「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 鷲石考(5) / 「附錄」の「○雄鷲石」及び「○僞鷲石」 / 鷲石考~了
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから(本文冒頭部をリンクさせた)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。
注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。
本篇は、やや長いので、ブログでは分割公開し、最終的には縦書にしてPDFで一括版を作成する予定である。実は、本篇は、今まで以上に、熊楠流の勝手な送り仮名欠損が著しい。私の補塡が「五月蠅い」と感じられる方も多かろう。さればこそ、そちらでは、《 》で挿入した部分を、原則、削除し、原型に戻す予定である。そうすると、しかし、如何に熊楠の原文章が読み難いかがお判り戴けることともなろう。
なお、初回の冒頭注も参照されたい。]
○雄鷲石 一八七六年板、ワーター編纂、サウゼイの『隨得手錄』第一輯五二七頁に、チャーレス一世(十七世紀)の時、バートレットなる人、多くの財寶を抄掠《せうりやく》[やぶちゃん注:略奪。]された内に雄鷲石《ゆうしゆうせき》一つあり。曾て、一醫士、三十金を以て之を買《かは》んと申し出た、とある。是は、既に第一篇の初めに述《のべ》た如く、プリニウスが鷲石は每(つね)に雌雄二つ揃ふて鷲の巢にあると云《いつ》た、その二つの内の雄石だろうか[やぶちゃん注:ママ。]。はた又、一六四八年、ボノニア板、アルドロヴァンジの「礦物集覽」第四卷五八章にみゆる、雄鷲《をすわし》の體内より見出《みいだ》された石だらうかと、大正十二年八月二十五日の『ノーツ・エンド・キーリス』一五五頁へ質問をのせたに、誰も答ふる者が今日迄ない。
○僞鷲石 一七四六年板、アストレイの「新編水陸紀行集」第三卷三七三頁に云《いは》く、喜望峯地方で、小石原や澤邊に僞鷲石《ぎしゆうせき》あり、ほゞ圓《まる》く、栗の大《おほき》さで、中空に砂等を滿てたり。其外面はサビで被はる。此物を大奇品として他邦人に贈る、と。是は、日本で、所謂、「饅頭石」の如く、石の中に、土砂斗《ばか》り藏《をさ》めた麁末《そまつ》な品で、日本で所謂、「スズイシ」程、石中の石が堅くて、遊離し居《を》るものを、「眞《しん》の鷲石」、さもない者を、「僞鷲石」と呼んだのだろう[やぶちゃん注:ママ。]。(大正十五年九月十九日朝十時稿成る。)
[やぶちゃん注:最後に私は所持している「南方熊楠を知る事典」(一九九三年講談社現代新書刊)のウェヴ・サイト内の原田健一氏の「鷲石考/孕石のこと」の記事をリンクさせておく。]
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