「新說百物語」巻之四 「澁谷海道石碑の事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここ。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。なお、本篇には挿絵はない。
本文中に出る漢詩は二段組みであるが、一段で示し、後に〔 〕で推定訓読を示した。また、漢詩と俳句は前後を一行空けた。]
澁谷海道(しふたにかいたう[やぶちゃん注:ママ。])石碑の事
京東山、澁谷海道の側に、ひとつの石碑あり。
「洛陽牡丹(らくやうのぼたん)新(あらた[やぶちゃん注:ママ。])吐(はく)蘂(ずいを)」
と、七もし[やぶちゃん注:ママ。]を彫(ほり)付けたり。
名も、なければ、何の爲に立てたるとも、見へす[やぶちゃん注:ママ。]。
或は、
「遊女の塚。」
ともいゝ[やぶちゃん注:ママ。]、又は、
「『吐蘂(とずい)』といふ俳諧師の墓。」
ともいゝ[やぶちゃん注:ママ。]傳へ侍れとも[やぶちゃん注:ママ。]、たしかに知る人、なし。
前年、知恩院町古門前に黑川如船と云ふ人、あり。
風流の樂人にて、茶・香。あるひは[やぶちゃん注:ママ。]鞠・楊弓(やうきう[やぶちゃん注:ママ。])に日を送りけるか[やぶちゃん注:ママ。]、八月の事にてありけるか[やぶちゃん注:ママ。]、
「湖水の月を、みん。」
とて、友達かれこれ、さそひ合ひて、石山寺にいたり、一宿し、又、あすの夜の月の出《で》しほを見て、京のかたへ、歸へりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、
「もと、來たりし道も、めつらしからす[やぶちゃん注:総てママ。]。」
とて、澁谷海道をぞ、かへりける。
最早、夜も、
『子の刻過《すぎ》て、追付《おつつけ》、丑の刻にもならん。』
と、おもひけるか、海道のはたに、石に、腰、うちかけ、八旬はかり[やぶちゃん注:ママ。]の老翁の、ひとり、たはこ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]くゆらせて居《を》る者、あり。
其火を、かりて、たはこ、すひつけ、
「いづかたの人そ[やぶちゃん注:ママ。]。」
と尋ねければ、
「我は、此あたりの者なるか[やぶちゃん注:ママ。]、月の、あまり、おもしろさに、かくは、なかめ[やぶちゃん注:ママ。]あかすなり。」
と、こたふ。
「さやうならは[やぶちゃん注:ママ。]、尋ねたき事こそ侍り。此所の石碑は、誰の石碑にて侍る。」
と尋ぬれば、老人、打《うち》ゑみて、懷中より、書きたるものを、敢出《とりいだ》して、あたへ、
「持ちかへりて、是を、見るへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と申して、たちまち、姿を見失ひけり。
持ちかへりて見れは[やぶちゃん注:ママ。]、詩と、發句と、なり。
牡丹開キ-盡ス帝城ノ外
花下ノ風流獨リㇾ欄ニ
老去テ枝葉埋テㇾ骨ヲ後
人間共ニ是レ夢中ノ看
〔牡丹 開き盡す 帝城の外(がい)
花下(くわか)の風流(ふりう) 欄(おばしま)に獨り
老(おい)去(さり)て 枝葉(しえふ) 骨を埋(うづ)めて後(のち)
人間(じんかん) 共(とも)に 是れ 夢中の看(かん)〕
それと名をいはぬや花のふかみ草
「詩のうら、字《あざな》に『牡丹花老人』とあり、又、発句にも、『ふかみ草』とあれば、もしや、老人の石碑にてやあらん。」
と申しける。
その手跡も、まさしく、黑川氏、所持いたさるゝよし。
[やぶちゃん注:調べてみたが、この石碑は現存しないようである。
「澁谷海道」は「渋谷通」「渋谷越」とも呼、東山を越えて、洛中と山科を結ぶ京都市内の通りの一つである。この東西の街道(グーグル・マップ・データ)。
「洛陽牡丹(らくやうのぼたん)新(あらた)吐(はく)蘂(ずいを)」これは、禅語の一句。所持する岩波文庫「禅林句集」によれば、五祖の句で、同書を参考に歴史的仮名遣で示すと、
*
一口(いつく)に吸盡(きふじん)す 西江(せいかう)の水(みづ)
洛陽の牡丹 新たに蘂を吐く
*
サイト「茶席の禅語選」の「一口吸盡西江水」の解説によれば、入矢義高監修・古賀英彦編著の「禅語辞典」には、『一口で西江の水を飲みつくしたおかげで、洛陽の牡丹が新たに花ひらいた。宋代に至って牡丹は洛陽のものが天下第一といわれた』と記すとある。個人サイト」「犀のように歩め」の「洛陽の牡丹」が、判り易く、よく説明しておられるので、参照されたい。
「牡丹花老人」不詳。
「ふかみ草」「深見草」は、ここでは、牡丹の異名。]
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