「新說百物語」巻之一 「修驗者妙定あやしき庵に出づる事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。今回はここから。本話には挿絵はない。]
修驗者(しゆげんしや)妙定(めうぢやう)あやしき庵(あん)に出づる事
越後のかたへ、下《くだ》りける、妙定といふ山伏、あり。
諸方の霊場・霊社、殘りなく拜みめぐりけるか[やぶちゃん注:ママ。] 、越後の國にいたりて、ある日、宿をかりそこなひ、ある寺にいたりて、一夜の宿をたのみにけるか[やぶちゃん注:ママ。] 、その夜、其寺に法事ありて、僧のとまり人、多く、
「上の山、ちいさき庵に、一宿し給へ。」
とて、夜食など、あたへて、寺よりは壱町[やぶちゃん注:百九メートル。]ほども上の、ちいさき庵に、とまらせける。
山伏も、旅のつかれにて、宵のほと[やぶちゃん注:ママ。] は、よく寐(ね)いりて、八つ時《どき》[やぶちゃん注:午前二時。丑満ツ時。]と、おもふころに、雨、一通り、
「さつ」
と、ふりて、風、すさましく[やぶちゃん注:ママ。] 、身も、毛も、よたつばかりなるに、ふと、あをむきたれは[やぶちゃん注:総てママ。]、庵の棟木(むなき[やぶちゃん注:ママ。])の上より、
「そろそろ」
這(はひ)下《くだ》りるもの、あり。
有明の火にて、すかし見れは[やぶちゃん注:ママ。] 、およそ、二十四、五歲の出家、瘦(やせ)おとろへてさ、かやき、長く、しろき小袖を着て、首に、繩の五尺はかり[やぶちゃん注:ママ。] なるを、まとひ、口より、
「たらたら」
と、血をながし、山伏の寢たりけるあたりを、はい[やぶちゃん注:ママ。]まはりける。
その顏の、おそろしさ、いはんかたなし。
何の仕方《しかた》もなけれは[やぶちゃん注:ママ。] 、唯、口のうちにて、不動明王の眞言を、となへて、夜着(よぎ)うちかふりて居たりけるか[やぶちゃん注:ママ。] 、雨風も、やみて、そつと、かほ、さし出《いだ》して、みれは[やぶちゃん注:ママ。] 、最早、何のかたちも、見へ[やぶちゃん注:ママ。]さり[やぶちゃん注:ママ。] ける。
夜も、明けかたになりけれは[やぶちゃん注:ママ。] 、寺にいたり、いとまこひも、そこそこにして、足はやに、其所《そこ》を通りけるか[やぶちゃん注:ママ。]、
「其時の㒵《かほ》のさま、今、おもひ出しても、身の毛もよたつはかり[やぶちゃん注:ママ。] なり。」
と、語りけるよし。
[やぶちゃん注:コーダから、作者が直接に聴いたのではなく、「また聞き」である点、所謂、典型的な「噂話怪談」であり、信憑性は低い。]
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