「新說百物語」巻之五 「高㙒山にてよみがへりし子共の事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。本篇の核心部は、語る僧の直接話法であるので、その部分を「……」と行空けで分離して、話柄内をも段落・改行を加えた。]
高㙒山にてよみがへりし子共の事
京、錦小路《にしきかうぢ》に、何院とかやいへる貴《たふと》き僧、おはしける。
[やぶちゃん注:「錦小路」この東西(グーグル・マップ・データ)。]
あるとし、高㙒山に、のほられけれるか[やぶちゃん注:総てママ。]、高㙒山にて、物かたりしけるは、
「……此四年まへに、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なること、侍りき。
此山の麓の村に、十二、三歲になるもの、熱病を、わづらひて、兎(と)やかく介抱すれとも[やぶちゃん注:ママ。]、そのかいもなく、相果《あひはて》ける。
父母、是非もなく、此山に、ほふむりける。
七日めの夜《よ》の明けかた[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]に、親のもとへ、歸りける。[やぶちゃん注:主語は亡くなったはずの子どもである。]
家内、おゝきに[やぶちゃん注:ママ。]おそれ、誰《たれ》、戶をあくる者も、なし。
其内に、やうやう、夜もあけかたになり、てゝおや、おもてに出《いで》て、樣子を尋ぬれは[やぶちゃん注:ママ。]、其もの、かたりて、いふやう、
「死したる時も、少《すこし》も覚へ[やぶちゃん注:ママ。]す[やぶちゃん注:ママ。]。ふと、目のさめたることく[やぶちゃん注:ママ。]なりけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、撫(なて[やぶちゃん注:ママ。])て見れは[やぶちゃん注:ママ。]、箱のうちなり。『扨は。我は死したりと見へたり。』とはかり[やぶちゃん注:ママ。]思ひて、さして、かなしくもなかりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、あたまの上にて、大勢の声にて、鉦、打《うち》たゝき、念佛申すやうに、きこえたるはかり[やぶちゃん注:ママ。]にて、そのゝちは、音も、せさりしか[やぶちゃん注:総てママ。]、又、あるとき、あたまの上の土を、かきのくる音して、箱を、そつと、引上《ひきあ》け[やぶちゃん注:ママ。]たり。あくると、其まゝ、橫に、こけて、箱のふた、われける。むかふをみれは、おゝきなる[やぶちゃん注:ママ。]狼(おほかみ)、口を明《あけ》て、居《をり》ける故、其あたりの石を、ひろいて、投(なけ[やぶちゃん注:ママ。])たりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、狼、にけ[やぶちゃん注:ママ。]失《うせ》たり。それより、すく[やぶちゃん注:ママ。]に、迯(にけ[やぶちゃん注:ママ。])かへりたり。」
と、かたりける。
念仏の音は、三日以前に、順礼、通りて、あたらしき墓を見て、大勢、廻向《ゑかう》して通りたる、其音にてぞ、ありける。……
「狼に掘り出されて、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]、此家へ歸りけるか[やぶちゃん注:ママ。]、珍しき事なり。」
と申しけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、此僧、其所に尋ねゆき、其ものにあひて、直《ぢき》に、樣子、聞きて、かへりし、となり。
[やぶちゃん注:冒頭、「何院」と伏せ、「貴き僧」の名も出さないのはちょっと、噓っぽい感じはするが、最後が「かへりし」と直接体験の過去の助動詞「き」の連体形「し」(余韻の連体中止法)を用いているからには、その僧本人から、作者が以上の話を聴いたという構造になっているので、強ち創作物とも断じ得ない。熱性マラリアの回帰性の発熱による多臓器不全による仮死状態を、死んだものと誤認し(高野山には医師もいたであろうが、小児の病態の把握はなかなか難しい。現在でも医学部で、小児科医は、なり手が少ないことはよく知られている)、埋葬したが、そこを、偶々、狼が食おうと、掘り起こしたところが、丁度、熱も下がっていた少年が、石を擲って、追い払ったというシークエンスや、戻った彼を、亡霊や化け物と恐れて戸を開けようとする者がいなかったという辺りは、絶対にあり得ないとは断言出来ない感じもするし、何より、巡礼らの回向の念仏の声を墓中で聴き取った部分の合致には、実話を標榜する怪談のキモとしての、否定しようのない鋭いリアリズムがある。]
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