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2023/06/12

佐々木喜善「聽耳草紙」 一一五番 オシラ神

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一一五番 オシラ神

 

 昔、或所に百姓の爺樣婆樣があつて、美しい娘を一人持つて居た。そして又厩舍には一匹の葦毛(アシゲ)の馬を飼つて居た。その娘が年頃になると、每日每日厩舍の木戶木(キドギ)に凭れて、何か頻りに話をして居《を》たつたが、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]其馬と夫婦になつた。

 父親はひどく怒つて、或日其馬を曳き出して、山畠へ連れて行つて、大きな桑の木の枝に釣《つる》し上げて責め殺した。そして生皮《なまがは》を剝いで居るところへ娘が來て見て泣いて居た。するとその生皮が、父親に剝ぎ上げられると、側(ソバ)で見て居た娘の體の方へ行つてぐるぐると卷き着(ツ)いて、天へ飛んで行つた。

 爺樣婆樣は家で娘のことを案じて每日每夜泣いていた。すると或夜娘が夢に見えて、父(トト)も母(ガガ)も決して泣いてくれるな。オレは生れやうが惡くて仕方がないので、あゝした態(ザマ)になつたのだから、どうかオレのことはあきらめてクナさい。その代り春三月の十六日の朝間《あさま》、夜明けに土間(ニワ)の臼の中を見てケテがんせ。臼の中に不思議な馬頭(ウマノカシラ)の形をした蟲が、ずツぱり(多數)湧いて居るから、それを葦毛(アシゲ)を殺した桑の木から葉を採つて來て飼つて置くと、其蟲が絹糸をこしらへますから、お前達はそれを賣つて生活(クラ)してケテがんせ。それはトトコ(蠶)と謂ふ蟲で世の寶物だからと言つた。さう聞いて兩親は夢から覺めた。

 爺樣婆樣は不思議な夢もあればあるものだと思つて居たが、三月の十六日の朝間になつたから、早く起きて土間の臼の中を覗いて見ると夢で見た通りの馬の頭の形をした蟲が多く湧いて居た。そこで山畠へ行つて桑の木の葉を採つて來てかけると、よく食つて繭をかけた。

 これが今の蠶の始まりであるという。さうして馬と娘は今のオシラ樣と謂ふ神樣になつた。それだからオシラ樣は馬頭(ウマガシラ)と姬頭《ひめがしら》との二體がある。

(私の稚《をさな》い時聽いた記憶、村の大洞お秀婆樣と云ふ巫女《みこ》婆樣が殊の外私を可愛(メゴ)がつて、春の野に蓬草《よもぎさう》などを摘みに私を連れ出して、こんな話を多く語つて聽かしてくれた。此婆樣から他の多くの呪詛の文句やカクシ念佛の話を聽かされた。此人は私を育ててくれた祖母の姉である。)

[やぶちゃん注:附記は、ポイントは本文と同じにして、引き上げた。

「オシラ神」「オシラ樣」については、ウィキの「おしら様」を参照されたいが、私は既に『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 六九~七一 「おひで」ばあさまの話(オシラサマ他)』の注で、「ちくま文庫」版で本話を紹介している。そこで述べたが、一見、本伝承は全く以って中国の蚕馬(さんば)・蚕女(さんじょ)・馬頭娘(ばとうじょう)等の古伝承のマンマの翻案のように見える。この中国の神話は「柳田國男 うつぼ舟の話 三」「柳田國男 炭燒小五郞が事 五」の私の注で説明しているので、そちらを参照されたいが(先のウィキにも載る)、私は個人的には、馬と娘の異類婚姻譚が、中国と日本とで共時的に発生し、蚕と馬の相似形で後付けされた「養蚕創造神話」としての共通はあるものの、全体は一種の平行進化ではないかという考えを捨てきれないでいるのである。

「カクシ念佛」小学館「日本大百科全書」の「隠し念仏」から引く。『東北地方のうち、とくに岩手・宮城両県から北海道の一部にかけて行われている秘密宗教』的な『細胞組織』に相当するもの。『信徒たちは自ら「御内法(ごないほう)」とよぶが、世間からは「御庫(おくら)念仏」「庫法門(くらほうもん)」「土蔵秘事(どぞうひじ)」などとよばれる。西の隠れキリシタンに対して、東の隠し念仏といわれる。もと室町時代に東北地方に行われていた密教系の念仏が、江戸幕府の宗教政策のもと』で、『寺院本末化、檀家』『制度化が進むに』際し、『浄土真宗の傘下に入るのを得策として、表面からは密教色を去り、真宗の教義による外貌(がいぼう)をとり』ながら、『内面では秘密念仏的性格を堅持し続けた。それゆえ、真宗に往々みかけられた異端としての秘事法門(ひじぼうもん)の一種のごとくに扱われたことが多い。所依の経典としては』、覚鑁(かくばん:興教大師)の「五輪九字明秘密釈(ごりんくじみょうひみつしゃく)」(「五輪九字秘釈」とも呼ぶ)で、『弘法』『大師、興教大師、親鸞上人』の三者の『像を崇(あが)め、とくに親鸞上人』七十一『歳御自作と称する木像を秘蔵することもあり、「御執上(おとりあげ)」と称する入信式では「指を組む」と』言って、『真言の印契(いんかい)に似た法式をとるなど、密教色を中心に含んでいる。隠し念仏が世間に知られたのは』宝暦三(一七五三)年、『仙台藩水沢領主伊達主水(だてもんど)の家臣山崎杢左衛門(もくざえもん)ら』四『名が京都で鍵屋(かぎや)五兵衛善休から相伝を受けて帰り』、『布教するうち、邪宗として摘発され、翌年磔刑(たっけい)に処せられた一件であった。この善休の系統は京都の鍵屋宇兵衛道清(どうせい)』(寛文三(一六六三)年没)『に始まり、幕末から』は『分派も多く発生し、広く行われているほか、福島県の大網常瑞(じょうずい)寺(白河市)系統の秘事法門は、親鸞―善鸞―如信と相伝したものと伝え、同じく東北の隠し念仏として知られている。その儀式の多くは、暗夜に』、『わずかの燈火のもとで行われ、俗人の指導者に導かれて、ひたすら念仏または「助けたまえ」の繰り返しのうちに、放心状態になると、口中やまぶたを調べて、救済された旨』、『宣言をし、意識の回復したのちは、けっして他言しないと誓約させられる、というものである。また』、『村ごとに役員を置くが、農閑期を利用して「御執上」(入信式)を』六~十五『歳の児童に施し、それを済ませると』、『共同体成員として一生涯が安定することになっており、嫁取り・婿取りに際して』、『これを行うことも多い』とある。]

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