佐々木喜善「聽耳草紙」 一二二番 端午と七夕
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一二二番 端午と七夕
或所に若夫婦があつた。良人は妻の織つた曼陀羅と謂ふものを、遠方の町へ持つて行つて賣つてゐた。そのために他鄕に永逗留するのが常であつた。その留守の間に、妻の容貌(ミメカタチ)の美しいのを慕つて、其所の男共が數々言ひ寄つた。けれども妻はそんなことには少しも耳を借《か》さなかつた。ところが或時惡い男が來て、お前がそんなに貞操を守つて居たつて、お前の良人は他國で妾女(オナメ)を持つて居るから、斯《か》う還《かへ》つて來ないんだぜと焚《たき》きつけた。それを聽いた妻は女心の一途《いちづ》にさうかと思つて泣きながら、近くの川へ身を投げて死んでしまつた。
夫が他鄕から、曼陀羅を送つて寄越《よこ》すやうに家へ便りをしても、何の返事もないから、不思議に思つて村へ歸つて見ると、妻はたつた今《いま》川へ身を投げたばかりで、まだ其美しい屍《しし》が水の中に浮き漂ふてゐた。夫はそれを見て悲嘆のあまり、妻の屍肉(シシニク)を切つて薄(スヽキ)の葉に包んで食べた。それは五月五日の日であつた。それが節句の薄餅の起源(オコリ)である。そして又その筋《すぢ》ハナギをば、七月七日に、素麵(ソウメン)にして食べた。それだから七月七日は必ず素麵を食べるのだと謂ふ。
こんな譯で、五月中は機《はた》を織ることを忌み、若《も》し立てたなら、蓑(ミノ)を被《かぶ》せて匿《かく》して置かねばならぬ。
(大正十三年八月七日(舊曆七月七日)、老母が孫
共に話して聽かしてゐたのを記す。)
[やぶちゃん注:「端午と七夕」の食すものの起源譚であるが、妻に言いよる男ども、憎さから夫に愛人がいるという噓、妻の入水自殺、夫がそれを見つけてカニバリズムと、いかにも生理的に嫌な印象が多過ぎる。
「妾女(オナメ)」嘗つて後生掛(ごしょうがけ)温泉に湯治に行ったが、その源泉を「オナメモトメ」と呼んでいた。「オナメ」はここに出る通り「妾(めかけ)・愛人」の意の方言で、「モトメ」の方は「本妻」を指す。「後生掛温泉」公式サイトのこちらの「後生掛温泉の由来 オナメモトメの伝説」の引用を読まれたい。
「薄餅」不詳。グーグルで「薄餅 岩手 端午の節句」を調べたが、記載がない。
「筋ハナギ」不詳。当初、「筋《すぢ》」と推定読みを添えたが、そんな単語は、ネット上では見当たらない。或いは、「その節」で、そこで切れて、「その際に」、「ハナギをば、」……の誤字か誤植かとも思ったが、まず、本篇を引いている民俗学者の論考では総てそのまま「筋ハナギ」とあり、それに注を入れている人物もいなかった(国立国会図書館デジタルコレクションの検索システムを使用した)から、これは、やはり「筋ハナギ」なる「素麺」になる植物(穀類?)かなにかを指すようであるが、全く見当がつかない。「筋ハナギ」自体が、ネット検索ではかかってこないのである。前の「薄餅」と合わせて、識者の御教授を乞うものである。]
« 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「水彩風景」紀映淮 | トップページ | 「新說百物語」巻之三 「僧天狗となりし事」 »