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2023/06/04

佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇四番 瓜子姬子(全七話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一〇四番 瓜子姬子 (其の一)

 

 齡寄(トシヨ)つた爺樣婆樣があつた。或日爺樣は山へ木伐りに行き、婆樣は川へ水汲みに行くと、川上から瓜が一つチンボコ、カンポコと流れて來た。それを拾つて、爺樣が山から歸つて來たら一緖に食ふべと思つて、戶棚に入れてとつておいた。夕方爺樣が山から、あゝ喉がかわいたざえ、あゝ喉がかわいたざえ、婆樣々々水コ一杯たんもれざアと言つて歸つて來た。婆樣は、爺樣々々水コよりええものを、俺が拾つておいたから、それを食ウベもしと言つて、戶棚から瓜を出して庖丁で二つに割つた。すると、中から美しい女兒(ヲナゴボツコ)が生れ出た。爺樣婆樣はひどく喜んで、瓜から生れたのだから、それに瓜子姬子と名をつけて大事に大事にして育した。

 瓜子姬子は齡頃《としごろ》になると美しい娘になつた。ある日爺樣婆樣は瓜子姬子に留守をさせて町さ瓜子姬子に着せる美しい衣物(ノヽ)買ひに行つた。爺樣婆樣は家を出る時、瓜子姬子誰(ダアレ)が來ても戶を開けるなやい。家の中で機《はた》を織つて居ろやいと言ひつけた。あいあい、さう答へて瓜子姬子は家の中でひとりこで、

   キコパタトン、カランコカランコ

   キコパタトン、カランコカランコ

 と機を織つて居た。すると奧山から山母(ヤマフアフア)が來て、瓜子姬子ア居たかア、瓜子姬子ア居たかアと聞いた。瓜子姬子が誰だますと訊くと、山母は俺はええ母だから此所の戶(トツ)コをスコウシ開けろと言つた。瓜子姬子は、おら厭(ヤ)んてがア、爺樣婆樣が誰ア來ても戶開けるなと言つたからと言つた。すると外の山母は、そんなことウ言わないで、ええから開けろと言つた。瓜子姬子は前の通り言つて斷つた。するとまた山母は、瓜子姬子々々々々、そんだらら此所を少し開けてけろ、おれの手の入るほど開けてけろと言つた。瓜子姬子はおら嫌(ヤ)んてが、爺樣婆樣にくられるから(叱られるから)と言つて斷つた。するとまた山母はそれだら瓜子姬子、おれの指コの入るぐらゐ開けてけろ、ほんだら瓜子姬子おれの指の爪コのかゝるほど開けてけろと言つてきかなかつた。山母があんまり賴むものだから、瓜子姬子はざつと爪コのかかるぐらい戶を𨻶《す》かしてやつた。すると山母はえらえらととがつた爪を其所へ引掛けて、戶をグエラと開けて中へ入つた。そして瓜子姬子を取つて食つてから、骨は糠室《ぬかや》の隅に匿して置いて瓜子姬子の皮を剝いでかぶつて、瓜子姬子に化けて機を織つて居た。

[やぶちゃん注:「山母」は山姥(やまうば/やまんば)の異名。]

 婆樣爺樣は瓜子姬子の赤い衣物を買つて、タ方町から歸つて來た。すると家の中から、

   ドツチラヤイ

   バツチラヤイ

 と機織る音がして居た。はてな、あの機織る音は、おら瓜子姬子の機織る音だべかなアと思つて、急いで戶を開けて見ると、中から山母の化けた瓜子姬子が、爺樣な婆樣な今歸つたますかと言つて迎へに出た。留守の間に何も來なかつたかと言ふと、山母が來たつたども、おら婆樣爺樣から言ひつけられて居たから、なんぼ戶を開けろと言つても、戶を開けねアものと言つた。どうも樣子がおかし[やぶちゃん注:ママ。]けれど爺樣婆樣はああそれはよいことをしたと言つて、町から買つて來た美しい紅い衣物を見せたがその瓜子姬子は紅い衣物を見ても、別に嬉しい風もしなかつた。

 其次ぎの朝、今日は瓜子姬子が嫁子《あねこ》に行く日だから、爺樣婆樣は早く眼を覺まして話をして居ると、厩舍桁《うまやげた》の鳥小舍《とりごや》の上で、鷄《にはとり》が時を立てたが、その鳴きやうは斯《か》うであつた。

   糠室(ヌカヤ)の隅(スマ)コを見ろぢや

   ケケエロウ

   糠室の隅コを見ろぢや

   ケケエロウ

 爺樣婆樣は、はてあの鷄の鳴きやうは、いつもと異《ちが》つて怪(オカ)しい鳴きやうだなアと思ひながら起きて、瓜子姬子の嫁子《あねこ》に行く仕度《したく》をした。さうして昨日《きのふ》町から買つて來た絹子小袖《きぬここそで》を出して着せて、鈴をつけた馬に乘せて、家の門口《かどぐち》から、ゴロン、ゴロンと云はせて引き出した。すると屋棟《やむね》の上で烏《からす》がまた斯う鳴いた。

   瓜子姬子ば乘せねエで

   山母(ヤマフアフア)乘せたア ガアガア

   瓜子姬子ば乘せねエで

   山母乘せたア ガアガア

 それで、これは怪(オカ)しいと思ひ、又今朝《けさ》も鷄があゝ鳴いたつけがやいと思つて、糠室の隅へ行つて見ると、そこにはほんとう[やぶちゃん注:ママ。]の瓜子姬子の骨がぢやくぢやくとあつた。この事だがやい。口惜しいぢえやい。そしてあの馬さ乘つて居るのが山母だと思つたから、爺樣婆樣は土間(ニハ)からマサカリを持つて行つて、馬の上の山母を斬り殺した。

(此話も多くの類型のある部類の一つである。私の蒐集したものばかりでも四種ほどあり、 尙二三他人の書物にあるのも異《ちが》つていた。あまりに普通であり、ありふれた昔話であるから此本には載せまいかと思つたが、此本は何も興味一方の書物でないから、吾々の比較資料のために敢て出して置いた。
「紫波郡昔話」にも別話を載せたが、其後小笠原謙吉氏から聽くと、同地方にある姬子譚の一種には、末段で姬に化けた山姥は山へ逃げて行き、ほんとう[やぶちゃん注:ママ。]の瓜子姬子が殺されて鶯になつて鳴いて飛んで行つたと語られるさうである。)

[やぶちゃん注:附記は例によって同ポイントで引き上げた。佐々木の指示した「紫波郡昔話」の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「(七) 瓜小姬子」で視認出来る。]

 

        (其の二)

 昔或所に爺と婆があつた。爺は山へ柴刈りに、婆は川へ洗濯に行つていると、瓜が一つ流れて來た。婆はそれを拾ひ上げて、今に爺が山から還つたら、一緖に食べやうと、戶棚に藏《しま》つて置いた。夕方爺が歸つたから、戶棚を開けると、其瓜から美しい女の兒が產れて、おげえ、おげえ、と泣いて居た。

 爺婆は此齡《このとし》まで子供がなかつたから、大層喜んで、瓜から生れたから瓜子姬子と名を附けて、可愛がつて育てた。瓜子姬子は段々大きくなつて手習《てならひ》も算盤《そろばん》もよく覺え、其上に孝行娘であつた。又花(ハナコ)のやうに美しく、[やぶちゃん注:底本は句点であるが、読点に代えた。]機を敎へるとすぐに金欄緞子《きんらんどんす》までも織るやうになつて、每日每日家に居て、梭《ひ》の音をさせて居た。

 或日、爺は山へ行き、婆は用があつて隣へ行つて留守で瓜子姬子ばかりが居ると、戶をどんどんと叩く者があつた。戶を開けるなと兼々《かねがね》婆に言ひ付けられてゐるものだから、開けずに居ると、瓜子姬子、瓜子姬子、一寸戶を開けろと言つた。それでも瓜子姬子は默つて機を織つていると、また瓜子姬子、瓜子姬子、爪の立つほどでよいから此處の戶を開けて見ろと言つた。それでも瓜子姬子は默つて機を織つてゐた。外の者は怒り出して、瓜子姬子、瓜子姬子、俺の言ふことをきかなかつたら、此の戶を蹴破つて入るぞと言つた。瓜子姬子は恐ろしくなつて、ほんの少し、爪がかゝる位に戶を𨻶(ス)かすと、がらりと戶を開けて、アマノヂヤク[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では「アマノジヤク」でよい。]が飛び込んだ。さうして瓜子姬子を食つて了《しま》つて瓜子姬子の皮を被り、瓜子姬子の衣物を着て、瓜子姬子に化けて機を織つてゐた。

 婆が隣から歸つて來ると、どうも機を織る梭の音が違ふ。瓜子姬子のなら、カランコロン、キコパタトン、カランコロン、キコバタトンと聞こえるのだが、只、ドジバタ、ドジバタと聞こえる。これには何か理(ワケ)のある事だと、障子の𨻶《すき》から覗いて見ると、アマノヂヤクの尻尾がだらりと下(サガ)つてゐた。婆は是を見て、ニワ(土間)から斧を持つて來て、アマノヂヤクが何も知らずに居る背後から、頭を擊ち割つて殺して了《しま》ひ、瓜子姬子の讐《かたき》を打つたと云ふことだ。

  (和賀郡黑澤尻町邊にある話。拙妻の記憶の分。)

[やぶちゃん注:「黑澤尻町」現在、岩手県北上市黒沢尻(グーグル・マップ・データ)があるが、旧町域は遙かに広い。「ひなたGPS」の戦前の地図を確認されたい。]

 

        (其の三)

 昔或所に、爺樣と婆樣があつた。爺樣は山さ薪取りに行く。婆樣は川戶《かど》さ洗濯に出た。コツコツと洗ひ物してゐると、甘《うま》さうな瓜が一つツンブツンブと流れて來た。アエ奇麗な瓜子が流れて來た、獨りで喰ふにア痛ましい、爺ア來たら分けて喰ふベアと言つて、戶棚さ入れて藏(シマ)つて置いた。

 爺樣ア山さ行つて薪をズツパリ(たくさん)取つて背負つて來た。婆樣は俺ア家の爺樣山さ行つて難儀して來るベアと思つて、飯仕度《めしじたく》をしていると、爺樣が來たので、爺樣々々お前が山さ行つた小間(コマ)に瓜子(ウリコ)が流れて來たけア這入《はい》つて食つてゴザエと言つた。爺樣が戶棚さ行つてあけて見ると、瓜子ポカツと割れて、中から奇麗な女兒(ヲナゴワラシ)が生れた。コレコレ瓜の中からお姬樣が生れた。どれどれと言つて、婆樣も行つて見ると、本當に生れてゐるので、爺樣も婆樣も喜んで育てた。名を瓜子姬子と付けて育ててゐるとだんだん大きくなつて、每日每日トテンバタン、トテンバタンと機を織り、何處にもない位の美しい瓜子姬子になつた。或日、瓜子姬子、瓜子姬子、誰が來ても戶をあけてアなんねエぞと言ひつけて、爺樣も婆樣も稼ぎに出て行き、瓜子姬子一人で宿居(ヤドヰ)をしてゐた。トテンバタン、トテンバタンと機を織つて居ると、隣の娘が來て、瓜子姬子、瓜子姬子、機織りが餘り上手だが少し見せろと言つた。婆樣に叱(クラ)えるだす、やんたと言ふと、小指の這入《あいる》位でも開けて見せエでやと云つた。少し開けてやると、未《ま》だ見えねエ、もう少し開けて見せろと言ふ。亦少し開けると手の這入る位あけて見せろと云ふ。瓜子姬子がおつかなおつかなに開けてやると、隣の娘は無理無理に家の中さ這入つて、蚤捕《のみと》りするベエ俎《まないた》持つて來《こ》うと言つた。亦おつかなおつかなで持つて來ると、瓜子姬子お前が先だと言つた。瓜子姬子が俎の上に橫になると隣の娘ア山婆《やまんば》になつて、づたづた[やぶちゃん注:ママ。]に瓜子姬子を斬つて殺して食つたとサ。

 

        (其の四)

 此話の別話では、流れて來た瓜を婆樣が食べると非常に甘《うま》いので、もう一つ流れて來いと呼ぶと、果して流れて來たので、用のある瓜だら此方《こつち》來い、用の無い瓜だら彼方《あつち》行けと呼ぶと、傍《そば》へ寄つて來たので、これは爺樣の分だとしてとつて置いた。すると戶棚の中で二つに割れて姬子が生れてゐる。

 この姬子が大きくなつて機を織つてゐると、アマノヂヤクが來て、だまして庖丁とサイバン[やぶちゃん注:「菜板」。俎板のこと。]を姬子に出させて、代《かは》り番《ばん》コにシラミ捕りをすると言つて、サイバンの上に姬子を橫にして斬つて食べてしまつた。

 そして瓜子姬子に化けて機を織つてゐると、其所へ着物を買ひに行つた爺樣達が歸つて來て、何時もなら、トギカカ、チヤガカカ、トガカカ、チヤガカカと聞える筈の梭の音が、トダバタン、トダバタンと聞える。

 愈々嫁入《よめいり》となつて、僞《にせ》の姬子が家を出やうとすると、アマノジヤクが喰ひ殺してあつた姬子の左の手が鶯《うぐひす》になつて、

   瓜子姬子だとて

   アマノジャクが化けて

   嫁に行く…

   おかしでア

   ホウホケキヨ

 と鳴いたので、始めてすつかり化《ば》けが現はれて、アマノジヤクは殺された。

  (此二篇とも岩手縣雫石地方の話、田中喜多美氏の御報告分の一九。)

[やぶちゃん注:「アマノジヤク」と「アマノヂヤク」の混用はママ。]

 

        (其の五)

 昔々、お爺さんとお婆さんがあつた。二人のなかにオリヒメ子と云ふ娘があつた。或時爺婆がオリヒメ子を呼んで、オリヒメ子、オリヒメ子、アマノジヤクが來た時ア決して戶を開けてはならないぞと言ひ置いて外へ出て行つた。

 オリヒメ子が一人で機を織つて居ると、アマノジヤクが來て、オリヒメ子、オリヒメ子、戶を開けろと言つた。オリヒメ子が叱られるから厭だと言ふと、アマノジヤクは何べんも何べんも、戶を開けろ戶を開けろと賴むので、仕方なく戶を開けると、

   オリヒメ子

   オリヒメ子

   山さ栗拾ひに行くから

   下駄履いて來(キ)れ

 とアマノジヤクが言つた。

   下駄が鳴るから

   厭(ヤ)んた

 とオリヒメ子が言ふと[やぶちゃん注:読点なしはママ。]

   そんだら

   草履《ざうり》はけ…

 とアマノジやクは言つた。

   草履もないから

   厭んた

 とオリヒメ子が言ふと、

   それぢや俺が

   おぶつて行く

 とアマノジャクが言つた。

   刺(トゲ)があつから

   厭んた

 とオリヒメ子が言ふと[やぶちゃん注:同前。]

   それでア板を敷いて

   おぶるべえ…

 とアマノヂヤクが言つた。さうしてとうとう[やぶちゃん注:ママ。]アマノヂヤクの背中に板を當てがつて、オリヒメ子はおぶさつて山へ行つた。するとアマノヂヤクが自分一人だけ木へ登つて栗を取つて居るので、オリヒメ子も又その木へ登つて行くと、アマノヂヤクは、木をうんと搖(ユス)ぶつて、オリヒメ子を木から打(ブ)ち落して殺して、その皮を剝いで被(カブ)つてオリヒメ子に化けて家へ歸つた。そして御嫁《およめ》に行く事になつた。

 朝起きて顏を洗ふ時、アマノヂヤクが、あんまりそろそろと顏を洗ふので、爺樣婆樣が、今日はお嫁に來た[やぶちゃん注:「行く」と同義。]のだから、もつと、よく顏を洗へと叱ると、アマノヂヤクは、おら洗え[やぶちゃん注:ママ。]ないと言つた。そんだら俺が洗つてケルと言つて、爺樣が强く顏を洗つてやると、オリヒメ子の皮が脫(ハ)げてアマノヂヤクになつて、山へ逃げて行つた。

 其前にお嫁になつて行く時に、アマノヂヤクのオリヒメ子が駕籠に乘る時、鶯が飛んで來て駕籠にとまつて、

   オリヒメ子ア駕籠サ

   アマノヂヤク乘つたツ

   ホウホケキヨツ

 と鳴いて何處かへ飛んで行つた。

  (秋田縣角館地方の話、武藤鐵城氏の分九〇。)

 

        (其の六)

 或所に爺樣(ヂイサマ)と婆樣(バアサマ)とが二人あつた。子供が無いので、欲しい欲しいと思つて神樣に願かけした。或朝瓜畠《うりばたけ》へ行つて見ると、瓜畠の眞中に美しい女の子が居た。爺樣婆樣はこれア神樣が私達の願を叶へて下さつたものだと思つて、喜んで拾つて來て瓜子ノ姬子と名をつけて、大事に育てゝ居た。

 或日爺樣婆樣が山さ薪採りに行くとき、誰が來ても戶を開けんな。此邊は狼はひどえシケに…と言ひ置いて行つた。其後(アト)でウリコノ姬子は、トンカラ、ヒンカラと機を織つて居た。其所へ山の狼がやつて來て、

   瓜子ノ姬子

   アスンペヤア

 と言つた。瓜子ノ姬子は初めのうちは默つて居たけれども、餘り誘ふもんだから、

   ダアガやアえ、[やぶちゃん注:意味不明。「いやだよう!」の意か。]

   爺樣(ヂイサ)婆樣(バアサ)に

   クラアレンものを…[やぶちゃん注:「怒られる」の意か。]

 と答へた。すると狼が、ほんだら取つて食ふぞツと脅《おど》した。瓜子ノ姬子は仕方がないもんだから、ほんだら…と言つて窓コから顏を出して見せた。すると今度は、

   瓜子ノ姬子

   戶オ開(ア)けてがんせ

 と狼が言つた。

   ダアガやアえ

   爺樣婆樣に

   クラアレンものを…

 ほんだら取つて食ふぞツと亦狼が云ふので、仕方がなく開けると、狼はいきなり内ヘ入つて、

   瓜子ノ姬子

   さいばん(俎)出せツ

 と言つた。瓜子ノ姬子が

   ダアガやアえ

   爺樣婆樣に

  クラアレンものを…

 と言ふと、ほんだら取つて食ふぞツと言ふ。仕方がないもんだから、瓜子ノ姬子が俎を出すと、狼は今度は、

   瓜子ノ姬子

   庖丁出せツ

 と言ふ。

   ダアガやアえ

   爺樣婆樣に

   クラアレんものを…

 と瓜子ノ姬子は言ふ、

   ほんだら取つて食うぞツ

 と言ふ。仕方がないから瓜子ノ姬子が庖丁を出すと、

   瓜子ノ姬子

   このさいばんの上さ寢ろツ

 と言ふ。

   ダアガやアえ

   爺樣婆樣に

   クラアレンものを…

 と言ふと、狼は

   ほんだら取つて食ふぞツ

 と言ふ。仕方がないもんだから、瓜子ノ姬子が俎の上に橫になると、狼は庖丁で頭だの手だの脚だのを別々に切(キ)んなぐつて、そして、ああウンメヤエ、ウンメヤエと言つて食つて、骨コは緣側の下へかくして、殘つたのを煮て居た。

 爺樣婆樣が夕方山から歸つて來た。そして背負つて來た薪をガラガラツと下《おろ》して、瓜子ノ姬子、今歸つたぞと言ふと、瓜子ノ姬子に化けた狼は、さアさ腹が空(ヘ)つて來たごつたから、はやく飯食(マンマ)つとがれ[やぶちゃん注:「作って呉れ」か。「つと」は「苞」で、そこに飯を盛るからか。]と言ふ。爺樣婆樣が瓜子ノ姬子を煮た肉汁を、あゝウンメア、ウンメアと言つて食ふと、狼は、

   板楊の下を見サ

   骨こ置いたが

   見ろやエ見ろやエ

 と言つて狼になつて山サさつさと逃げて行つた。そして爺樣婆樣はまた二人つこになつた。

  (陸中下閉伊郡岩泉町邊の話、野崎君子氏の談話の分七。
   昭和五年六月二十三日。)

 

       (其の七)

 昔々ざつと昔、あるところに爺と婆があつた。爺は山へ柴刈りに、婆は川さ洗濯に行つたところが瓜が流れて來たので拾ひ上げて、家さ歸つてから、爺と二人で喰う[やぶちゃん注:ママ。]べと思つて、二ツに割つたら、中から小さこい女(オナゴ)おぼこが生れた。爺と婆は犬變悅んで、瓜子姬と名づけて可愛がつて育てた。瓜子姬は何よりも野老(トコロ)が好きだつたので、爺と婆は每日野老をゆでて喰べさせた。瓜子姬は又機織りが好きで每日機を織つて暮してゐた。或時爺と婆はよそへ出かけなければならぬ事があつて、誰が來ても決して戶を開けんなよと固く言ひ置いて出かけて行つた。瓜子姬が獨りで機を織つてると、戶を叩いて、此所《ここ》開けろ、此所開けろと云ふ聲がした。瓜子姬は爺と婆に言ひつけられた通り誰も居《を》りえんから開けられえんと云つたら、いいから開けろと云つて聽かないので、瓜子姬は仕方無く、ちくとばかり戶を開けたら、いきなり怪しい者が入つて來て、瓜子姬を殺して俎の上さ乘せて斬《き》つて喰つてしまつた。そして瓜子姬の皮をはいで、自分の顏にかぶり、衣裳も取り代へて、知らん振りして機を織つて居た。やがて爺と婆は歸つて來た。[やぶちゃん注:底本は読点。「ちくま文庫」版を採用した。]何も知らない婆はいつものやうに、瓜子姬や野老をゆでたから喰べろと云つたが、瓜子姬は返事もしなかつた。瓜子姬はいつも機を織り乍ら、

   くだねツちゃ

   ばんばなや[やぶちゃん注:この唄、意味不明。]

 と唄をうたふのに、今日は默つて機を織つて居るので、爺も婆も不思議に思つた。野老も喰はなければ唄もうたはないものだから、どこかあんべえでも惡《わ》るかんべか、と爺と婆は心配をした。次ぎの日も、また次ぎの日も、瓜子姬は默つてばかり居た。たまに出す聲は今までの瓜子姬とは似ても似つかない太い聲なので、何してこんなに變り果てだんべとますます案じ事《ごと》をした。さうしてゐるうちに長者のところから、瓜子姬を嫁にくれろと言つて來たが、爺と婆は、いやいやまだ上げられえんと斷つた。けれどもしやりにむに[やぶちゃん注:「遮二無二」の訛りあろう。]くれろと言われて、瓜子姬を長者殿サ嫁にやることに決めた。長者からは澤山立派な結納《ゆいなふ》の品々が來た。瓜子姬はお仕度《したく》をして、乘物に乘つて嫁入りをしたら途中で鳥《とり》コどもが木の上から、

   瓜子姬(ウリコウヒメ)の乘り懸《か》けさ

   天(アマ)ノ邪鬼乘(ノ)さつた

 と云つて口々に囃《はや》し立てた。爺と婆は奇妙な事を云ふ鳥どもだなと、首をまげまげ行つた。お嫁入りのきまつた翌朝、長者の家の召使が、瓜子姬に手水《てうず》をすすめると、瓜子姬は化《ば》けの皮が剝げないやうに、そろりそろりと手水を使つた。召使が見兼ねて側から手傳つて、手水を使つてやつたら、瓜子姬の化けの皮がはがれて、天ノ邪鬼となつて逃げて行つた。

  (三原良吉氏の昭和五年四月八日雨の夜の採集、
   其御報告の分の三。)

[やぶちゃん注:知られた「瓜子姫と天邪鬼」系の話柄群であるが、まず、小学館「日本大百科全書」の記載を引く。『果物から生まれた主人公の冒険を主題にした異常誕生譚』『の一つ。子供のいない老夫婦がある。婆(ばば)が川で瓜を拾い、爺(じじ)といっしょに食べようとすると女の子が生まれる。姫は成長して機』『織りが上手になる。嫁入りが近づいたとき、天邪鬼(あまのじゃく)がきて、姫をだまして木に縛り付け、姫に化ける。嫁入りの途中、木の上から、天邪鬼が嫁に行くという声がする。天邪鬼は殺され、助け出された姫が無事に嫁入りする。この昔話では、天邪鬼は、人の邪魔をする妖怪』『とされている。比較的まとまった形で分布している昔話で、室町期の物語草子の』「瓜姫物語」や、「嬉遊笑覧」(文政一三(一八三〇)年刊)にも『みえる。中国には、畑にできた瓜から生まれた英雄の昔話もあり、「桃太郎」と一対をなすことが注目されてきたが、「瓜子姫」には独自の歴史がある。ヨーロッパをはじめ、トルコ、インド、ビルマ(ミャンマー)、チベットなどに広がる「三つのみかん」の昔話の日本的変化である。東日本では、姫は殺されて小鳥が事件を告げるとし、西日本では殺されなかったように伝えるが、「三つのみかん」と比較すると、姫は殺されて小鳥の姿になり、天邪鬼が殺されたのち、よみがえって元の姿に戻ったというのが原形であったかもしれない』とある。ウィキの「うりこひめとあまのじゃく」もリンクさせておくが、私は少年期にこの話を読み、その残酷さに生理的嫌悪感を抱き、今もそれが続いていて、実は不快で好きになれない話である

「野老(トコロ)」「七八番 田螺と野老」の私の冒頭注を参照されたい。]

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