佐々木喜善「聽耳草紙」 一一〇番 生返つた男
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一一〇番 生返つた男
氣仙の或村の生計(クラシ)のよい家の息子が死んだが、墓場へ持つて行つて、葬禮の鉢鉦《はちがね》を鳴らした時、棺の中で蘇生(イキカヘ)り、呻《うなり》り聲を出した。それツ息子が生き歸つたと言つて、悲しみが喜びに變り、息子をばそのまま棺から引出して死裝束を着替えさせて家へ連れ歸つた。ところが不思議なことには、現在二三日前に死んだ自分の家のことを少しも知らず、此所は俺の家では無い。俺の家は氣仙の某と謂ふ村の斯《か》く斯く謂ふ家であると言つて、速く自分の家に歸りたいと言ふて仕方がなかつた。けれどもその家では現在死んだ吾子であり、吾が夫なので、これは何かの魔がさしてこんなことを口走るものだらうと思つていろいろと說き聽かせたが、一向にその利目《ききめ》がなかつた。仕方がないので、その息子の口走る某と云ふ村の某家へ問ひ合はせると、其家でも恰度《ちやうど》二三日以前に忰《せがれ》が死んだので火葬にして葬禮を濟ませたと謂ふことであつた。それでもとにかく其人を見度《みた》いと謂つて、某家の人が其所へ來て見ると、今迄全く見たことの無い知らない若者であつた。しかし息子は其人を見るといきなり、さもさも懷かしさうに聲をかけて、俺はこれこれ斯《こ》んなに蘇生(イキカヘ)つて來て居る。早くこんな人の家に置かないで家へ連れて行つて吳れと言つて、嬉し泣きに泣くのであつた。其人が驚いて何か言ふと、息子はひどくなさけなさうにしながら、何たら話だ。そんだらば俺の子供は何と云つて幾歲になつて、妻はこれこれの所から來て幾歲、家の常居《とこゐ》の佛壇の下の簞笥の中には俺の取引上の斯く斯くの書付や、これこれのものがあり、父母の名、姉妹の名は斯く々々とて、巨細一切《こさいいつさい》詳かに說き聞かすのであつた。そうして實は俺は一且死んだことは確《たしか》であるが、屍(モガラ)が火葬にされたため、蘇生(ヨミガヘ)ることになつても、自分の元の體《からだ》では來られなかつた。そこで偶々(タマタマ)此家の息子さんが死んで、幸ひ土葬にされた所であつたのでその體をかりて蘇生つて來た。それで體は如何にも此家の息子さんであるが、正心《しやうしん》はさうでないと謂ふことであつた。
それで兩家ではいろいろ相談の上で、それでは仕方がないから眞實の家に歸した方がよいと謂ふことになつて、息子はその火葬にされた人の家に引き取られた。それから兩家は親類の間柄になつたが、其人は其後二年ばかり生きて居て再び死んでしまつた。
(昭和四年一月二十日の夜、遠野町菊池儀三郞君と
謂ふ友人から聽く。此人が先年氣仙で聽いた話で
あるが、村名人名は遂《つひ》忘れてしまつたと
言つて居た。)
[やぶちゃん注:この入れ替わって蘇生する譚、かなり有名な話で、たしかに私は酷似した話をブログで電子化しているはずなのだが、生憎、探し得なかった。発見したら、追記する。]
« 「新說百物語」巻之二 「奈良長者屋敷怪異の事」 | トップページ | 「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 鷲石考(2) / 「第二篇 禹餘糧等について」 »