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2023/06/22

「新說百物語」巻之四 「澁谷海道石碑の事」

[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。

 底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 今回はここ。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。なお、本篇には挿絵はない。

 本文中に出る漢詩は二段組みであるが、一段で示し、後に〔 〕で推定訓読を示した。また、漢詩と俳句は前後を一行空けた。]

 

   澁谷海道(しふたにかいたう[やぶちゃん注:ママ。]石碑の事

 京東山、澁谷海道の側に、ひとつの石碑あり。

「洛陽牡丹(らくやうのぼたん)新(あらた[やぶちゃん注:ママ。])吐(はく)蘂(ずいを)」

と、七もし[やぶちゃん注:ママ。]を彫(ほり)付けたり。

 名も、なければ、何の爲に立てたるとも、見へす[やぶちゃん注:ママ。]

 或は、

「遊女の塚。」

ともいゝ[やぶちゃん注:ママ。]、又は、

「『吐蘂(とずい)』といふ俳諧師の墓。」

ともいゝ[やぶちゃん注:ママ。]傳へ侍れとも[やぶちゃん注:ママ。]、たしかに知る人、なし。

 前年、知恩院町古門前に黑川如船と云ふ人、あり。

 風流の樂人にて、茶・香。あるひは[やぶちゃん注:ママ。]鞠・楊弓(やうきう[やぶちゃん注:ママ。])に日を送りけるか[やぶちゃん注:ママ。]、八月の事にてありけるか[やぶちゃん注:ママ。]

「湖水の月を、みん。」

とて、友達かれこれ、さそひ合ひて、石山寺にいたり、一宿し、又、あすの夜の月の出《で》しほを見て、京のかたへ、歸へりけるか[やぶちゃん注:ママ。]

「もと、來たりし道も、めつらしからす[やぶちゃん注:総てママ。]。」

とて、澁谷海道をぞ、かへりける。

 最早、夜も、

『子の刻過《すぎ》て、追付《おつつけ》、丑の刻にもならん。』

と、おもひけるか、海道のはたに、石に、腰、うちかけ、八旬はかり[やぶちゃん注:ママ。]の老翁の、ひとり、たはこ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]くゆらせて居《を》る者、あり。

 其火を、かりて、たはこ、すひつけ、

「いづかたの人そ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と尋ねければ、

「我は、此あたりの者なるか[やぶちゃん注:ママ。]、月の、あまり、おもしろさに、かくは、なかめ[やぶちゃん注:ママ。]あかすなり。」

と、こたふ。

「さやうならは[やぶちゃん注:ママ。]、尋ねたき事こそ侍り。此所の石碑は、誰の石碑にて侍る。」

と尋ぬれば、老人、打《うち》ゑみて、懷中より、書きたるものを、敢出《とりいだ》して、あたへ、

「持ちかへりて、是を、見るへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と申して、たちまち、姿を見失ひけり。

 持ちかへりて見れは[やぶちゃん注:ママ。]、詩と、發句と、なり。

 

  牡丹開-帝城

  花下風流獨ㇾ欄

  老去テ枝葉埋ㇾ骨

  人間共夢中

  〔牡丹 開き盡す 帝城の外(がい)

   花下(くわか)の風流(ふりう) 欄(おばしま)に獨り

   老(おい)去(さり)て 枝葉(しえふ) 骨を埋(うづ)めて後(のち)

   人間(じんかん) 共(とも)に 是れ 夢中の看(かん)〕

 

  それと名をいはぬや花のふかみ草

 

「詩のうら、字《あざな》に『牡丹花老人』とあり、又、発句にも、『ふかみ草』とあれば、もしや、老人の石碑にてやあらん。」

と申しける。

 その手跡も、まさしく、黑川氏、所持いたさるゝよし。

[やぶちゃん注:調べてみたが、この石碑は現存しないようである。

「澁谷海道」は「渋谷通」「渋谷越」とも呼、東山を越えて、洛中と山科を結ぶ京都市内の通りの一つである。この東西の街道(グーグル・マップ・データ)。

「洛陽牡丹(らくやうのぼたん)新(あらた)吐(はく)蘂(ずいを)」これは、禅語の一句。所持する岩波文庫「禅林句集」によれば、五祖の句で、同書を参考に歴史的仮名遣で示すと、

   *

一口(いつく)に吸盡(きふじん)す 西江(せいかう)の水(みづ)

 洛陽の牡丹 新たに蘂を吐く

   *

サイト「茶席の禅語選」の「一口吸盡西江水」の解説によれば、入矢義高監修・古賀英彦編著の「禅語辞典」には、『一口で西江の水を飲みつくしたおかげで、洛陽の牡丹が新たに花ひらいた。宋代に至って牡丹は洛陽のものが天下第一といわれた』と記すとある。個人サイト」「犀のように歩め」の「洛陽の牡丹」が、判り易く、よく説明しておられるので、参照されたい。

「牡丹花老人」不詳。

「ふかみ草」「深見草」は、ここでは、牡丹の異名。]

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