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2023/06/11

「新說百物語」巻之二 「坂口氏大江山へ行きし事」

 

[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。

 底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 今回はここから。本篇には挿絵はない。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]

 

   坂口氏大江山へ行きし事

 丹州福知山の邊に、坂口なにがしといふ侍(さふらい[やぶちゃん注:ママ。])あり。

 其所の地頭より、さしづにて、栂井(とがゐ)氏のむすめを、もらひて、何のふじゆうもなく、折ふし、おなし[やぶちゃん注:ママ。]年頃の友達、四、五人ありて、折々は、出會ひ、夜はなしなど、いたしけるが、ふと、其中のひとりの友、いふやう、

「大江山の洞穴(ほらあな)は、今にいたりて、はいれは[やぶちゃん注:ママ。]、あやしき事あるよし、いゝつたふ。ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なる事なり。」

といふを、彼の坂口なにがし、聞きて、

「夫《それ》は、おもしろき事を、うけ給はるものかな。それがし、近日、見て參らん。」

と申しける。

[やぶちゃん注:「福知山」「大江山」酒呑童子の根城として知られる、現在の京都府丹後半島の付根に位置し、与謝野町・福知山市(グーグル・マップ・データ)・宮津市に跨る連山。標高八百三十二メートル。ここ(同前)。]

 皆々、

「それは、いらぬ、ぶへんだてなり。かならす[やぶちゃん注:ママ。]、無用にいたさるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と申しければ、其夜は、その分にて、すみぬ。

 坂口、つくつく[やぶちゃん注:ママ。底本では後半は踊り字「〱」。]と、おもふやう、

『何さま、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なる事かな。ひそかに、見て來ん。』

と、女房にも、

「外へ行く。」

と申して、大江山の洞穴にそ[やぶちゃん注:ママ。]、おもむきける。

 先《まづ》、洞の口を、十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]はかり[やぶちゃん注:ママ。]行く間は、殊の外、せまくて、次㐧次㐧に、道も、ひろく、およそ二町[やぶちゃん注:約二百十八メートル。]斗《ばかり》ゆくとおもへば、十間、弐拾間も、あいだを置きて、石の燈臺(とうだい)、あり。

 上よりは、唯(たゞ)、雫(しづく)、

「ほたほた」

と落ちて、うすぐらく、ひやひやしたる風、吹き來り、そのにほひ、はなはた[やぶちゃん注:ママ。]、なまくさく、夫《それ》を、こらへて、四、五町、ゆきたれは[やぶちゃん注:ママ。]、洞の内、余ほど、あかく、むかふに、川音、聞へたり。しはらく[やぶちゃん注:ママ。]、腰(こし)打《うち》かけて、やすみける。

 其かたはらに、おもひもよらぬ女の、さしぐし一枚、おもたかのまきゑ、うきたるが、石のうへに、ありける。

[やぶちゃん注:「おもたかのまきゑ」その差し櫛の表面にオモダカ(澤瀉・面高。の水生植物で単子葉植物綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ Sagittaria trifolia )の葉或いは花を図案化した模様が描かれていたのである。]

 さしもの坂口、

「ぞつ」

として、何とやら、身の毛も、よだち、夫より、

『歸らん。』

と思ひけるか[やぶちゃん注:ママ。]

『何さま、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なることなり。』

と、その櫛(くし)を、ふところにいれて、歸りける。

 今、來たりし時には、なかりしか[やぶちゃん注:ママ。「が」。]、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、かうがひ[やぶちゃん注:ママ。「笄(かうがい)」。]、または、香箱(かうはこ)なと[やぶちゃん注:ママ。]、落ちてあり。

 なにとやら、見知りたる樣に覺へて、ことことく[やぶちゃん注:ママ。底本では後半は踊り字「〱」。]ひろひかへりける。

『今すこしにて、洞の口へ、いでん。』

と、おもふ頃、今、きりたると見へし、女の首、道の眞中に、あり。

 よくよく見れは[やぶちゃん注:ママ。]、我《わが》女房の首なり。

 坂口、おゝきおとろきなから[やぶちゃん注:総てママ。]、是非なく、これも、持ちかへりて、我内《わがうち》に、かへりぬ。

 表より、内を見れば、女房は、常のことく[やぶちゃん注:ママ。]針仕事いたし居《wり》けるにより、手にさけ[やぶちゃん注:ママ。]たる首を見れは[やぶちゃん注:ママ。]、大きなる自然生(じねんじやう)の「山のいも」なりけり。

 右の樣子を、女房にかたりて、右の櫛などを見せければ、女房の長持に、たしなみをきし手道具の内なり。

 最前の友たち、よびあつめ、始終を、かたりければ、をのをの、きもを、つぶしける。

 此坂口、後に京都に來たり、元文のはじめ、相果てけるが、直《ぢき》に物語いたしける。

[やぶちゃん注:我々が普通に食べている単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属ヤマノイモ Dioscorea japonica の天然の「自然生(じねんじょう)」「自然薯(じねんじょ)」である。

「元文のはじめ」元文は六年までで、一七三六年から一七四一年まで。本書の刊行は明和四(一七六七)年春で、著者は京の版元であるから、筆者自身が、三十年ほど前、坂口自身の直談を記した実話怪談・都市伝説ということになる。]

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