は昔、唐(もろこし)にありける僧の、天竺に渡りて、他事(たじ)にあらず[やぶちゃん注:特別な目的があったわけではなく。]、たゞ、物のゆかしければ[やぶちゃん注:もろもろ見聞を広めたく思ったので。]、物見にし[やぶちゃん注:強意の副助詞。]ありきければ、所〻、み、ゆきけり。

 ある、かた山に、大きなる穴あり。

 牛の在りけるが、此の穴に入りけるを見て、ゆかしくおぼえければ、牛の行くにつきて、僧も入りけり。

 遙かに行きて、あかき所へ、いでぬ。

 みまはせば、あらぬ世界とおぼえて、見も知らぬ花の、色、いみじきが、さきみだれたり。

 牛、この花を食ひけり。

 心(こころ)みに、この花を、一房、とりて、食ひたりければ、うまきこと、

『天の甘露も、かくやあらん。』

とおぼえて、目出たかりけるまゝに、多く、食ひたりければ、たゞ、肥えに肥え、ふとりけり。

 心得ず、おそろしく思ひて、ありつる穴のかたへ、かへり行くに、はじめは、やすく通りつる穴、身の太くなりて、せばくおぼえて、やうやうとして、穴の口まではいでたれども、え出でずして、耐へがたきこと、かぎりなし。

 前を通る人に、

「これ、助けよ。」

と、呼ばはりけれども、耳に聞き入るゝ人も、なし。助くる人も、なかりけり。

 人の目にも、何と見えけるやらん、不思議なり。

 日ごろ、重なりて、死ぬ。

 後(のち)は、石に成りて、穴の口に、頭をさし出だしたるやうにて、なん、ありける。

 玄奘三藏、天竺に渡り給ひたりける日記に、此のよし、記(しる)されけり。

   *]

 本文に、贍波《せんば》國の、南界數十由旬、有大山林云々、人無敢行、相傳云、先佛未ㇾ出之時、有一放牛人、牧數百頭牛、驅至林中、有一牛、離ㇾ群獨去、常失不ㇾ知所在、至ㇾ暮欲ㇾ歸、還到群内、而光色姝悅、鳴吼異常、諸牛咸ㇾ畏、無敢處其前如ㇾ是多日、牧牛人怪其所以、私候目ㇾ之、須臾還去、遂逐觀ㇾ之、見牛入一石孔、人亦隨入、可行四五里豁然大明、林野光華、多異花果、爛然溢ㇾ目、並非俗内所一ㇾ有、見牛於一處上レ草、草色香潤、亦人間所ㇾ無、其人見諸果樹、黃赤如ㇾ金、香而且大、乃摘取一顆、心雖貪愛、仍懼不敢食、少時牛出、人亦隨歸、至石孔、未ㇾ出之間、有一惡鬼、奪其菓留、牧牛人以ㇾ此問一大醫、幷說菓狀、醫言、不ㇾ可卽食、宜方便將ㇾ一出來、後日復隨ㇾ牛入、還摘一顆、懷欲將歸、鬼復遮奪、其人以ㇾ菓内於口中、鬼復撮其喉、人卽咽ㇾ之、菓既入ㇾ腹、身遂洪大、頭雖ㇾ得ㇾ出、身猶在ㇾ孔、竟不ㇾ得ㇾ歸、後家人尋訪、見其形變無ㇾ不驚懼、然尙能語、說其所由、家人歸還、多命手力、欲共出一ㇾ之、竟無移動二一、國王聞ㇾ之自觀、慮ㇾ爲後患、遣ㇾ人掘挽、亦不能動、年月既久、漸變爲ㇾ石、猶有人狀、後更有ㇾ王、知其爲仙菓所一ㇾ變、謂侍臣曰、彼既因ㇾ藥身變、卽身是藥、觀是石、其體終是神靈、宜遣ㇾ人將鎚鑚取少許將來臣奉王命、與工匠往盡力鐫鑿、凡經一旬、不ㇾ得一斤、今猶現在。〔南界、數十由旬に大山林有り云々、人の敢へて行く名無し。相傳へて云ふ、「先佛、未だ出でざるの時、一(ひとり)の牧牛人(うしかひびと)有り。數百頭の牛を牧し、驅(かけ)りて、林中に至る。一牛有りて、群れを離れて、獨り去り、常に失せて所在を知らず。暮に至りて歸らんと欲するに、還(ま)た群れの内に至る。而して、光色、姝悅(しゆえつ)にして、鳴き吼(ほ)ゆること、常に異なれり。諸牛、咸(みな)、畏れて、敢へて其の前に處(よ)る者、無し。是(かく)のごときこと、多日にして、牧牛人、其の所以を怪しみ、私(ひそ)かに候(うかが)ひて、之れを目(もく)す[やぶちゃん注:注意して見ること。]。須臾(しゆゆ)にして、還(ま)た、去る。遂(つひ)に逐(お)ひて、之れを觀るに、牛の、一(ひとつ)の石の孔(あな)に入るを見、人も亦、隨ひて入る。行くこと、四、五里可(ばかりにし)て、豁然(かくぜん)として、大いに明(めい)たり。林野は、光り華(かがや)き、異(めづら)かなる花果、多く、爛然として、目に溢(あふ)る。並(みな)、俗内に有る所に非ず。牛の、一處に於いて、草を食らふを見れば、草の色、香潤(かうじゆん)にして、亦、人間(じんかん)に無き所なり。其の人、諸(もろもろ)の果樹を見るに、黃赤(わうせき)にして金(こがね)のごとく、香(かんば)しくして、且つ、大なり。乃(すなは)ち、一顆を摘み取れり。心に貪愛(どんあい)すと雖も、仍(なほ)、懼(おそ)れて、敢へて食らはず。少時(しばらく)して、牛、出で、人、亦、隨ひて歸る。石の孔に至りて、未だ出でざるの間(あひだ)、一惡鬼(いちあくき)有り、其の菓(み)を奪ひて留(とど)む。牧牛人、此れを以もつて、一(ひとり)の大醫(だいい)に問(たづ)ね、幷(あは)せて、菓の狀(さま)を說(と)きたり。醫、言はく、『卽(ただち)には、食らふべからず。宜しく、方便をして、一(ひとつ)を將(も)つて、出で來たるべし。』と。後日、復(ま)た、牛に隨ひて、入り、還(ま)た、一顆《いつくわ》を摘み、懷(いだ)きて、將(も)ち歸らんとす。鬼、復た、遮(さへぎ)り、奪はんとす。其の人、果を以つて、口の中に内(い)れたり。鬼、復た、其の喉(のど)を撮(つか)む。人、卽ち、之れを咽(の)み、菓、すでに腹に入る。身、遂に、洪大となり、頭は出で得(う)と雖も、身は、猶、孔にあり。竟(つひ)に、歸るを得ず[やぶちゃん注:下線を施した箇所は「選集」では、何故か、傍点「﹅」が附されてある。]。後、家人尋ね訪(おとな)ひて、其の形、變じたるを見、驚き、懼(おそ)れざる無し。然(しか)も、猶、能く語り、其の由(よ)るところを說けり。家人、歸還し、多く手力(にんぷ)を命(つか)ひ、共に、之れを出ださんと欲するも、竟に、移り動くこと、無し。國王、之れを聞きて、自(みづか)ら觀(み)、後(のち)の患(わざは)ひとならんことを慮(おもんぱか)り、人を遣(つかは)し、掘り挽(ひ)かしむるも、亦、動かす能はず。年月、既に久しくして、漸(やうや)う、變じて、石と爲(な)り、猶、人の狀(かたち)、有り。後、更に、王、有りて、其れ、仙果(せんくわ)の變ぜし所なるを知り、侍臣に謂ひて曰はく、『彼は、既に、藥(くすり)に因りて、身、變じたれば、卽ち、身、是れ、藥なり。是の石を觀るに、其の體(からだ)は、終(つひ)に、是れ、神靈なり。宜しく、人を遣はし、鎚鑽(ついさん)[やぶちゃん注:叩き削ること。]を將(も)つて、少しばかりを斲(けず)り取り、將ち來たるべし。』と。臣、王の命を奉(ほう)じて、工匠と與(とも)に往(ゆ)き、力を盡して鐫鑿(せんさく)し、凡そ、一旬を經たるも、一片をも、得ず。今、猶、現に在り。」と。〕

[やぶちゃん注:「選集」では、冒頭標題に編者注があり、『赤峰太郎「今昔物語の研究」』に対する論考である。]

 

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