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2023/06/11

佐々木喜善「聽耳草紙」 一一四番 鳥の譚(全十四話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一一四番 鳥 の 譚

 

        (其の一)

 或カケツ(飢饉)の年であつた。根餅にする蕨(ワラビ)の根掘りに父は山へ行つた。晝飯頃になつたので母親は子供に、これを父(テテ)の所さ持つて行けと言つて粉煎(コセン)をあずけた(持たせた)。子供は途中で遊びほれて、父の所へ行つた時には、父は飢死して居た。それを見て子供は鳩に化(ナ)つて、

  父(テテ)粉(コ)食(ケ)へツ

  父粉食えツ

 と父親を呼びながら、今に至るまでも啼いて居る。そして每日一日に四萬八千八聲啼かなければならぬという。もしも子供等がその啼聲をまねすれば、また改めて四萬八千八聲啼かねばならぬから決して眞似をするものではないと謂ふ。

  (岩手郡雫石村邊の話、昭和三年の冬採集の分。)

[やぶちゃん注:「カケツ(飢饉)」かなりネット上で調べたが、「カケツ」の語源は判らなかった。小学館「日本大百科全書」の「有力な方言」のリストの中に(以下総て、太字は私が施した)、「ガシン」と立項し、『飢饉(ききん)。近世語』として『餓死の転。(東北・中部・近畿・中国)』とあり、「東北文庫」(株式会社創童舎・東北文庫運営事務局のサイト)の二〇〇四年熊谷印刷出版部刊の本堂寛著「岩手方言の語源」の紹介記事ページには、『ケガズ=飢えること、飢饉、凶作』とあり、Jin氏の編になる「宮古弁 小辞典」では、『けかつ けがづ』に『飢渇(きかつ・けかつ) 飢饉 飢餓』とあった。これらから推測するに、「飢餓」の「餓」の濁音脱落の「か」と、「飢渇」の「渇」の「けつ」の合成か、或いは、「渇」の訓「かはく」の「か」と、音「ケツ」を畳語として合成したものかとも思われる。]

 

        (其の二)

 雀は昔は人間の娘であつた。お化粧をして、美しい衣裝を着飾つて、祭禮へ行く仕度をして居るところへ、親が臨終だと謂ふ報《し》らせが來た。そこで急ぎあわてゝ、今つけかけて居たお齒黑を口から垂(タラ)したまゝで、駈付《かけつ》けて行つて、やつと親の死目に遭つた。

 さうした孝行の報ひで、今では田畠の穀物の穗を自由自在に啄《つい》ばむことが出來ると謂ふ。

 

        (其の三)

 燕は元は綺麗な娘であつた。村の祭禮に行かうとして化粧をしたり衣裝を着替へたりして居た。ところへ親(母親)が臨終だと言つて使ひが來た。けれどもおらもう少し唇に朱(ベニ)をさしてからの、もう少し首のところに白粉《おしろい》を塗つてからのと言つて、なかなか親の所へ往かなかつた。そのうちに親は死んでしまつた。其罰で今では土ばかり啄《つい》ばんで居なければならぬと謂ふことである。

 俚謠に次のやうなのがある。[やぶちゃん注:底本では行頭に一字下げがないが、訂した。]

   つんばくらは親に不孝な鳥なれば

   稻穗を枕に土を餌《ゑ》むずく

   土を餌むずくる…

                (遠野鄕、月謠歌)

 

   つんばくらはなア

   橫屋の破窓(ハフ)に巢をかけて

   夜明ければ

   米(ヨネ)ふけ、ふけと囀《さへ》ずるとなア

                 (同、田植誦歌)

[やぶちゃん注:「餌む」は、或いは「餌食(ゑば)む」の縮約で、「ゑばむ」と訓じているかも知れない。

「月謠歌」不詳。見たことがない熟語である。月見の際に歌った歌謡か。

「破窓(ハフ)」は読みから「破風」を指すようである。但し、破風は窓ではない。切妻造や入母屋造の屋根の妻の三角形の部分。また、切妻屋根の棟木や軒桁の先端に取付けた合掌型の装飾板(破風板)をも言う。普通は凹曲線をなすが、途中が高くなった「起(むく)り破風」、反転曲線から成る「唐(から)破風」がある。また、尾根面につけられた「千鳥破風」や「向拝」などのような片流れの「縋(すがる)破風」などがある(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]

 

        啄木鳥(其の四)

 昔或所に一人の娘があつた。母親が死んで、葬禮は既にお寺へ行つて居たが、そこへたつた一人の娘が來ないので、皆してなんたら娘は來なかんべと言つて、人を娘のもとに迎へにやつた。ところが娘は家の中でゆつくりとお化粧最中であつた。迎《むかへ》の人がさあさ早く早くと言ふと、娘は私は今お化粧をして居るから濟んだら行きますと言つた。お寺では娘の來るまで葬式を待つてゐたが、それでもなかなか來ないので、復々《またま》た迎人《むかへびと》をやつた。すると娘は今衣裝を着替え[やぶちゃん注:ママ。]て居るところだから、一足先きへ行つてケてがんせと言つた。それでもなかなか娘が來ないので、お寺から三度目の迎人をやつた。すると娘は今私は帶を締めて居るから結び上げたら直ぐに行きますと言つた。お寺では娘の來るのを待ちかねて、遂に葬式を濟ませて、[やぶちゃん注:底本は句点であるが、読点に代えた。「ちくま文庫」版は句読点自体が存在しない。]土中に棺を埋めてしまつたところへ、やつと娘が駈けつけた。そして母親の墓の土の上に、そつと膝をついて、あゝ口惜しい、口惜しいと言つて大聲を立てゝいつまでもいつまでも泣きわめいて居た。ところがさうして泣いて居るうちに、段々と娘の姿が變つて、一羽の美しい小鳥になつた。其は今の啄木鳥(テラソヽキ)である。

 だから彼《あ》の鳥は每日每日お寺の近所へ來て居る。さうして寺の内を覗いて見たくて寺の板壁に穴を明ける。さうして又木の幹などを嘴で堀[やぶちゃん注:ママ。]つて、日に三疋の蟲を得て、一疋は佛の處へ、一疋は親のため、三疋目の蟲だけをやつと自分が食つてよいのだと謂ふ。親の罰で罪な鳥である。

[やぶちゃん注:「啄木鳥(テラソヽキ)」「ちくま文庫」版も同じだが、Jin氏の編になる「宮古弁 小辞典」には、『てらつづぎ』を立項し、『〔鳥〕寺突づぎ キツツキ(啄木鳥)』とある。これを見るに、本篇の「ソヽキ」というのは或いは「ツヽキ」の誤記か誤植の可能性が高いように私には思われる。

 

        長尾鳥(其の五)

 尾長鳥(これは靑灰色な鳩ほどの、體の割合ひに尾が女の裳のやうに長い鳥である。)此鳥は雨模樣の日に、山から群をなして下りて來て、彼方此方《あちらこちら》へ飛び、ギイギイと鋭い聲で鳴いてゐる。

 其譯は、明日は雨が降るべ。雨が降ると親の墓が流れると言つて、さう鳴き騷ぐのだと謂ふ。(何故と謂へば親の墓が川岸にあるからだ。[やぶちゃん注:底本は読点。訂した。])

  (これは大正十年の秋、此鳥の鳴聲を聽きつつ伯母が話してくれた話である。)

[やぶちゃん注:「尾長鳥」スズメ目カラス科オナガ属オナガ Cyanopica cyanus 当該ウィキによれば、現在は北海道を除く東日本に分布する。『鳴き声は「ギューイギュイギュイ」「ゲー、ギー」などと汚い大声がよく聞かれるが、これは警戒音声であり、繁殖期のつがい同士などでは「チューイ、ピューイ、チュルチュルチュル」など愛らしい声で鳴き交わす様子も観察される』とあった。]

 

        夫 鳥(其の六)

 或所に若夫婦があつた。或日二人で打揃ふて奧山へ蕨採りに行つた。蕨を採つてゐるうちに、いつの間にか二人は別れ別れになつて、互に姿を見失つてしまつた。若妻は驚き悲しんで山中を、ヲツトウ(夫)ヲツトウと呼び步いて居るうちに遂々《たうとう》死んで、あのオツトウ鳥になつた。

 また、若妻が山中で見失つた夫を探し步いて居ると、或谷底でその屍體を見つけて、それに取鎚《とりすが》り、オツトウ、オツトウと悲しみ叫びながら遂々オツトウ鳥になつた。それで夏の深山の中でそう鳴いているのだともいう。

 齡寄(トシヨリ)達の話に據ると、此鳥が里邊近くへ來て啼くと、其年は凶作だと謂ふて居る。平素(フダン)は餘程の深山に住む鳥らしい。

  (私の稚い記憶、祖母から聽いた話。)

[やぶちゃん注:「オツトウ鳥」調べたところ、どうも「声の仏法僧」であるフクロウ目フクロウ科コノハズク属コノハズク Otus sunia のようである。同種の聴きなしは、「ウッ・コッ・コー」又は「ブッ・ポウ・ソウ」とするが、「ヲツトウ、ヲツトウ」の聴きなしも十分、有り得ると思う。]

 

        鉦打鳥と地獄鳥(其の七)

 昔或所に二人の腹異《はらちが》ひの姉妹があつた。繼母は自分の生んだ妹娘の方ばかり可愛(メゴ)がつて、先腹(センバラ)の姉娘をば何かにつけ、辛く當り散らして、責め折檻をした。それでも姉娘は少しもさからはないで、繼母の言ひつけ通りになり、何でもかんでもいろいろな手に餘るやうな仕事をもして居た。繼母は自分の子にばかり、日々每日(ヒニチマヒニチ[やぶちゃん注:])、髮日紅(ヒベニ)で大事にし、其上美しい衣物(ノヽ)を着せて、村の人達にこれを見よがしに、用もないのに彼方(アツチ)さ步かせたり、此方(コツチ)さ步かせたり、ぶらぶら遊ばせて置き、姉娘の方には襤褸衣物(ボロキモノ)ばかり着せて、每日每日山さ山芋掘りにやつたり、家さ置けば夜まで麥粉を挽かせたり、風呂さ水を汲ませたり、煮炊きをさせたりして、それはそれはひどく酷使(コキツカ)て居た。

[やぶちゃん注:「髮日紅(ヒベニ)」日々、欠かさずに、髪を梳(す)いて綺麗に結って、口紅を塗ってやることであろう。]

 或年の秋祭に姉妹二人で行くと、鄰村の長者どんの一人息子に、姉娘が見染められて、たつて嫁子《あねこ》にくれろと所望された。けれども繼母は姉娘は遣りたくなく、妹娘の方を遣りたいので、仲人(ナカド)の前でいろいろと姉娘のことを、あれなかれなと難癖をつけた。あのな申《まう》す、俺家(オラエ)の妹の方ならば色も白いし、髮も黑い、髮をけづるにもビリソコ、カリソコと面白い音がするが、姉の方ときたら色も黑いし、女ぶりも見臭(ミグサ)い。髮をけづる時にも、羽切鳥(ハツキリガラス)が屋棟(ヤナムネ[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版は『やなむい』とルビするが、明かな誤りである。])を飛び越えでもする時のように、ズウワリ、ガアワリと大變な音をさせます。それでもよかべかと言つた。それでもよいと言つて、長者どんの息子は强いて姉娘の方を貰つて行つた。けれども姉娘はおらアいつまでも母親(ガガ)の側(ソバ)に居たいと言つて泣いた。繼母は、そんなに慕はれても邪樫にひどく叱り飛ばした上、一旦他へ嫁に行つたら、二度と俺に顏見せるべと思ふな、二度と家へ戾つて來てはならないと言つて追出《おひだ》すやうにして嫁にやつた。それでも姉娘は暇さえあれば、高い峠路を越えて、いろいろな珍らしい土產物(ミヤゲモノ)を持つて繼母の所へ訪ねて來た。

[やぶちゃん注:「羽切鳥(ハツキリガラス)」明らかにある特定種を指しているものと思われるが、私は鳥に冥いので、判らない。識者の御教授を乞うものである。]

 妹娘の方は家で遊んで居るうちに、近所のごろつき男と出來合つて、母親がもつとよい所へやりたいと言つて手離したがらないのを、無理やりに其男のもとへ逃げて行つた。母も仕方がないものだから、其男の家へ行つて、娘々、お前が好きな人なら嫁子《あねこ》になつても仕方がないが、一日の中《うち》に一度か二度は一寸(チヨツ)と走《は》せて來て俺に顏を見せてケろと言つて淚を流して賴んだ。けれども娘は頰をふくらせて、何たら切(セツ)なかべなアと舌打ちをして居た。其後母親は可愛(メゴ)い娘が今日來るか、明日は來るかと、每日每日待ち焦《こが》れて居たが、行つたきりでたゞの一度も親に顏を見せなかつた。

 其うちに繼母は病氣に罹《かか》つた。姉娘は夫の家に居ては思ふやうに、母親の看病が出來ないからと言つて、暇《いとま》を貰つて家に歸つた。そして邪樫な繼母を骨身を惜しまずに日夜看病した。けれども妹の方は近所に居ながら、たゞの一度も母を見舞に來なかつた。母親の病氣は日ましに惡くなつて、遂々《たうとう》或日の夕方命《いのち》を落してしまつた。繼母は息を引取《ひきと》る時、姉娘の手をとつて泣きながら、姉々(アネコ《アネコ》)、俺《おら》は今まで心得違ひをして居た。どうぞ許してケろやい。そして早く緣家(イヘ)に歸つてケろと言つた。そしてまたお前がこれ程親切に俺の死水《しにみづ》をとつてくれるのに、實際の生みの娘の仕打ちは何事だ。俺が屹度《きつと》思ひ知らせて遣ると言つて其儘《そのまま》呼吸(イキ)を引取つたのであつた。

 姉娘は繼母の屍《しかばね》に取縋《とりすが》つて、大變泣き悲しんで居たが、あんまり泣いたので遂々《たうとう》其儘《そのまま》鳥になつて。

   繼母戀(コヨ)しぜやいカンカン

   母親(アツパ)戀しぜやいカンカン

と鉦を叩いて飛んで行つた。それが今の鉦打鳥《かねうちどり》である。

[やぶちゃん注:「鉦打鳥」不詳。ある記事に、昆虫のカネタタキ(鉦叩き)と似た鳴き声を出すとあった、スズメ目セッカ科セッカ属セッカ Cisticola juncidis を候補として挙げておく。サイト「サントリーの愛鳥活動」のこちらで地鳴きを聴くことが出来る。]

 妹娘の方は母親が死んだのも知らないで居たが、それから間もなく咽喉(ノド)の病氣に罹つた。そして水を飮みたい、水を飮みたいと叫びながら、咽喉から胸へかけて眞紅《しんく》に火に燒けて死んでしまつた。眞實《まこと》の親の死水もとらない罪の報ひであつた。それが今の地獄鳥である。

[やぶちゃん注:「地獄鳥」不詳。鳥に詳しい方の御教授を乞う。以下の語りが参考になる。スズメ目ツグミ科トラツグミ属トラツグミ Zoothera aurea の異名であるらしいが、首から胸にかけて赤い色はしていないから違う。]

 鉦打鳥も地獄鳥も同じく水を探して谷川か、崖の下の水の上の川面を低く飛んでいる燕ほどの鳥である。鉦打鳥の方は羽は瑠璃で腹が白い。地獄鳥も略《ほぼ》同樣の羽色ではあるが、ただ咽喉から腹へかけて眞紅な色をしてゐる。ともに川魚などを捕つて食ふのであらう。

 但し口碑では、鉦打鳥はその啼聲《なきごゑ》から、あゝして繼母の後世を弔らひ、親のために谷川や崖の下で供養の鉦を叩いてゐるのだと謂ひ、地獄鳥は咽喉の病氣で、火で燒かれるやうに水を飮みたいが、自分の胸の炎が水に映り、それが火に見えてどうしても水が飮まれない、それであゝ謂ふ風に、水が飮みたい、水が飮みたいと苦しく叫んで居るのだと謂ふ。實際またその啼き聲を聽くと堪らない思ひがする。然し姉妹だというせいか、其姿も似て居れば、大凡《おほよそ》同じ水筋《みづすぢ》で、一緖に飛んでゐる。

 

        郭公鳥と時鳥(其の八)

 昔、或所に姉妹があつた。或日姉妹が一緖に山へ行つて、土芋(ホドコ)[やぶちゃん注:山芋であろう。]堀りをして[やぶちゃん注:「堀」はママ。]、それを燒いて食べた。妹思ひの姉は、自分は燒焦屋《やけこ》げて堅くなつたガンコ(上皮の堅くなつたところ)だけを食べて、妹には柔かな甘《うま》い所を選(ヨ)つて食べさした。

 ところが妹はこんな甘い土芋だもの、姉は自分でどんなにいゝところを食べて居るんだべと思つて傍にあつた庖丁《はうちやう》でもつて、姉の腹を斬割《きりわ》つて見た。すると姉の食べたものは皆堅いガンコだけであつたことが訣《わか》つた。そして姉は腹を割られながら、私はガンコばかり食べたものを…と言つて、泣いて泣いて死んであの郭公鳥(カツコウドリ)と化(ナ)つて飛んで行つた。

 妹はそれを見て、はじめて姉の慈悲(ナサケ)が訣つて、後悔して泣いて、泣いて、これもやつぱり鳥となつて、姉のあとを慕つて飛んで行つた。それは今の時鳥(ホトトギス)である。それで時鳥はあゝ謂ふ風に、庖丁かけた、庖丁かけたかと、自分で自分を疑つて泣き悲しんで夜晝啼いて居るのだと謂ふ。

[やぶちゃん注:「柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 嵐雪 一」の私の注「五月雨の端居」(はしゐ)「古き平家ヲうなりけり」の引用を参照されたい(引用元は現在は消失しているようである)。そこでは姉妹ではなく、兄弟の設定になっている。]

 

        馬追ひ鳥(其の九)

 或所に、一人の馬放童(ウマハナチワラシ)があつた。每日々々多くの馬を連れて山へ野飼《のがひ》に行つた。或日夕方になつたから、これから馬を呼集《よびあつ》めて家へ歸るべと思ふと、馬がなんぼしても一匹不足した。あゝほオ、あほゝオと彼方此方《あちらこちら》を向いて呼んで見ても來ないし、澤ヘ下りて尋ね、谷さ廻つて探し、峯長嶺《みねながみね》を越えて探してもなぞにしても其馬が見つからなかつた。

[やぶちゃん注:「峯長嶺」岩手県二戸市福岡長嶺(グーグル・マップ・データ)はあるが、特定出来る根拠に欠けるので、「長い峰々」の一般名詞としてとっておく。]

 童は家へ還ることが出來ない。歸つたら旦那樣に叱責(シカ)られるのであつた。そこでなぞにしても見付けべと思つて、山の奧へ奧へと深く入つて行つて、

   あゝほウ、あゝほウ

 と一生懸命に呼んで步いた。そして遂々《たうとう》魂(コン)が盡きて鳥になつた。

 それは今の馬追ひ鳥だと謂ふ。今でも春五月頃になつて山々の若葉が伸びて來ると、深山の中でその鳥が恰度《ちやうど》鄕《さと》の童らが馬を呼ぶやうな聲で啼いて居る。

[やぶちゃん注:「馬追ひ鳥」スズメ目カササギヒタキ科サンコウチョウ属サンコウチョウ Terpsiphone atrocaudata の異名。地鳴きは「ギィギィ」だが、囀りは、「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」(月、日、星、ほいほい)と聞えることから、「三光鳥」と呼ばれる。「サントリーの愛鳥活動」のこちらで囀りを聴くことが出来る。]

 

        雲 雀(其の一〇)

 雲雀は昔お日樣の下女であつた。それで天へ登つて行く時には、一生懸命に、天尊樣(テントウサマ)アリガタイ、天尊樣(テントウサマ)アリガタイ、と啼いて行くが、降りて來る時には糞食(クソケ)々々々々と言つて、逃げて來るのだといふことである。

 

        鴉と鳶(其の一一)

 昔、鳶《とび》は紺屋(コウヤ)であつた。或日鴉が訪ねて行つて、自分の衣物《きもの》を染めてもらひたいと賴んだ。ところが、鳶は先注文《さきちゆうもん》の、他の鳥どもの衣裝《いしやう》の染方《そめかた》に忙しくて、鴉のは、どこもかこも紺(眞黑)に染めてやつた。

 鴉は他の鳥どものは、色々な採色(イロドリ)をして美しく染めて置きながら、俺《おら》のばかり紺にすると謂ふことが何所《どこ》の世界にあると言つて、ひどくごせを燒いた(怒つた)。そして今でも鳶を見かけると、そのことで喧嘩を賣りかけるのである。

 

        葦切鳥(其の一二)

 葦切鳥(ヨシキリドリ)は元《もと》或城下の大きな宿屋の女中であつた。或夜其宿屋に一人の侍が泊つた。さうして翌朝立つ時、俺《わし》の草履《ざうり》が片方見えないと言つてひどく怒つた。そしてこれは女中の落度だと言つて、一人の女中を手打ちにした。すると其女中は、侍に斬られて、痛い々々と泣き叫びながら、傷口を洗はうと川原に走つて行つたが、其儘鳥となつた。

 それが今の葦切鳥である。それで其鳴き聲は斯《か》うであると謂ふ。

   草履片足ことごとし

   とうとう[やぶちゃん注:ママ。]おれの首切つたツ

   首切つたツ

   アタタチ、アタタチ[やぶちゃん注:後の聴きなしから「痛い! 痛い!」の意であろう。]

 又、行々子(カラカヘジ)は村きつての淫奔《いんぽん》な娘であつた。或夏の夜、川原の葦立《よしだ》ちの中に入つて淫事(ミダラゴト)をして居たが誤つて葦の葉でケツを切つた。それで斯う鳴くのだとも謂ふ。

   けつ切つた

   けつ切つた

   引繰返《ひつくりかへ》つてブツ通し

   四五六源二が仇情《あだなさ》け

   けつ切つた

   けつ切つた

   アタタチ

   アイタタチチ、チチ。

[やぶちゃん注:「葦切鳥(ヨシキリドリ)」スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ科 Acrocephalidaeのヨシキリ類。多数の種がいるが、よく知られるのは、オオヨシキリ Acrocephalus orientalis である。「サントリーの愛鳥活動」のこちらで囀りと動画が視聴出来る。]

 

        川熊と鷹(其の一三)

 或日、鳥の中で一番大きな、いはば鳥の頭《かしら》ともいうべき大鳥が木の股に挾まつて、いくら悶搔(モガイ)ても脫(ヌケ)出せなかつた。澤山の鳥共が集まつて、それを助け出さうとして、大鳥の羽を頻りに引ツぱつたので、羽根が拔けて大鳥の身體(カラダ)は赤ムクレになつた。其所へ川熊《かはくま》(黑い川鳥)が來て、そんなことをしたつてだめだからと言つて、一同を木の股の右左の枝に並ばせた。すると鳥共の重みで左右の枝が股のところから折れたので、やつと大鳥の身體が自由になつた。それから鳥共の羽根を一枚づつ拔かせて、それを大鳥の體にくツつけた。

 さあ頭の命拾《いのちびろ》ひのお祝ひといふ事になつたので、川熊は、大きなお馳走を取つてやらうと山へ飛んで行つた。すると向ふからシシ(猪)が步いて來た。川熊はすぐさまシシの耳の中に入り込んで暴れた。シシは苦しがつて遂々《たうとう》死んでしまつた。川熊はシシを鳥仲間の集まつて居る所に持つて來てひどく自慢した。

 それを見た鷹は、よしそんなら俺はシシを二匹とつて來て見せると言つて、山へ飛んで行つた。すると向ふからシシが二匹揃つて走つて來た。鷹はよしきた彼(アレ)を二匹一緖にとつてやらうと、二匹の背に同時に左右の足の爪を立てた。シシは驚いていきなり離れ離れになつて驅け出した。そのために鷹は足を折り爪を拔かれてしまつた。一匹のシシを狙へばうまく取れたのに。これが、慾の深い鷹《たか》爪《つめ》ぬけると謂ふ諺の始まりである。

[やぶちゃん注:「川熊」てっきり、カツオドリ目ウ科ウ属カワウ Phalacrocorax carbo のつもりで読んだが、猪の耳の中に入ったというところで、大きさが小さくないとおかしいことに気づいた。従って未詳としておく。

「慾の深い鷹爪ぬける」「欲(ほ)す鷹は爪落とす」が知られる。欲深いと良くないことが身に起こることの喩え。「二兎追うもの一兎をも得ず」と同じ。]

 

     ミソサザイ(其の一四)

 鷦鷯(ミソサザイ)は極く嘆言者(コボシヤ)であつて、每日每日藪から藪へと飛び移り飛び返り、あゝ此藪もつまらない、彼《あ》の藪もつまらないと苦情ばかり言つて、いつもああいふ風に、舌打ちばかりして、あくせくして居ることは、昔も今も變りがなかつた。

 然し又斯う謂ふ事もあつた。或時《あるとき》鳥仲間が寄集《よりあつ》まつて、互に御馳走を仕合《しあ》はうと謂ふ相談をした。そして其御馳走の順番が此鳥の所へ𢌞《まは》つて來た。けれどもみんなが、どうも彼《あ》のミソサザイではあんまり體が小さ過ぎるから、どうせ碌[やぶちゃん注:底本は「錄」。訂した。]なことはあるまいと豫想してひどく蔑《さげす》んで居た。また當《たう》のミソサザイもあまりよい當《あて》もないので、いつものように舌打ちばかりしながら、朝から晚まで、彼方《あちら》の藪蔭、此方《こちら》の藪蔭と、こぼしにこぼし𢌞つて居た。さうして居る中《うち》に不圖《ふと》或藪の中で大きな猪が晝寢をして居るのを見つけ出した。ミソサザイはこれはいゝものだと思つて、直ぐさま猪の大きな耳穴に潛り込んで、あの鋭い嘴《くちばし》で、コツコツと猪の腦天を突(ツツ)つきはじめた。猪は魂消《たまげ》て飛び起きて野山の分け隔てなく驅け𢌞つて、助けてケろ助けてケろと狂ひ叫んだが、仲間の獸《けもの》は何のことだか少しも譯が分らなかつた。そのうちにその猪はとうとう[やぶちゃん注:ママ。]狂ひ死にをした。そしてミソサザイは誰よりも一番大きな立派な御馳走をして、仲間を魂消させた。

 其次の番は山の荒鷲の番であつた。荒鷲はあんな小(チツ)ぽけなミソサザイでさへあんな大猪《おほゐのしし》を捕つてみんなに振舞《ふるま》つたから、俺こそ、何かすばらしい物を生捕《いけど》つて、仲間の奴等を魂消させてやりたいと思つて、天氣の佳《よ》い日、中天に翅《つばさ》を擴げてくるくると𢌞つて下を視て居た。すると丁度目の下の山の洞合《ほらあ》ひ[やぶちゃん注:巌窟の間。]に、それこそ大きな鹿(カノシヽ)が二匹並んで日向ぼつこをして、ぐツすりと眠つて居た。荒鷲はこれはよい物を見付けたものだ、見ていると、直ぐさま颯《さつ》と風を起して飛び下り、己(オノレ)ツと一度に二匹の鹿《かのしし》を一つかみにした。すると二匹の鹿は魂消て、あれやツ大變だと言つて、跳り上つて兩方へ駈け出した。そのはづみに荒鷲は生爪《なまづめ》を剝(ハ)がして大怪我をした。さうして結局何も取れないで損をした。

 だから諺にある、慾する鷲は爪を拔かれると。

 それから鳥仲間の寄合ひで、ミソサザイは鳥の大將の荒鷲よりも上等な御馳走をしたからと謂ふので、鷲に代つて鳥の王樣となつた。

[やぶちゃん注:「鷦鷯(ミソサザイ)」スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属ミソサザイ Troglodytes troglodytes当該ウィキによれば、全長は約十一 センチメートル、翼開長でも約十六 センチメートルと小型で、体重は七~十三グラムに過ぎない。『和名のサザイは、古くは「小さい鳥」を指す「さざき」が転じた』とも、『また』、『溝(谷側)の些細の鳥が訛ってミソサザイと呼ばれるようになったとする説がある』。『全身は茶褐色で、体の上面と翼に黒褐色の横斑が、体の下面には黒色と白色の波状横斑がある。雌雄同色』。『体つきは丸みを帯びており、尾は短い。よく短い尾羽を上に立てた姿勢をとる』とある。また、「人間との関係」の項には、『ミソサザイはアイヌの伝承の中にも登場する。人間を食い殺すクマを退治するために、ツルやワシも尻込みする中で』、『ミソサザイが先陣を切ってクマの耳に飛び込んで攻撃をし、その姿に励まされた他の鳥たちも後に続く。最終的にはサマイクル神も参戦して荒クマを倒すという内容のもので、この伝承の中では小さいけれども立派な働きをしたと、サマイクルによってミソサザイが讃えられている』とあった。なお、私の好きな野鳥の一つである。]

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